日本列島メトロポリスTK。
回転し続けるメリーゴーランド山手ライン。夕暮れだ。
とある駅舎のガード近くにある和食堂にXとWがいる。食堂は混み合っている。渦巻く話し声、電車の音。その中でビールを飲みながらボソボソと会話を続けている。ごく普通の風景だ。しかし、話しの内容は少し、この風景からは浮いている。「メコンの神殿プロジェクトを構想していたんだけれど、歴史家に、パガンは世界最大級の仏教都市遺跡であるのは確かだけど、あそこの河はイラワジ河ですよ、って言われたよ」と、Xがこぼした。
「Xさんは思い込みが強いからなァ。そういう基礎的な間違いを犯すんですよ。」建築家のWはいかにも冷静だ。
「でもね、芸術家のY氏にもこの計画の事は大分前に話したことがあってね。Y先生の頭にも、すでにメコンの神殿っていうなにやらハッキリしたイメージが棲みついているらしくって、先日もメコン河の河の色のイメージを熱心に話された事があるんで、困っているんだよ。」「Y先生はそれでなにかメコンの神殿をイメージにした作品を作られたんでしょうか。」「見せられた記憶がある。」
「メコン河じゃなくて、イラワジ河だったって、正直に伝えた方がいいんじゃないですか。」「そうかなあ。照れくさいぜ、それは。
それに、Y先生はもうメコン河のほとりに我々が計画をつくり始めてるって、それが確固とした記憶として棲みついてしまったんだから、それはそれで、もういいんじゃないか。」
「物語りたい人には間違いが多いって、居直るわけですね。」「間違った、思い込み、記憶にはより深い真実だってあるだろう、な。」「そうですかね。」
「いいよ、標題はメコンで、物語はイラワジでゆくから。」
そもそもの話しの始まりに大きな誤解がある事は、実に象徴的な事であった。
「エジプトのピラミッドは死者の国の標識なんだ。建築の原点だろう、それは。エジプト王権の守護神ホルス神はハヤブサの化身だ。そのハヤブサがはるか上空から見下ろしたピラミッドの形象を、設計者は想像していたに違いない。ハヤブサが飛べる高さぐらいからの視点でね。」「でもこの計画の鳥は、カラスなんでしょう。ハヤブサの飛行高度と少し違うんじゃないですか。」「君ね、そんな中途半端な科学性は、この際ゴミ箱に捨てろ。思いきり飛ぶんだ。」「飛べと言われたって、やはり限度というものがあるでしょうに。」「エジプトは死者の国、黄泉の国への想像力が大事な事を成立させていた。その最たるものが、ピラミッド、神殿群、スフィンクスの造形だ。」「しかし、パガンの遺跡群は、正確にはピラミッドと呼ぶことは出来ませんよ。あれは仏教遺跡、パゴダの群なんですから。いくら物語でも、ディテールに誤りが多過ぎませんか。」
「いや、パゴダを建築として眺めるのには、最初にそれをピラミッドとして眺める必要がどうしてもあるんだ。パゴダから始めてしまったら、建築が立ち上がらないんだ。」
「よく、その辺りの理屈はわかりませんが、マアあんまり厳密に考えても仕方ありませんから自由に物語ってください。」「そう、それぐらいのルーズさでよろしい。間違いから、思いもかけぬ拾い物を掘り出す事だってあるだろう。」
ガード下の和食堂には似つかわしくない会話が続く。
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