Kirtipur Diary 04 - 2012.07.28
It was forty years ago when I visited Kathmandu Basin for the first time. I was overwhelmed by the greatness of the reality in India. I then fled to Nepal. From Patna, I travelled over the the Daman Pass, over 3,000 meters high. In the next morning, Kathmandu Basin was covered in a deep fog.
キルティプール日記 04 - 2012.07.28
カトマンドゥ盆地を初めて訪ねたのは40年弱も昔の事だ。初めてのインドの旅でその現実の凄絶さに圧倒された。打ちのめされてネパールに逃げた。パトナから車で3000メーターを超えるダマン峠を越えた。明朝、カトマンドゥ盆地は深い霧に包まれた。
白い霧の中で人々は夢の如くにうごめき街のいたるところの寺院の順拝を続けていた。
圧倒的な体験であった。
この世とあの世が溶融していた。
それから、何度もその体験をもう一度味わいたくってカトマンドゥ盆地を訪ねた。しかし二度とあの霧の中の都市と人々が溶けている姿に会う事はなかった。あの早朝の霧に融けたカトマンドゥはたった一度の奇跡であったのか。
あの時も陽が昇ると街も人も素っ気無い、ちょっぴりエキゾチックだが、どこと言って特別なモノは見当たらぬ地上の現実に一転したのを記憶している。四十年弱の時間の経過の中で、たった二時間程の一瞬のアレは光景であったか。
しかし、あの体験がわたくしをキルティプールの丘に向わせたのだ。
Kirtipur Diary 03 - 2012.07.26
Dream and reality are not clearly divided nor systematically organized, as they are normally perceived. Within human brains, they are melted down.
キルティプール日記 03 - 2012.07.26
夢と現実はそれ程意識あるいは常識的な知覚能力の限界が考えたがる程に区別、あるいは整然と区画整理されたものではない。それは人間の脳内ではメルトダウンしている。
2015年の秋である。
2012年夏現在、ネパールは毛沢東主義者に事実上占有されている。わたくしの夢も実に巨大な困難に封じられ、大きな壁が立ち上がってはいる。
それ故にこれ等のドローイングに描いた世界の実現には赤裸々な政治的戦略を必要とする。具体的に言えば中国文化圏(台湾を含む)を介在させる必要がある。2012年の8月にドイツのツィマーマン氏と台北の李祖原氏と北京及び台北にて会談するのは、それ故にとても重要な事だ。
Kirtipur Diary 02 - 2012.07.25
Yesterday and today, I have drawn four pieces of sketches. One of the sketches is entitled "Kathmandu basin viewed from the Valley of Kirtipur". Other drawings must be the in-brain model for my works after Hiroshima House in Phnom Penh.
キルティプール日記 02 - 2012.07.25
昨日と今日とでドローイングを4点描いた。「キルティプールより視るカトマンドゥ盆地」。他は「ひろしまハウスinプノンペン」以降のわたくしの仕事の脳内モデルになるだろうと思われる。
少しばかり自分でもギリギリのところ迄描いていて、ウェブサイトに発表するのは大きな誤解を生みかねぬと考えた。それで4点目は「キルティプールの家」を描いた。家の前の重要なテラスに架ける天幕の、フレキシブル・ソーラーシートそして家の屋根には農業用温水ダクトと、いささか技術的なアイデアも描いてみた。家の南の壁を黒くしたのは美的な意識からではない。プリミティブ・ソーラーハウスの今では古典とも言うべきワイヤット・ヘイのアイデアを流用した。
でも、それでは自分に不正直なのは露骨なので、小さくツバメとニワトリの親子の行列を描き加えた。
Kirtipur Diary 01 - 2012.07.16
These are the sketches for a basecamp, planned to be constructed in 2012, for our projects at the valley of Kirtipur, located in the Kathmandu basin in a Himalayan country - Nepal.
Although it may be difficult for people from the Christian and the Islam cultural sphere to understand, in the Buddhism cultural sphere, the root of the shape of hummock is represented by stupas. The tent for our basecamp is designed with respect for the form of these stupas.
キルティプール日記 01 - 2012.07.16
2014年春にわたくしは自分でも驚く程に長居した大学を脱ける。教師はもう卒業だ。それで今、2012年初夏は新しい仕事場をしつらえるのに頭がいっぱいになり始めている。2014年はとりあえず世田谷村の地下が広いので、そこで準備運動をする。でも、ここは35坪位はある地下室とはいえ2階3階の住居と一体なので皆でガヤガヤするのは好ましくない。世田谷村に1階は今は無い。ピロティ空間である。あくまで地下は独りを中心の、まさに工房的な仕事場になるであろう。徹底的にここは時代錯誤としてやる。何しろ地下である。錯誤せねば生をまっとうし難い世に増々なっているであろうから。
2015年の秋、すなわちカトマンドゥ盆地の雨季明けを待って、キルティプールの、ここに示す計画を実現する為のベースキャンプを設営する。ベースキャンプは、まさにキャンプであり、建築ではなく、物理的にはより軽い天幕である。そのスケッチをここに示した。
カトマンドゥ盆地は古代、巨大な湖であったと言はれる。盆地最古のストゥーパである、スワヤンブナート寺院の有名な目玉はその風景を恐らくは眺めていた。つまりスワヤンブナートへの長く高い今の階段は太古の湖のほとり、つまり水際から、湖面から脱け出す為の装置の名残りであろう。
カトマンドゥ盆地の仏教寺院すなわち円球の形を母体としたストゥーパに接する度にわたくしはローマのパンテオンを憶う。そして、パンテオンの巨大なドームの天蓋と、仏教寺院の内部空間の無い、内は恐らく石や土くれだけの球形に思いを致すのである。インドのサンチーのストゥーパが仏教最古のストゥーパであると言はれる。BC3〜1世紀のものだ。ストゥーパとドームの形式の初源は恐らく同一のモノである。それは裸形の古代人らしきの宇宙観の率直なあらわれであった。ヨーロッパのドームは内部があった。仏教のそれは内部が無い。と言うよりもみっちりと何かが一杯につまっていた。
シャキャ族の王子であったシャキャムニすなわち仏陀が悟りをひらいたとされるインドのブッダガヤにはドームの形状はない。そして不思議な、これも又、内部の無い塔状の固まりが継承されている。
このドローイングは、キルティプールの丘の北の端に近く建てられるであろう、わたくしの終の棲家をつくる為のベースキャンプのスケッチである。
間近に古代仏教のアイコンであった円球の内部は無かったが、強い外形そのものであった円墳、すなわちストゥーパが、宇宙の原理の形すなわち神にも似た姿になり代ったストゥーパが、内部の技術的実現の代りに、宇宙の真理を凝視するという、眼球を強く根本の構造の中心として身にまといながら在る。それはキルティプールの丘のわたくしのベースキャンプらしきも視つめている。
貧しいわたくしの天幕も、実に気持の中ではスワヤンブナートの、更には古代仏教のストゥーパの初源と同一なモノなのである。
天幕の姿形はヒマラヤの山容をまねている。