開放系技術・デザイン ノート 「家づくり論」 |
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石山修武 |
開放系技術・デザインについてこれから述べてゆく。が、しかし、開放系技術・デザインとは何かと言う概念規定から私はそれをスタートさせようとは思わない。そうしたいのはやまやまではあるし、これは技術・デザインに関して随分と包括的な概念であると信じるが、厳密な概念規定から始めるのは、より広い人々が、この概念に参加することを妨げるし、特に私が考えている最大のマイノリティ勢力である「子供」たちあるいは未成年者にとって理解不能になる恐れがあるからだ。 単純に要約すれば開放系技術・デザインが目指そうとするのは、家づくりを介して、今の市場の大矛盾の外(そと)に、もう一つの流通の回路を呈示し、構築しようとすることだ。つまり、「家」の問題を実践的にかつ具体的に「作ってみせる」ことで、しかも「沢山作ってみせる」ことで、現在の誤りを大前提とした「家」および「住宅市場」を批判し、かつ今の「住宅市場」に属さぬ、より自由な市場を構築することを行う。 ここで私が言う自由とは具体的に言えば、安価であることだ。住宅が異常な高価さを前提とした不可思議な市場によって産み出され、流通していることは著しく私たちの生活の自由を束縛していることは自明の理である。この不自由を開放してゆく。そしてより自由な市場を独自に作る。その事を抜きにして、私達の具体的な生活の不自由は解決できない。 これまで私はすでに「バラック浄土」「秋葉原感覚で住宅を考える」「笑う住宅」「住宅病はなおらない」「住宅道楽」などの著作を通して、この問題への断片的な考えを述べてきた。これらの作業を極端に修正する必要はないと考えてはいるが、正直に言えばそれらは極端に過ぎる私のデザイン、つまり私の表現欲によって、沢山の人々の理解をさまたげるきらいがあった。私のデザインが理解を歪めやすい事が多かった。 それ故、私は私の極端さからも自由になる必要を感じていた。私の表現つまりデザインのこれまでの歪みは修正しようと思う。そのことで、問題がより明快になるならば、敢えてそうしようと思う。 「家」を「安く」家族の力で作る。あるいは個人の力で作る。「子供」の力もそれに参入してもらう。その方法をこれから、できるだけわかりやすく述べてゆきたい。 これから、その方法を述べてゆくが、その形式はノートの形式をとる。つまり、今、現在、「家」を「安価」に作ることを目指して働いてもいるので、その仕事の内容を報告することで、皆さんの理解を得やすいものにしようと努力しようと思う。 このノートは私、および私の研究室、ならびに設計事務所、私の実験的工務店が参加しているホームページに連続して記載される。常に改変され、更新されてゆく。 又、皆さんの参加を望んでいる。このページは広く皆さんに開放されている。有効に、かつ具体的に使用していただきたい。 このページは、私の研究室の丹羽太一君が編集している。彼はいわゆる身障者で、日々を車椅子で生活している。コンピューターだけが仕事の術でもある。この事は私達がすすめようとしている開放系技術・デザインの運動にとっては象徴的な必然である。徹底的な個人はあらゆるマイノリティによって、その可能性が表現されやすいからだ。皆さんはこのページが彼によって表現されている事も、念頭に置いて、参加していただきたい。俗な同情を乞うているのではない。誰でも、何かを表現する自由をもつことを、彼が作ってくれているこのページは示そうとしているからだ。
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「家を作るのは誰か」 |
