石山修武研究室
 トルコのアララット山の中腹にはノアの方舟が埋まっているらしい。何十年も前にそんな報道があったのを憶えている。アララットは巨大な独立峰で、その山容には神話の中の神話の王を抱きかかえている風格があった。アララット山はアジア・ハイウェイのバスの窓から眺めた。二ヶ月程の旅の始まりに、航空会社のラッゲージトラブルで私は荷物の全てを失って身一つの旅であった。不安を抱えながらの旅で見たアララットには本当にノアの方舟が埋まっているように眼に写ったものだ。昨年の春、私は事故に遭遇し、検査入院した。生まれて初めての入院体験だった。
 不安の中に不思議な風景が次々に現われてきた。荒涼とした荒地に無数とも思える廃墟が現われ、動くのであった。病室でその風景を銅版に彫りつけた。
 建築の設計と、絵を描いたり、銅版を彫ったりの制作とは、私の場合何の関係もない。完全にとは言い切れぬが切れている。
 建築設計は不自由さの中から自由を刻み出すものだ。依頼されるという仕事の流れそのものの内にすでに不自由の固まりが在る。その不自由に少しでも空隙を開けられれば、作品と呼ぶに値するものが立ち現れてくる。開けられなければ、ただの建築である。
 絵を描いたり、銅板を彫ったりにはその類の不自由さは無い。大体こういうものは頼まれないのにやるものだ。
 しかし、建築設計よりも余程深刻極まる不自由さが在る。描くもの、彫るものが無ければ全く何もできないというアッケラカンとした不自由さが在る。他人が依頼してくれないから自分で自分に制作を依頼しなくてはならない。描きたいから描く、彫りたいから彫るという様な事ではない。
 病室で制作を始めたからではあるまいが、銅版画を生み出させるのは何がしかの不安ではあるまいか。不安な気持ちというのは不自由への恐れから生み出される。自身の自由が失くなる事への恐れから来るものだ。
 銅を鉄筆で彫り込む手の動きは自由なようで、不自由極まる。思うように自由に動かせてくれない。銅と鉄の抵抗がある。その抵抗に抗する何かのエネルギーがどうしても必要になる。
 どうやら、そのエネルギー、制作の源と呼ぶべきものは不安、つまり不自由さへの実感ではなかろうかと最近仕切りに思う。何事も首尾上々で何の不安もない人間なんて何処にも居ないだろうが、創造には不安の如きものは必需品なのではないか。
 人間は皆絶対の四苦を持つ。生老病死の四苦である。不安の極みは死との対峙だが、人間には日々を生きながら、同時に一刻一刻と死に近づいている。この不安から自身を解放しようとする行為、身振りこそが制作の実体なのだろう。あるいは世に言うところの創造だろう。
 病室に現われた荒涼たる風景は、今も私の中に現われ続けている。
 その風景は何かをなぞっている。明らかに記憶をなぞっている。

   アジアの旅の記憶は仲々建築にはなりにくい。建築といっても私がやっている分野は近代建築様式であるから、それは仕方がない。近代建築様式はヨーロッパが生み出したキリスト教文化圏のヨーロッパスタイルであった。そこにアジアの、ましてや、古代遺跡等の体験や記憶なぞが入り込む余地はない。
 その、これも又、不安が銅版に様々な風景を刻ませている。

   
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森の風景
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都市の不安
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荒地
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窓辺にたたずむ階段の君
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山 
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武 
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失敗した影あるいはセンチメンタルな影
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影の誕生
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意味の無いマーケット
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笑う影
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荒地巡礼する眼玉之命
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眼球内之地霊都市
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眼玉の中の眼玉の神
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登っても登っても混沌
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影の都市と狂喜する竜巻
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荒地に踊る影のカップル
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狂風
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透明になり切れない私
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建設の喜びと不安
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時間内特異点
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平安
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それでもある希望
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それでもツインで
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大地の神々
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今のやおよろず
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荒地を横切る
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