三好シュターク綾のボスニア通信 3
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ある地方都市経済の法則 アメリカで国籍とマイホームを手に入れる方法 というわけで、ボスニア難民の一家は、町から町、国から国へと移動を余儀なくされた後、アメリカ合衆国政府に難民認定されました。これでテロとの戦いに送り込まれないない限り、再び国を追い出されることはありません。ここではどうもドイツ語が通じないようだし、ソーセージやビールの味もいまいちだけど、気を取り直してまた一からスタートです。一家は、難民・移民が生活の第一歩を踏み出す、町外れの共同住宅で暮らし始めました。夫婦は揃って語学学校で6ヶ月間英語の特訓、息子達はそれぞれ小学生と幼稚園に通い、猛スピードでアメリカの生活に馴染んでいきました。ちなみに、これらの生活費、教育費等は米国政府の負担です。そして6ヶ月後、夫婦は晴れて労働許可を取得、自活の道を歩み始めます。徐々に政府からの生活援助も減らされていきました。それと同時に、難民支援政策のからくりも明らかになってくるのです。 彼らが暮らす町には、世界的大手の空調設備会社が本拠地を置いています。毎日大量の空調機器が生産され、世界中に(ボスニアにも!)送られて行くのです。そしてここぞ彼らの出番。歌手、医者、建築家、あらゆる職業の様々な国からの難民・移民達が、工場のラインでエアコンや空気清浄機を24時間、交代で組み立てます。というか、彼らの労働力無しでは工場生産が成り立たないのです。統計上も、地元経済がこれらの難民・移民に支えられていることが明らかになっています。そして延々と空調機器を組み立てた暁には、アメリカ生活3年目で、国籍とパスポートが授与されます(もちろん望めばの話ですが)。更に、工場労働の経済的成果として、マイホームも比較的早い段階で手に入ります。ボスニア難民一家も米国生活4年目で共同住宅から旅立って行きました。こうして見ると、難民支援政策は、ギブ・アンド・テイクの構造上に成り立っていると言えそうです。
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