私がこれから論じようとする内容は論じようとする相手によって規定される。だから私は建築家に対して論じようとは思わない。それでは余りにも私的な建築論になってしまう。建築論は建築家にとって大切なものではあるが、より広く普遍的な個人にとっては無益なものでありがちだった。普遍的な個人とは誰か。大衆なのか市民なのか。それとも核家族なのかニューファミリーなのか。そのいづれでもあって、いづれでもない。大衆市民核家族、共に実態があるようでいて無い。隣にいるようでいて実はいない。普遍的な個人とはマイノリティーによって具体化されつつある。マイノリティとは一般的には弱者、少数者を指しての呼称である。女性、子供、身障者、病人、ゲイ、レスビアン。より広く言えば黒人を代表とする有色人種、少数民族、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの人々をさして使われている。 私はここではっきりとマイノリティの規定をしておこうと考える。それは非生産的人間を指して使われるべき呼称である。非生産的人間はたちどころに消費者を意味しない。消費者は同時に生産者でもある場合が多いからだ。農業従事者は典型的な生産者であると考えられがちだが、畑仕事の合間にパチンコ屋で過す彼等はそれこそ典型的な消費者であり浪費家でもある。 大企業に働く謂はゆるサラリーマン、サラリーウーマンの多くはすでに二重人格者の相貌を帯び始めている。彼等彼女等は一日を二分して使う。一週間も又二分されている。アフター・ファイブつまり就業時間以外の彼等は完全な消費者である。居酒屋にいても、家に帰ってTVを観ていても彼等は完全に非生産者なのである。 中小企業あるいは零細企業、個人商店、漁師、地方公務員も又、そのライフスタイルは二分化している。つまり働く人と遊ぶ人への二分化である。消費の本質は鋭く遊びと結びついている。現代の特質は生きるための必然としての消費はないという事だ。地球上を粗く見渡してみても、どの大都市にも餓死者は居ない。極めて特殊な例としての寝たきり老人、絶対的孤独者の餓死はあっても、必迫した事態の帰結としての餓死はあり得ない。大都市には食糧は溢れ返っている。ニューメキシコ、サンパウロ、TOKYO、ニューヨーク、上海、いずれのメガシティに於いても食糧は溢れ返っている。極端な例としてのホームレスピープルはそれ故にメガシティに於いて出現する。決して地方都市、中小都市には出現しない。ホームレスピープルに餓死者は少ないと聞く。病死、事故死はあっても飢え死には無い。病気からくる衰弱から餓死することはあっても、食糧不足から来る絶対的餓死はすでにメガシティではあり得ない。 ではどのような場所で絶対的飢餓状態は生まれているのだろうか。それは戦争や天災とも呼ぶべき災害によってのみ出現する。今、いはゆる飢餓状態は地球上のいかなる場所に出現しているのだろうか。 アフリカ、ラテンアメリカ、アジアにその大半は集中している。おかしな事ではないか。自然の力が豊かで、食糧は自然の生産力にゆだねていれば良かった地域に飢餓状態が発生し、大都市という、全く食糧を生産し得ぬ場所にはそれは無いという事は。 東南アジアの農村地帯にかって発生していた天災による飢餓状態は、今は別の形でネガティブに解消してしまった。東南アジアの大都市、マニラ、バンコク等に出現しているメガスラムとも呼ぶべき、常態的難民キャンプ状態がそれだ。東南アジアではヴェトナム戦争以降、カンボジア内戦以外にいわゆる戦争は発生していない。東南アジアにそれでも多発していた飢餓状態は基本的には自然の生産力を人口増加が超えてしまった事で起きている。東南アジアの地球上で最も豊かな農産物生産力を持つであろう自然は、それをすでに養い切れなくなっている。それ故に農村人口の一部は大都市に流入したのである。大都市のスラムは勿論圧倒的な貧困の現実に居るが、そこには飢餓状態は少い。動物が時に落ち入らねばならぬ絶対的飢餓状態はそこには無い。農村から、漁村から食糧を流通させて出現している都市の過剰は、彼等の餓死、追いつめられた死の状態をある意味では救っているのだ。農村、農民の生産力を収奪し都市に流通させる、その循環が農民の絶対的死を救うという、奇妙な事態が発生している。彼等、東南アジアのスラムの住民の実体は無生産者ではあるが、決して消費者でも無い。
アフリカを中心に大がかりに発生した戦争の実体は民族・宗教戦争である。人間は他の民族的習慣を持つ他者を理解することを拒みやすい習性を持つ。その事から出現するプリミティブな争乱状態だ。現在、地球上には二二〇〇万人とも言われる難民が出現している。それはすでに突発的な天災、争乱状態が引き起すキャンプ状態、すなわち仮設的コミュニティ状態をはるかに超えて,極めて常態的な、極論すれば小さな都市を形成するまでになっている。そこではすでにある種の宗教施設が求められ、学校はすでに出現している。そのようなキャンプはすでにある。
