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016
■ 倉庫と引出し -4 〜足の喜びと目の喜び〜


  例えば、ある出発点Aと目的地Bがある。バウハウスは我々にAとBを結ぶ一直線の最短のルートを示した。これは動く道筋を平面というシステムを提示する事によってなされた。悪い言い方をすれば一元的な価値を明快に示した。しかし体験者はAからBまでの道順を創造する自由は与えられない。
 視線の喜びはまだ意識されていなかった。動線に視線が加わる事で平面は展開と初めて連続する。動く、足の喜びにいわば目の喜びが加わる。視線は図面で指示する事はできないから、見る人それぞれに空間は立体となって複雑に混成していく。

 O邸を設計するにあたって、このような事を考えてみたい。過去3回、「倉庫と引き出し」をテーマにしたページを皆さんに読んでいただいた。もう少し考えを具体的な感覚として体験していただきたいと思う。
 そもそも平面に動線が規定されるのは玄関があるからだ。玄関、つまり空間の導入部が決定される事で自ずと動線は規定される。では、そもそもなぜ住宅には玄関があるのだろうか。
 これまでに玄関がないと思われる建物ではU研のレオポルドビルや伊東さんのメディアテークなどがある。これらの建物とO邸を比べれば、O邸の方が平面らしい平面を持っている。しかし、O邸では展開を平面の連続として捉えようとしているところに新しさがある。冒頭に述べたように、バウハウスの箱は床があって、壁があって、そして天井がある。これらは歴然として分離している。そうではなく、体験者の時間の連続、不連続、その時々に視覚・知覚が発生し、平面が展開、天井伏と連続していった結果、空間と呼ばれるものが発生する。いわば空間は体験者の意識や感覚に発生するドキュメントなのである。

 動く喜びと唱えた。これはある人がAからBまで移動するとき、AからBに達するまでの何カ所かの地点に意味を与えることで確保される。つまりそこに受け手(他者)の想像力が介入する余地がある。このとき、空間は各人の動きと知覚に合わせて受け手の数だけ発生し、連続していく。それ故に空間はゆれ動き始める。全ての空間は彼らの想像力によって常に動いている。つまり、運動している。O邸で目指すのはこうした構造を空間に与える事である。揺れ動く空間については順次述べる。
 つづく
 渡邊 大志

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