三好シュターク綾のボスニア通信 1

Introduction
1998年ニューヨーク、ボスニア・ヘルツェゴビナとの出会い

ボスニア通信なのに、ストーリーはニューヨークから始まります。修士課程在籍中2年半暮らした、ニューヨーク州中央に位置するシラキュース市は、全米屈指の難民受け入れ数を誇り、行政が市民団体(NGO)や民間企業と協力して、米国政府に認定された世界各国からの難民の再定住を促進しています。当時、難民問題が研究テーマであった私は、この再定住支援事業に参加し、私を3年余りのボスニア生活に導くことになる、ボスニア人一家を担当しました。それまで未知の国であったボスニアですが、彼らの歴史、民族、紛争、難民問題について学ぶにつれ、多くの難民が果せない本国帰還を実現させてあげたい、と考えるようになったのです。(後に、理想と現実の大きなギャップを痛感するのですが。)そして修士課程修了後、ボスニアの首都サラエボ市を拠点に、国際開発援助機関で難民援助関係の仕事に3年間従事しました。昨年、結婚を機にボスニアを去り、つかの間のドイツ生活を経て、6年ぶりに帰国。現在はボスニア事業のコンサルタントを続けつつ、建築の素人として石山修武研究室にて修行中です。

ボスニア通信では、私自身の経験、知識、調査に基づき、生活者・素人の視点からボスニアの住宅・建築事情を政治、経済、社会状況を踏まえ、ストーリーにして毎週1回発信します。一見遠い世界の話のようですが、困難な状況を生き抜く人々の知恵と工夫(時にずる賢さ)は、チャレンジングな生活を送る私達の参考になるはず。また、難民、貧困、民族問題を経験する人々の日常生活にスポットを当てる試みは、石山研究室のテーマのひとつであるワークス・フォー・マイノリティに通じるものであると考えます。

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石山修武研究室
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