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ドローイング
GAギャラリーの住居展(三月二十六日〜)の為に描いたドローイングだ。こんなモノを描いてはみたが、ドローイングというのがどうも苦手だ。実際の建築設計は社会とのドキュメントである。設計者の意向、意欲にはお構いなくとり巻かれてい状況はどんどん変化してしまう。建築家のドローイングの大半はそのスピードと無関係なものが多い。設計の現像とも言うべきもの、変化、速度の無い固定されたすなわちコンセプト幻想を無理矢理に描き出そうとするものだ。しかしながらコンセプトそのものが変化せざるを得ない。あるいは変化せざるを得ぬ中から道筋を見つけ出し続けていかなければならない。それが現代社会に対するコンセプトにならざるを得ない。個人の想像力の中にあるやも知れぬ一定のルールにしたがってモノを作り続けるというポール・ヴァレリー流の方法論は錯乱の中の現代には通用しない。ヴァレリーはまだ秩序らしきものの背景を感じられた時代を生きた。今は社会そのものに秩序が存在しない。あるように視えてもそれはすぐ変化してしまう。ライブドアのホリエモンみたいな人物が楽天の中途半端なIT屋に敗退したかと思ったら、アッという間にニッポン放送買収しフジTVもねらう。ソフトバンクの孫正義が、又、そのフジTV株を狙うという様にエンドレスに変化している。しかも実質的な社会の空気の構造は何も動かぬマネーニヒリズムの世界を我々は生きている。
今、生きている社会を資本主義的ニヒリズムの世界であると言うのは余りにも簡単である。再びディケンズの世界のように精神世界は退嬰しているようにも思われる。あらゆる事象が資本主義のマネーゲームの速力、すなわち自己完結的エンターテイメントの中に縮小し、クローズドされているのは確かであろう。
このドローイングはそんな世界を描いたつもり。
石山修武
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