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■ 倉庫と引出し -3
倉庫と引出しというテーマは住宅は既に倉庫であるということから出発している。我々はまるで倉庫の様に住宅から必要なモノや機能を引っ張りだして生活している。都築響一さんが『TOKYO STYLE』で示した写真に現れている現象の本質とは一体何なのか、大量生産・大量消費の現実をイメージとして出した。昔のアメリカで「草の根」と呼ばれた若い建築家が冷蔵庫の背中を住宅から出した作品を実際に作ったという事を聞いた。これはいくつものパッケージに包まれたモノの中で暮らしている現実を、パッケージ自体を外に引っ張りだすことで消費生活の意味を明快にしたという点で、分かりやすい表現であったと思う。
倉庫や引出しといったものは何も見えるものだけに留まらない。もっとも身近で分かりやすいのはインターネットだろう。コンピュータという新種の倉庫から欲しい情報を好きなときに引き出す事ができる時代になった。情報はその速力によって消えやすいものだが、そんな空間を我々は知覚で感じとることができる。又、コンピュータが代わりに記憶してくれる。
もう一度建築空間に戻ってみる。情報の速力に比べれば、建築はどうしてもアナログでありつづける宿命を持っている。欲しい機能を備えた空間が瞬時に立ち上がるのは難しい。しかし、それでもひとたび建築に刺激された我々の知覚は空間を新しく創造していく術を発見した。その空間の主体はもはや複数であり、同時多発的におこっていく。すると必然的に一元的な空間は規定できないはずである。空間はそれぞれの人間の知覚に従って人間の数だけ発生する。基礎の上に築かれた建築空間がゆれ動き始める。建築のハードだけを空間とするのとは違った価値があり、そこに新しい知覚のフィールドを発見できると考える。
渡邊 大志
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