■ 倉庫と引出し -11 〜建築のディープポイントへ〜
:ストーリーと動き
画号とはいわゆる画家のペンネームのことであるが、これには当然その時々の本人の思想や立場が強く表現されている。菱川師宣の場合は、「房陽」、「房国」と画号に記しており、師宣の故郷に対する気持ちがよく現れている。また、葛飾北斎に至っては勝川春朗、俵屋宗理、北斎、戴斗、為一、画狂老人卍など30回程画号を変えているが、それはそのままどれだけ北斎が画技を試行錯誤してきたかを物語るドキュメントである。その中で、特に「北斎漫画」はその題にも関わらず、実は戴斗時代に描かれたものである。北斎という一人の主体のストーリーの中で「北斎漫画」という連作自体が緩やかに流動している。
「北斎漫画」でいうところの漫画とは今日の漫画とは異なり、江戸町民の風俗画といった性格が強い。それでも町民の表情の変化として鼻息が線で現されるなど現在の漫符に近い手法を交えて表現されているという点では今日の漫画と通じるところがある。さらに連作でもって町人の動きを豊かに表現していることもパラパラ漫画のようなものの原形ともいえ、そのためページをめくって眺めていく我々の視線が町人たちの動きを生み出すのを助けている。
こうしてみると「北斎漫画」自体が「北斎」というストーリーの中で流動し、さらにそこに描かれた空間自身も動いているといったフラクタルな構造を持っていることに気づく。当然北斎はそのことを意識していたのであろうが、こうした構造を確立した上で初めて何枚の絵で一連の動きを表現するかといったようなディテールが生きてくる。それは漫画というよりもむしろ現代のアニメーションに近い考え方であろう。
例えば、初期の日本のリミテッドアニメでは1秒間に8枚のセル画が使われている。リミテッドアニメとは動きを簡略化し、セル画の枚数を減らして、労力とお金と時間がかからない様にしたアニメーションのことだが、それを手塚治虫が「鉄腕アトム」のアニメを作る際に制作費、制作時間を抑えるために取り入れている。
北斎がそこまで考えていたのかはわからないが、仮に見る人間の視線のスピードを考慮して枚数を決め、町人たちの動きを表現していたとすれば、それは非常に興味深いことである。
渡邊 大志
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