究極の家 設計メモ 2002 |
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石山修武 |
六月二八日夜佐藤健世田谷村地下来訪に触発されて究極の家の構想をすすめることにした。佐藤健は友人であり、依頼主でもあり、又、 批評家でもある。職業は毎日新聞編集委員。「宗教を現代に問う」で菊池寛賞を受賞している。ここで言う批評とは建築作品とか書物とかを超えて、人格の、人間そのものの批評家でもある。しかも、佐藤健は肝臓癌、食道癌に犯され死と対面している。逃げも無く直面している。批評家として、これは恐ろしい状態である。彼は何も、これ以上失うものはないからだ。これ程透徹した批評精神はあり得べくもない。人間関係の損得対照表が成立しないからだ。貸借ゼロなのだ。その状態から、何を彼に提案できるだろうか、しかも建築家として。というのが究極の家のテーマなのだ。 提案し続けるのが本来の建築家の存在理由である。それならば、今の佐藤健に何かを提案できずして、私の建築家としての意味は薄い。彼が今、対面して、内にいる空間はどのようなものなのか。目を閉じた彼は何を視ようとしているのか。それに対して私は彼に何を差し出せば良いのか。 一九九五年に一枚のスケッチと、一つの模型を作った。究極の家と名付けた。それはまだ究極という言葉のロマンティシズム、センチメンタリズムに駆り立てられた、ファナティックなものだった。その段階、その水準は今の佐藤健には余りにもファンタジックで無用なものだ。家の計画案を作る事も無意味だ。もう家は不要になるのだから。しかし、何かは必要だろう。彼は何故私に自業自得大明王の位牌やその大明王を仏師に彫らせる像のスケッチを見せようとしたのだろうか。 ダテや酔狂に遊ぶ程、時間はない。 アノ、位牌、(寿牌と呼ぶのだそうだ)や明王像は彼の究極の表現欲、希求であるにちがいない。 それならば私は建築家として、彼にそれに代り得るもの、それを更に励起し、イメージよりも更に深いイメージを湧き上がらせるような何かを提案できるのではないか。 それがどのような伝達の形式、コミュニケーションの形をとるのかも定かではないが、時間がたっぷり残されてはいないので、アテが無いままに踏み出す必要がある。 どんな形式の表現にするか、どんな形式の通信になるのか、どんな形式で空間を体験してもらう事になるのか、それから考えを進めよう。
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