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「家づくり」 |
私は家づくりを便利で小ギレイな器づくりであるとは考えない。家族や友人たちと共につくる「家」があっても良いと考えたい。今、家のほとんどは商品として流通している。家は売買されるモノとして考えられている。家は完成されたものを買うのであって自らつくるものではないとされている。そんな考えをベースにして住宅市場が形成され、その市場は高度に管理化されていると言はねばならない。管理化された市場は住宅価格の下方硬直性を生みだした。シンプルに言えば日本の住宅市場の住宅価格は異常だ。異常に高過ぎる。コスト・ダウンに関して多くの誠実な努力は確かにあると言えば、あるのだが、それらの多くは家のつくられ方の根本にさかのぼる工夫ではなかった。それで、日本の住宅価格は異常なものであり続けた。 しかし、その異常さのもとを辿れば、それはたかだか五〇年ほどの歴史しか持たない。高度経済成長、所得倍増がうたわれた頃から起きた現象だ。それ以前の日本の住宅価格は極めて合理的なものであった。その事実はナチスドイツから日本に亡命したブルーノ・タウトがすでに指摘している。 (・中略、このセンテンス、つづく)
もう一つの住宅価格体系をつくることはできないのか。それが私の考えの中枢だ。既存の建設産業の枠の外に、別の価格体系を持つ流通のシステムがある筈だ。その事をこれから具体的な事例を示しながら述べてゆく。
「家」づくりは謂はゆる消費者・生活者が主体となり、成し遂げるべきものである。
杉並の渡辺和俊さん眞千子さん夫妻と知り合いになった。渡辺さんは私のホームページをヒットして、それでいささかの関心を持って会いに来て下さった。
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二〇〇一年十月の報告 |
二〇〇一年十月現在開放系技術・デザインを構想し実践中だが、その第一段階の実践の中身をいささか報告しておきたい。 新しいタイプのクライアント、すなわちウェブサイトクライアント杉並の渡辺さん夫妻と三人の子供たちとはお附合いが続いている。彼等の家の設計もほぼまとまった。十月三〇日の朝には地鎮祭もすませた。と、ここまでは何もとりたてて言うべき事はない。普通の設計者と依頼主との関係である。が、私はこれを普通の関係だけではすまさないぞと決めた。わたしの年齢は五七才。小住宅の設計に夢中になるべき年齢ではない。公共建築や商業ビル、地域計画なぞに取り組んでいるのが普通だ。それなのに我ながら異常な情熱を小住宅に傾注しようとしている。止めようにも止まらない。何故か。きっと意味があるにちがいない。何故、私はこんなに住宅設計を面白がっているのか。第一にそれは私たちの生きる事と密接な関係を持つことを確信するから。医学は人体に起きる病の治療のために直接に機能する精神医学も人間の気持ちの病い、障害の治療のためにある。住居学、あるいは住宅設計学がもしも成立するならば、それは椅子が人間工学と、ベッドが睡眠を介して初歩的医学と関連するだろう以上に、ゆるやかに生命科学と関連すると思われるからだ。睡眠を主として、排泄性交といった主の本能の大半は住宅を介してなされる。人生の二分の一以上の時間を人間は住宅と呼ばれる環境と共に生きるのだ。住宅はゆっくりとした時間と共にある生命維持装置なのである。 第二にそれは社会経済学的な視野から眺めてみても高度に複雑きわまりない有機的結合の結果として出現しているからである。この点に関しては別に詳述する。 杉並の渡辺さん夫妻の家を私は渡辺さんだけの問題として解くことはしない。大都市に住み暮らし、それでも一戸建に住みたいと言う、随分多くいるに違いない人のために設計しようと考える。 杉並区桃井四丁目の渡辺さんの土地は四七坪(一五五.一)Fである。この土地を渡辺さんは七千万円で購入した。そして、残りの金で家を建てようと考えた。残りの金とは銀行の通帳の残高ではない。銀行から借りて無理の無い額のことだ。現在渡辺さんは四〇才、奥さんの真千子さんもほぼ同年代。小学校六年生を頭に三人の男の子がいる。前にも述べた通り、男の子三人これから思春期を迎えるわけで、夫妻は思春期を迎える子供のためにこそ良い住宅が必要であると考えた。ここに夫妻の極めて健全な社会性がある。古い言葉で言えば普遍性がある。 