三好シュターク綾のボスニア通信 5

ボスニアで我が家に帰る方法
1.民族浄化の基礎知識

ニューヨークの難民一家が故郷への帰還を果たせなかったように、多くのボスニア人にとって紛争時に離れた我が家に戻って生活するのは至難の業です。爆撃による破壊や略奪などの物理的な被害に加え、家の不法占拠、学校教育及び職業上の差別と、民族・法律・政治・経済事情が絡み、問題が多岐にわたっているからです。

ボスニアは、セルビア系、クロアチア系、ムスリム系の主要3民族と、一般的にジプシーと呼ばれているロマ人等の少数民族からなり、旧ユーゴスラビア時代には、人々はユーゴスラビア国民として特に民族や宗教の違いを意識せず共存していました。ところが、1992年からの紛争では、政治的操作により民族的アイデンティティーをことさらに強調し、主要3民族を「民族浄化」に導きました。「民族浄化(英語でエスニック・クレンジング)」とは、民族的に純粋な領土設立のため、複数の民族集団が共存する地域において、一つの多数派民族集団が他の少数民族集団を強制移動や大量虐殺することです。紛争中、ボスニアの外務大臣の依頼により、セルビア非難の語としてアメリカの広告会社が造ったと言われています。その他、政策の一環として市民に民族名を新たに住民登録書に記入させましたが、それまで多くの人々が強い民族意識を持っていなかったため、大変混乱したようです。私の友人で、政治批判も込めて「日本人」と記入した人もいるぐらいです。

こうして、混在していた民族分布図が覆されていきました。勢力的に強い民族が特定の地域を支配し、少数派となった人々は、追放、拷問、強姦、殺害など想像を絶する現実に直面したのです。この結果、20万人にのぼる死者と220万人の難民や国内避難民が出ました。そして、主人を失い空家となった他民族の住居を支配勢力の民族が不法占拠し、戦後9年目の現在に至ってもなお、我が物が顔で生活する者もいます。地方自治体が空家の鍵を管理し、不法占拠に加担していたともいわれています。

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石山修武研究室
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