週刊建築アーカイブ 週刊建築アーカイブズ 週刊建築
017
■ 倉庫と引出し -5 〜建築のディープポイントへ〜

 玄関は日本独特の空間である。皆さんがある建築を訪れたとき、一番最初に建築と対面する場所が玄関である。ドアノブに手をかけるとき、皆さんはその建築と初めて握手をしている。こうして個々人と建築は知覚を介して対話を始める。
 古来から日本建築における玄関はその建築が内包する空間への入口として特別な意味を持っていた。そして外部の門扉からその玄関へ通じる露地と呼ばれるアプローチも連続した空間として捉えた。
 千利休の茶室に妙喜庵というものがある。その露地は利休がデザインし、庭空間として捉えられた。いわゆる露地庭である。利休研究で有名な堀口捨巳も書いているが、茶室の主人である利休は、その露地を通って自分の茶を嗜みにくる客人の動きを念頭においてデザインした。妙喜庵の露地に置かれたいくつかの飛び石は、そこを通る客人と、客人を門外から案内する人間の動作から発生している。それ故に躙り口の1つ手前の石だけが左にそれて置かれている。もちろん案内する者がそこで一歩ひいて、「どうぞ」と客人の足元を照らして茶室へ案内するためである。
 利休が想定した最大の客人は秀吉である。ご承知のように、利休は秀吉から切腹を賜り、命を絶った。その後、秀吉が朝鮮半島へ侵略した。利休が小西行長が持ち帰った朝鮮の雑器や民家を好んだことを考えるとその因縁は極めて根深い。ここで思い起こすのは、映画「利休」の冒頭のシーンである。
 秀吉が茶室に向かう。おや、と彼は思う。昨日まで茶室の周りにいっぱいに咲いていた朝顔が、今日は一輪もない。はて、みんな摘んでしまったか。なぜ。茶室に入る。すると、、、一輪の朝顔。一輪だけだ。 ここにこの建築のディープポイントが存在する。この日利休が生けた一輪の朝顔は秀吉を圧倒した。もちろん、それは美学の世界においてである。朝顔が全て刈り取られた露地や、このとき床の間に掛けられた掛け軸、使われた茶器など全てのしつらえが、この利休と秀吉の無言の美の意識の相対を語っている。とりわけこの一輪の朝顔はこの2人の間の緊張感を空間化しているしつらえである。そしてそこへ導くのが露地である。
 O 邸における平面は個々の知覚によって壁、天井へと連続していく。露地を通り、玄関を抜けると床の間がある。建築のディープポイントへの入口となる露地、玄関は個々の知覚によるフラクタルな構造を持つ。連続してく時間の中で彼らの不連続な知覚的空間は発生する。つまりそれは、平面計画からの非拘束性の獲得、自由なのである。

 渡邊 大志


朝顔が刈り取られた露地の想像図


O邸の考え方を示す図

建築の仕事
インデックス
ホーム