住宅(家)は子供にとっては学校なのである。杉並区には良い小中学校が多くあるが、それでも過大にそれに、つまり学校に子供の教育を期待するのはすでに間違いである。子供たちの日常生活を介した、それだからこそ最も重要な教育は家庭内で、家族内で、あるいは住宅を介した社会で行う可能性がある。都市の中に一戸建の住宅を建てられる人間はこれから特殊な人間になるだろう。階層化しつつある社会においては少数の恵まれた層になるだろう。それでも一戸建の住宅に社会的な意味があるとすれば、それは新しい学校としての価値にもなるだろう。 第一に夫妻のコミュニケーションの具体的な場としての住宅。第二に子供たちのコミュニケーションの場としての住宅。 それ故に渡辺さんの家は社会にガツーンと開放されている。街の延長としての住宅なのだ。 今の普通の家は決して開放されていない。それは個人の資産、財産、私財の倉庫になっている。住宅は部屋の集合体になっている。その部屋は個人の私財の倉庫だ。それ故に家は私財の納屋なのだ。杉並の渡辺夫妻の住宅にはその様な部屋は無い。皆無ではないが少ない。あるのは徹底的に開放された街路状の空間だけ。そして唯一の部屋らしい部屋は夫妻の寝室だけだ。住宅は主に夫婦が運営する場所である。勿論、単身者でも、複数夫婦でも構わないが、要するに運営する主体が明快であった方が良い。ここでは渡辺夫妻。夫婦が主体となって運営する環境こそがこの住宅の本性である。 この住宅を私は私の世田谷村のオリジナル住宅として広く世に問いたいと考える。
世田谷村オリジナル住宅二〇〇一年型部品リスト
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A3 workshop 2001 秋 TOKYO レクチャー概要 開放系技術とは何か 2001/11/06 |
・生活空間に対応する、身体能力を拡張するための技術である。 ・身の廻りの生活空間(ex.住宅)をつくることを考えた場合、私たち(建築設計者世界)はそれを設計技術、技能と考えがちだが、それは建築家の側にだけ、設計技術や設計をする特殊な技能が在るという考えに過ぎない。あらゆる人間にデザイン能力、すなわち空間(身の廻りの環境)をつくる可能性がある。特にありとあらゆる住空間にはそのように、すなわち個々の人間主体の空間、人間があって、始めて空間があるという考え方があってしかるべきだ。そのような考え方は、すでに現実の一部でもある。 ・開放系技術とはそのような技術のあり方を体系的に目指そうとするものだ。 ・レヴィ=ストロースのブリコラージュ 手づくりする人、身のまわりの技術や材料でチョッとしたものを作ってしまう人、および技能、生活スタイルをレヴィ=ストロースはブリコラージュと呼んだ。 ・B・フラーのドームの理論。コンラッド・ワックスマンのジョイント論。 ・ウィリアム・モリスの工房活動は労働の質へのヴィジョンを持っていた。
・第一段階の開放系技術はいわゆる室内空間をつくるための技術に関しての体系的整理である。現在それはインテリアデザイン、プロダクトデザインと呼ばれている。自分の空間を考えてみよ、いかに自分の身体がそれに関与しているか。
・第二段階の開放系技術は、いわゆる「住宅」ステージである。アメリカのDIY産業、日本のDIY産業、共に市場に大きなポジションをすでに得ているが、まだ不充分である。徹底的な個別対応能力が欠けている。また「住宅」はすでに産業構造として定着しているし、それは強大なものであるから、開放系技術による住宅イメージは、それに対応し得るモノとして描かれなければならない。
・2001年現在わたしたちはコンピューターによる大変革期を生きている。
・第三段階の開放系技術の対象は建築である。モダニズム(近代建築)は観念的な普遍を目指した。今日ではそれは形骸化した形式になった。コンピューターの普遍化を使用した、個別の建築を開放系技術は目指す。その入口は、マイノリティーの建築である。モダニズムの枠の外にあった、マイノリティーのための建築を考えることにより、モダニズムの限界を超える。 ・第四段階は、より広く、まち、都市を対象とする、コンピューターによる、より高次の市民参加が前提となるだろう。 - つづく -
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