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■ 倉庫と引出し -9 〜建築のディープポイントへ〜
:人間の動きと空間 ミ シリーズの意味1
菱川師宣の「盆踊り図」には盆踊りを踊る人間がコマ送りのように描かれている。踊っている人間の一連の動きを表現しようと描かれているので、その1つ1つの姿にも必然的に動きが表現されている。この絵をどうやって師宣が描いていったのかを想像するのはおもしろい。応仁の乱以来続いていた内乱期がようやく終わり、やっとおとずれた太平の世の江戸の町にあって、おそらく美人と思われる町娘に声をかけてモデルとし、様々なポーズをとってもらって描いていったのではなかろうか。それとも実際に盆踊り大会に出向いていって、その場で急いでスケッチをしたのであろうか。
江戸時代は大衆が初めて文化の主役となった時代である。日本においてもそれまで芸術はブルジョワジー、つまり支配者階級を対象とした文化であった。狩野派に代表されるような絵画にしても大名に依頼されてふすま絵を描いたり、屏風を描いたりするのであって、民衆はそれを目にする事すらなかったであろう。徳川幕府政権下の江戸おいて芸術はある種のエンターテーメント性を帯びて大衆のもとで育っていくことになる。それ故に師宣の描く美人画はどこかの大名や公家の娘ではなく、盆踊りを踊る普通の町娘なのだ。江戸文化の持つエンターテーメント性は動いている人間が描かれることと深く結びついている。江戸の町人にとってどういった絵がうけるのかを考えるとあまり品が良いものは好まれなかっただろう。美人が静かに座っているものよりもむしろ、汗にまみれて踊っている方が江戸っ子なのだ。ちょうど北野武が撮った「座頭市」のエンディングシーンのような感じである。つまり、この様な江戸時代というコンセプトが浮世絵の空間表現を発明した。
浮世絵はこうした動きを表現するためにコマ送りという手法と共にはっきりと輪郭の描かれる漫画のような画風をともなって発展を遂げていくことになる。つまり時間の連続とそれに伴う人間の動きが描かれる。また歌川広重の東海道五十三次や葛飾北斎の富嶽三十六景などのようなシリーズものは、実際に画面に人物が登場していなくても見る側の人間自身の想像力の中に動きを与える。このシリーズという手法もまた、コマ送りと同様に見る人間の感性を刺激することでフラットな画面にも関わらず動きのある空間を生み出している。
しかしもう一度冷静に日本の伝統を振り返ってみると、絵巻物という時間軸を伴った形態や、人間の動きから空間が発生した茶室など、そのルーツはそれまで受け継がれてきた日本人特有の感覚となんら変わるものではなく、ただ江戸においては大衆を対象としたよりわかりやすい表現が好まれたことに過ぎない。
渡邊 大志
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