三好シュターク綾のボスニア通信 4

国際的就職活動
国境はいくつ?

ボスニア通信を始めて早や1ヶ月が経ち、有り難いことに読者の方々からの感想も届くようになりました。今回はブレイクも兼ねて、少し違った角度から語ってみます。時期的にリクルートスーツ姿の学生さんをよく見かけるので、テーマは就職活動。

以前述べた通り、アメリカ留学中に難民定住事業で担当したボスニア難民一家に大きな影響を受け、私は修士課程後半頃から、初めての職場はボスニアと決めていました。サラエボの国際機関でインターンシップをして人脈を広げ、アメリカでも在ボスニアのありとあらゆる国際機関に、FAXやメールで面接を申し込みました。そして修士論文を書き終えると、本格的な就職活動のためボスニアに旅立ちました。ニューヨークからドイツのミュンヘンに飛び、そこからは貧乏学生っぽく陸路バスでサラエボに。ドイツ、オーストリア、スロベニア、クロアチア、ボスニアと4つの国境を超える18時間の旅です。

ここで興味深いのは、同じルートを辿っても、1991年に旧ユーゴスラビアが崩壊するまでは、たった2つの国境で済んだということ。旧ユーゴスラビアは現在、スロベニア共和国、クロアチア共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア・モンテネグロ、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国と、地域情勢を反映した非常に複雑な国名になっています。ボスニア・ヘルツェゴビナやセルビア・モンテネグロのように国名に2つの地域名が入っていたり、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国のように旧体制の国名が連なっているケースは世界でも稀なことです。

私の職探しの旅は順調に続き、途中の各国境でタバコの密輸や不法入国が判明し、次々に乗客がバスから降ろされたりしながらも、無事サラエボに到着。観測史上最高と言われる大雪の中での大変な就職活動となりましたが、希望していた分野でのお仕事が見つかり、その後3年余りをボスニアで過ごしました。その間旧ユーゴ地域は更なる変貌を遂げ、今年5月1日にはスロベニアが欧州連合(EU)に加盟、クロアチアも2007年の加盟を目指しています。これからもますます国境事情の変遷が見られることでしょう。

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石山修武研究室
ISHIYAMA LABORATORY
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