■ 倉庫と引出し -12(動くものと動かないものとの錯綜体-1)
〜建築のディープポイントへ〜:人間の動きと空間
これまでいくつかの日本の伝統的な絵画を扱い、新しい知覚的なフィールドについて述べてきた。それは日本画のようなフラットな(空間がない)世界においては、人間の動きを描いたり、想像させることで生み出されるものである。その表現方法の一つとしてシリーズものといった日本独自のスタイルも生まれた。それはいわば、多様発生と時間の連続性による多視点のフォルムであり、それ故に主体と客体が錯乱する世界である。
ここに再度示すような人間の動きが茶室の露地空間における飛び石といったしつらえを生み出し、ひいては露地、茶室といった具合に建築のディープポイントへ向かって連続していく。そのフォルムはあくまでもこうした主体と客体の錯乱にともなって常に流動するものである。前回に述べたような、「北斎漫画」の人物の一つの動きが何コマで描かれるているのか、そしてそれを見る人が1秒間に何コマのスピードで追っていくのかということへの関心はこのためにある。
前回の北斎のスケッチをもとにして作った今回の動画は1秒間に2コマの早さで作られている。ここでは一定の早さで人間が踊っていることで確かに空間が発生しているが、誰が見ても同じ早さで動くため、あくまでもこれは固定された1つのフォルムに過ぎない。つまり、コンピュータの画面上で動いているものの早さを決めることは、絵巻物を見る人間の視線の早さがコントロールされることと同じである。
しかし、これを複雑にしていくと日本のアニメのような世界ができあがる。すなわち、同じ画面上でも動く部分と一定時間変化しない(動かない)部分とを組み合わせることで、より複雑な視線の多様発生が生じるため、より多くの個人の知覚が錯綜する世界が生まれる。洛中洛外図が今でも注目に値するのは、遠景と近景が組合わさって描かれることでこの点を先駆けていたからである。
日本のアニメのルーツは鳥羽僧正の「鳥獣戯画」だといわれている。しかし、それは単にウサギや蛙といった動物が擬人化されて表現されたためではなく、見る側の視線が早く動く部分とゆっくり動く部分が組み合わさった1つの錯綜体を初めて表現したからに他ならない。
渡邊 大志
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