開放系技術デザイン論ノート |
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石山修武 |
第一回 |
朝食の際フト考えた。飯が炊かれ、味噌汁がつくられ、昆布とキューリとネギのあえもの、昨夜の名残りの細麺のうどんと野菜が煮込んだもの、スーパーマーケットで購入した納豆パック、もらいものの帆立て貝、九州博多の小料理屋からもらってきたふりかけ等がテーブルに並べられている。 家内は自然食品に関心があるので、何がしかは大量生産・販売のシステムから外れたのが食材として使われている。しかしながら、食材として自分が作ったものは何もない。購入して、それを加工しているだけだ。 私は今、チョッと体が故障していて、それを修繕中だ。それで食事制限している。一日三食何キロカロリーと自分で定めてそれを自分に課している。そんな枠を身体に課して、それで初めて食品そのものに関心を持った。 毎日の食卓に並べられる食材の生い立ち、背景、ここ迄やってきた流通の地図を考えてみると、私達がどれ程、これ程身近な世界でさえ盲目である事をすぐに思い知らされる。ネギだってキューリも、昆布も何処から来ているのか知らない。自然食品は千葉県館山三芳村からやってくるので、それだけは全体とは言えなくても一部は把握できているようだ。他は全く背景も何も視えない。特にスーパーマーケットで購入した納豆がそうだ。薄いプラスティックの容器には、カップ、うまい納豆、最上とプリントされている。最上の川下りの情景もプリントされている。オレンジと青の二色刷りだ。製造元は山形県新庄市のS社のようだ。容器には、遺伝子組み換え大豆は使用しておりません、と明記してある。こんなに明記するのを見ると、遺伝子組み換え大豆というのがあって、それは食品として何がしかの悪影響を人体に及ぼすのが、この納豆生産業界では生産者も厚生労働省の食品管理部局でも知られているのを知る事ができる。しかし、こんな風に明記されているのを見ると、明記が義務づけられる以前はどうだったのかが気になり始める。この最上のS社とは一体どんな工場で、どんな人間がどんな風に働いているのかが知りたくなってくる。どれ位の量がどれ程の速力で作られているのかも知りたい。成分の中に、着色材なのだろう、うこんや、酒精、ビタミンCが混ぜられているのはどうしてなのかも知りたくなる。と言うよりも、毎日の食品の実体を知らな過ぎる現実が視えてくる。工場で量産されているこの納豆のような製品はまだ素性が知れる方法があるから良い方だ。ネギやキューリ、魚、肉となると眼の前が暗くなり始める。それだけではない。京都府内の工場で製造されている、ゆずぽん酢の原料は徳島の木屋平村の搾りたて無農薬柚子だと製品には唄われている。無農薬で育てた柚子を何処で搾りたてたのであろうか。どれ程の柚子が生産され消費されているのであろうか。国内産有機野菜・果実から作りましたと書かれている中濃ソース、トマトケチャップ、トマトピューレは共に徳島市のメーカー。ふりかけチーズはアメリカのイリノイ州のメーカーで、輸入元が神奈川県の会社。販売が東京都港区の森永乳業となっている。七味唐がらしは根元八幡屋磯五郎で長野市産。ブルーベリーソースは東京都町田市の企業組合製。その他、スペイン製、イタリア製の食品の数々である。 要するに食卓上は世界地図の迷路だ。こんなに食品が複雑かつ広範な経路を辿っているとは、これ等が流通するのにどれ程の人手とガソリン代を喰っているかは計り知れぬものがある。 これ等が食卓に並ぶまでにホボ四〇分くらいの時間が家内の手でかけられた。料理の道具としては包丁、まな板、ひしゃく、三穴のガスコンロ、流し台、そして市販の電気ガマ等である。 今の台所を使い出して三年になるが、電気ガマは二つ目である。前に使っていた電気ガマの具合が悪くなって、連日硬い御飯が続くようになっても誰も電気ガマを修理してみようと考えなかった。特に最近の生活体験で、洗濯機、冷蔵庫、TV、といった家庭用電化製品は修理修繕が自分では出来ないと思い込んでいるからだ。戦後間もなくの頃、所謂日本が高度経済成長を国策として始めた頃のメイド IN ジャパンの電気製品は安かろう悪かろうの粗悪品の代名詞であった。二〇〇四年の今、日本の電化製品は世界の一流品として世界市場を席巻している。しかし、それは故障すると修繕できぬ製品でもある。 日本の電化製品だけではない。 例えばカメラの名品を産み出し続けたライカだってそうだ。何年も前にライカの電化カメラを購入した。