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■ 倉庫と引出し -6 〜建築のディープポイントへ〜目の喜び -2
日本の伝統的な絵画には奥行きがない。その中で非常に興味深い空間表現と考えるのは「見返り美人図」である。17世紀に菱川師宣によって描かれたこの作品は、歩みの途中でふと足を止めて振り返ったような印象を与える。その一連の動きを我々は知覚的に感じ取るために、見返り美人は我々の知覚の中で非常に優雅に動いてみせるのである。
ここで師宣は空間を動かすために非常に細やかな工夫をしている。例えば、この絵の巧妙なところは人物の配し方である。アンシンメトリーに構成された画面は見返った先に空白を生んでいる。その絶妙な空白が、我々にその視線の先に一体何があるのかを自由に想像させる仕掛けになっている。つまり、師宣は絵画において余白をデザインすることで我々の知覚に対して訴えかけているのである。アートにおいて余白や額縁をデザインすることは現代アートの一つのテーマになっているが、それはアートそのものの定義を巡る論争であって、基本的にはそこに何が描かれているかとは関係を持たない。師宣の空白は描かれた見返り美人との相乗効果によって我々の知覚空間をふっと動かすのである。
透視図法が発見されたルネッサンス以降、西洋の絵画は外部からの1点の視線に限定されて描かれることが多い。それ故に、たとえ動いている人間が描いてあっても、それは写真の様にその一瞬だけストップした止まった空間に感じてしまう。日本人は透視図法を発見する事ができなかった。しかし、それによって逆に絵画の世界に見返り美人図のような日本独特の動く空間を発見する事ができた。このことは非常に興味深い。
このように伝統的に日本の絵画は2次元、つまりフラットである。奥行きがないということは原則的に空間がないことを意味している。この事実は日本の現代アートにも非常に根深く関わっている。例えば村上隆氏の人形アートはそのようなフラットな平面から生まれた立体である。彼の人形には空間がない。この辺りについては順次述べるが、こうした日本人独特の空間感覚を体現してみせることは建築空間をさらに豊かにする。西洋で受け継がれた透視図法の用に論理的ではないが、日本人が古来から持ち合わせていた個々の知覚の作用、細やかな感性が新しいフィールドを発見するのには不可欠である。その上で、建築という実物を作ることとのすれすれのラインを我々は歩いて行かねばならない。
渡邊 大志
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