学校をいかに暮らすか
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早稲田バウハウス・スクールの実験 学校をいかに暮らすか→佐賀での試み 「あとがき」 より |
二十代の後半から、三十代のほぼ半ばまでだったろうか、故倉田康男主催の高山建築学校へ講師として呼ばれ、通った。この学校の始まりはジプシー生活で、毎夏の一ヵ月を共に過ごす校舎を求めて転々と流れ動いた。飛騨高山数河峠の廃校を初めに、山形作造原、秋田藤里といずれも山の中の置き捨てられた木造校舎を借りての建築学校だった。いささかの感傷を込めてつぶやけば、まことに懐かしさにあふれた学校であった。倉田校長の人柄もあったのだろう、生松敬三、小野二郎、丸山圭三郎、木田元といった哲学者たちも寄り集い、建築哲学談義に花を咲かせた。ここで私は鈴木博之等同世代の史家、建築家達と出会い、友となった。遠くに北アルプスの白い峰々を眺め、月見草咲き乱れる径を歩き、喚声を挙げて岩魚取りに興じ、良く酒を飲み、議論をした。 倉田康男はある意味では悲劇的な校長であった。心中に鬱々として晴れぬものを常にもちながら、その暗鬱なものの正体を突きとめる為にサマースクールを運営していたのだった。海老原一郎設計事務所で尾崎記念館、日本バイリーン滋賀工場等を担当し、その後独立して自分の設計事務所を構えていた倉田の実作は典型的日本型モダニズムとも呼ぶべきもので、正直なところ関心が無かった。恐らく倉田自身にも満足のゆくものではなかったろう。倉田が教師として属していた法政大学の建築学科は大江宏が中心にいて、大江も夏の数日を高山学校で過ごすことがあった。大江は丹下健三の明晰好みに対し、ある種の複雑さへの深い関心があり、それが混在併存を旨とする建築スタイルにつながっていた。倉田のロマンティックモダニズムとは異なった世界観がそこにはあった。高山学校ばかりではなく東京の大江宏宅等で私たちは随分多くを彼から学んだ。「近道をしちゃだめなんだ。ウーンと遠廻りして建築を考えなさい」今でも時に思い出す言葉だ。 倉田は校長であったが、実は、一番影響され、揉みくちゃになった生徒でもあった。年長者大江宏、若年からは鈴木博之、そして私と同世代の建築家たち。特に、私たちは生意気盛りで、金も仕事も無かったけれど、時間はあったから遠慮無く倉田校長を襲撃し続けた。倉田は決してひ弱な人ではなかったが鈍感ではなかったから、随分と傷ついていたにちがいない。やがて倉田は実作から遠ざかっていった。私も鈴木も何となく高山建築学校から足を遠のかせた。私塾であった高山建築学校生徒が建築家として数多く頑張りだしたのを風の便りでよく聞くようになった。毎夏のたった一ヵ月のサマースクールだったけれど、あの山の中の学校には濃密な空気が漂っていた。教師学生は寝食を共にして、一日中が、生活そのものが学校だった。倉田の哲学論と実作はほとんど無縁であったけれど、鬱々として自分自身の矛盾に対面し、悩んでいる倉田を皆は好きだったのだろうと、今にして思う。思うようにならぬ人生をさらけ出して、矛盾だらけの、木田元がいみじくも言った「老いたターザン」のような人間を、そのジタバタぶりを私たちは心の奥底で、好きだったのだ。理論や技術そして才質だけで人は決して動かない。 早稲田バウハウス・スクールを開設しようと考えた時、これは高山建築学校の継承でもあるなと思った。相談した鈴木博之もそれは感じていたに違いない。私は倉田ほどの勇気の持ち合わせがないから、一身を打ち捨ててボロボロになるのは御免だ。あんまり山の中で議論に熱中したり、酒に明け暮れするのは危険なのだ。都市の、あるいは社会の渦中にスクールは設けた方が良い。それから、講義と実習はバランス良く組み合わせて、講評を主にしなくてはいけない。できれば日本人だけでなく、国際化とは言わぬが、外国人も多くいた方が良い。私たち自身を客観化できるから。 それらはみな、倉田の高山建築学校の体験から得た教訓である。もうひとつ、建築家は建て続けなければ価値が薄いこと。これも学んだ。倉田の建築学校は倉田自身のつくることを不可能にしてしまった。これではいけない。早稲田バウハウス・スクールは参加する教師も学生も職人も、参加することによって具体的に、つくる機会もその内容もより充実したものになる場所になるよう努力を続けなければならない。 学校をいかに暮らすか、それは難問のようで難問ではない。学校は普段の日常生活の中で時間がキチンと濃密に凝縮された場所で、そこでの時間はコミュニケーションの運動の時間そのものだろう。人に出会い、刺激を受け、影響されるくらい楽しいことはない。私たちのスクールはその楽しみを目指して進行している。
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『早稲田バウハウス・スクールの実験 学校をいかに暮らすか→佐賀での試み』 早稲田バウハウス・スクール編、TOTO出版刊、240頁、1714円+税 |
2001 年春 早稲田バウハウスは佐賀に提案します展覧会 bauhaus waseda joint architecture workshop2000 at Bauhaus-Universitaet Weimar |
石山修武研究室 ISHIYAMA LABORATORY (C) Osamu Ishiyama Laboratory ,1996-2001 all rights reserved
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