電化カメラとは古い言い方だが、要するに電子制御のイージーカメラ、俗称バカチョンカメラである。十二万円位した。それが一年も経たぬ間に故障した。カメラを自分で修理できると考えていなかったので当然写真屋に持っていった。手に負えぬと言う。ライカを買った販売代理店に持っていったら、代理店でも修理不能だと言う。代理店を介して、遂にライカの本社に問い合わせて貰った。修理可能である。但し修理代が五万円弱かかると言う。これなら、普通の新製品の電化カメラが入手できる。巨大な?が芽生えた。現代の電化製品の全ては、たちどころにゴミ製品なのであろうか。電化製品が個人の力で修理修繕が不可能であるとしたら、より高度である筈の電子製品の現実はどうなのであろうか。SONYのTVでも同様の問題に対面した事がある。
朝食の現実は色々な事を気付かせてくれる。もう電気ガマの無い台所は考えられぬ事。しかし、その電気ガマの寿命や、壊れて捨てられゴミになった電気ガマの行方の事も。あの電気ガマ、一時期は私の台所の盟主であった電気ガマは今は物質としてどのような境遇にあるのだろうか。
食卓の風景は毎日作られるものだ。しかしその風景はかつてのように単純明快に作られてはいない。あるいは人間が主体的に作り出しているとは言い難い部分が発生している。身体内を構築するエネルギーとなる食品にも、身体の外に様々な形で生活の空間を作り出す道具にも肉眼では視る事ができ難い空洞が口を開けている。その空洞の重なりが新しい闇を内在させた巨大な森、すなわち迷路を生み出している。
東京の環状八号道路沿いの甲州街道との交差点から少し羽田寄りのドン・キホーテが又、放火されて今燃えているとインターネットニュースが伝えていると言う。我家の真近なので早速三階のテラスに出て見る。インターネットのヤジ馬だ。ところが煙も炎も一切見えない。消防自動車が集まっているであろう音も聴こえない。 |
第二回 |
我家には、安売王ドン・キホーテの商品が幾つも侵入している。二階にある九百八十円のフロアースタンドは安売りが好きな長女が買ってきた。これは全高百八十cmの、まさに堂々たる製品だ。三十五mm位の黒のツヤ消しプラスティック(塩化ビニール)パイプに安物の真鍮風塗装の金物が二ヶ所ついていて、つまり百八十センチメーターのパイプは三分割が可能になっている。そのパイプの途中に廻し型のスイッチが取り付けられている。光源は暖色系の小型蛍光灯、シェードはパイプ部分と同系色の大きな盃形のもので盃部の下端は薄緑色のプラスチック部品が組み合わされている。全体のスタイルはマア、アールデコまがいである。床に接する台部分とパイプは当然ネジ込み式になっている。これが九百八十円であるとはどうしても考えられぬ。物質のヴォリューム、部品数だけを考えたって九百八十円はほとんど奇跡は言い過ぎだとしても晴天の霹靂価格である事は確かだ。長女はアメリカに長く居たので、感覚はいかにもアメリカンである。彼女が素晴らしいと思わぬかというので、それは値段の事か商品の姿の事かと問うたら、勿論そのバランスだと言う。フロアースタンドという機能そのものは、全く日本的なものではない。我家はただただ、だだっ広い納屋みたいな家だから、こんなモノが入ってきてもたじろがぬが、NDKの家にはこのフロアースタンドは明らかに不似合である。しかし、安売王ドン・キホーテがそれでもコレを売ろうと考えたのは、その値段と大きさの間に不自然な隔たりを供給できると考えたからに他ならない。なにしろ九百八十円、一間の高さ、おまけに光るのである。しかも、全体の姿は何ともアメリカ風に安物なのである。テキサスあたりの当然ブッシュ支持、大味なステーキとハンバーグ、それにケンタッキー・フライドチキンしか喰べないような人間がリビングルームの安物のカーペットをしきつめた部屋にピッタリといかにも合いそうなのである。しかし、キッチュの本場アメリカのキッチュモノとは何処かしら異なる風情もある。 何とも言えぬ風が家の内を圧するので、この製品をひっくり返して台の底を調べてみた。案の定アメリカ、中国混合製品であった。 デザイン・クオリティはUSA。アメリカン・ライティング・コマースとラベルに銘打ってある。 カリフォルニアの会社だ。USAパテントのナンバーもプラスティックに刻印されている。製造は中国である。メイド・イン・チャイナと大きくこれもプラスティックの裏ブタに刻印されている。製造元の中国の都市、工場名は無い。それは刻印しても価値にならぬか、知られたくないからであろう。
一般的に言えば販売価格は工場出荷額の三倍くらいが相場であろう。あらゆる商品の工場原価は現代の最大級のブラックボックスであるから、それを知るのは困難極まる。
この安売王ドン・キホーテのメイド・イン・USA&CHINAのフロアースタンドも、当然のようにすぐ故障した。マア、九百八十円だものねと誰も文句は言わない。しかし、これも修理の仕様が無い。部品を取り替えようにも、アメリカと中国まで問い合わせるのが困難過ぎる。通信料の方が高くなってしまうだろう。安売王ドンキに起きている連続放火事件はこんな事から起きているのではないかと推測している。 |
第三回 |
朝食の食卓から話がそれ始めているので元に戻す。ダイエーからソフトバンクへ、ホークス球団が転売されている現実については再び述べる。そもそも南海ホークスという球団は南海電鉄という、阪神電鉄同様弱小な電鉄会社がオーナーであった。今、問題になっている西武鉄道同様に大都市エリアの生活者達の日常の足を補足すべき私有鉄道の役割(機能)はまさにそれであって、それ以上ではない。そういう類の日常的な合理性を大半の企業者は失い始めている。
寄り道ついでにもう少しこの話しを続ける。先程近くのコーヒーショップに出掛けた。最初の店はドトール系の安売りコーヒー店。次に古いタイプのコーヒー専門店。ここのコーヒーは炭焼きブレンドコーヒーが一杯五百円である。味は、良く解らぬが少しは違うのだろう。
五〇〇円のコーヒーを出す店にはカウンターに一人大声で話しをマスターと交わしている年輩の客がいた。うるさい親父だなと思って、このノートを記していた。本当このオヤジはた迷惑だぜ、静かにさせてくれとイライラする頃、もう一人の、多分近所の人なのだろう男が入ってきて、ヤアヤアとノイジーなオヤジの隣に座った。当然、かなりの大声で会話が始まる。難聴の私だって聞耳立てなくっても知らず知らずに聞かされてしまう位の大声だ。
もうその時は私の耳は何ものも聞き逃すまいと臨戦態勢に入った。
急いでコーヒーショップを出て家に急いだ。歩くのは少々遠いから、自転車で火事の現場に行こうと考えた。
環八沿いのドン・キホーテの火災現場に辿り着いた。午後遅いのに、まだ三々五々以上の人が集まっている。午前の火災の最中は大変な混乱だったろう。 家の近くの安田金物店が店を閉めたのは、近くに百円ショップが開店して、パッタリ日用雑貨が売れなくなったからだと聞いた。その伝で憶測を働かせるならば、犯人はドン・キホーテに客を奪われた小売店経営者か。ともかく、この事件の背景には今の社会が抱え込む矛盾の中枢があるに違いない。
ニューヨークのWTCがイスラム原理主義者達の標的になった。オサマ・ビン・ラディン率いるタリバンは犯行声明を出し、米国はアフガニスタン、イラク戦争を正義の大義をかざして開始した。二十一世紀のこれが始まりである。 |
第四回 |
十二月十三日のさいたま市の店舗への放火により従業員三名が死亡して以来、千葉市、大阪市、東京都と連鎖的に事件が続いている。環八沿いの「ドン・キホーテ環八世田谷店」は店舗面積二階建て、延べ床面積約千三〇〇平方メートル。全焼した二階部分は約六三〇平方メートルの衣料品売り場だった。
二〇〇四年、私達にすっかり馴じんだ感のある日常の消費生活に疑問符がつきつけられた。一つはかつて日本最大の売り上げを誇ったダイエーが経営不振に落ち入り、産業再生機構のもとで再起を期すことになった事。ダイエーは戦後の日本経済の歴史を象徴的に体現していた企業であり、大量生産大量消費の一時代を築き上げたとも言える。 ダイエーは一九七二年に東京証券取引所市場第1部に株式上場、同時に物価値上り阻止運動を宣言し、三越を抜き、売り上げで小売業日本一を達成した。一九八〇年には年間売上高一兆円に到達した。しかし土地の値上りを見込んだ土地の購入=多店舗展開と消費者の動向の見誤りが加速し、九〇年代以降はその業績は悪化する一方となり、遂に二〇〇五年孫正義のソフトバンク社にその多角化の象徴でもあった福岡ダイエーホークスの経営権と株式譲渡と共に移行する事になった。コンピュータ内のサイトをビジネスの主幹とし、土地に頼ろうとしないソフトバンク社がリアルな「場所」を持たぬIT企業であった事は象徴的な出来事でもあった。
ダイエーがその創業時のアナーキーさを本格的に振り捨て、企業として完全に資本主義化した八〇年代、秋葉原は顧客=消費者を郊外の量販店に奪われ始めていた。 |
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