旅行カバンの奥底を片付けた。どこのものだったか、うろ覚えの領収書や、切符の半券がたまっていた。すぐに捨てれば良いのに、何となくそれもせずに、ただただ意味も無く保存されていたものだ。
誰の身の廻りにも、良くある事だろう。
ひとわたり、チェックしてゴミ箱に捨てた。幾つかの旅の状景がサッと思い出され、すぐに消えた。破って捨てる事が出来ない紙片が何点か残った。
捨てられない。
それに全く記憶が無いからだ。
日付も、場所も、人の手掛かりも何も無い紙片が二点、残ってしまった。
A4判のコピー用紙らしきが一枚。目の粗い和紙の小片が一つ。この二つに全く覚えがなかった。
特別な記憶力を持つわけではない。しかし、人並みはずれて物忘れが激しいわけでもない。と、思う。自分で仕舞い込んだモノの記憶が失くなっている、それが不思議だった。
A4判のコピー用紙らしきは少し寸足らずだった。上端か、下かが少しばかり切り取られていた。住所や、電話番号、メールアドレスがそこに書き込まれていたとしたら、それは消されていた。FAXで送られてきたものだとしたら、送信者の番号、その他一切の情報が消えていた。
記憶を失ったのか、記憶を消されたのかは解らない。旅行カバンに何のいわれも無い二つのカケラが残されていた。
A4判に少し寸足らずのコピー用紙は四つに折られていた。郵便の封筒に入れられていたものなのか、どうか。どうして旅行カバンの底に残されていたのかの、記憶が無いのだから、手許にきた経路だって解らない。
ザラザラの和紙の小片は横二十二センチ、縦十四センチで、縁がフワフワに漉かれている。古びているような、新しいもののような。中央に横十センチ、縦七.八センチの穴が開いていて、そこには何も描かれていない、薄い和紙が貼り込まれている。この部分に何かが描かれていれば、何かがピッタリと納まるようなのだが、消されたように何も無い。だから、これが何ものであるかの手掛かりにはならない。
四つに折られたコピー用紙らしきを開く。これにはビッシリと書き込みがある。しかし、手描きの四角の群と、それに記号が書き込まれているだけだ。
横に4つ、縦に4つ、総計十六の四角が描かれている。手描きの四角だから、大きさは皆ちがう。一つの四角に寸法線が描き込まれている。横十センチ、縦七.八センチとある。ザラザラな和紙の中に開けられた四角い穴の寸法である。
どうやら、和紙の中の穴にはめ込まれた薄い紙の寸法である。何も描かれていない空白が、空白のままに、十六コマのレイアウトのフレームとして描かれているらしい。
全ての四角には記号が印されている。横列はY、縦列にはXにそれぞれ、一、二、三、四の数字が付けられている。X1、2、3、4系とY1、2、3、4系の組合せで十六の四角の位置関係が指示できる仕組みである。
それだけでは、どうという事はない。不可解なママに保管する必要も無かったろう。ゴミにして、捨てられなかったのは、この十六コマの四角の中に、それらの記号の組合せが幾通りか、何かの意味あるかのように記されていたからだ。
おまけに、その数式状の配列には、紙には在りかが記されていないZ系の記号が交じっている。
何かの立体を暗示しようとしているのが知れるが、勿論その指示の意味は知りようがない。
更に、その三系列の記号の配列に矢印が描き込まれている。上を向く矢印、下向きの矢印、回転する矢印、螺旋の矢印、うねる矢印、が全体の四角の群の配置に、生命があるような動きを与えている。
一体これは何か。
暗号のような、抽象画の下描きか。あるいは物語のト書きか。映画のシナリオか。抽象的な線と記号の羅列が、うごめいている。何かの呼びかけのような、通信のような、時には呪文のように語りかけているような気がして、それで、どうしても捨てられなかった。
四角く抽象的な生命体。全体の印象はハッキリと何かの思考法を暗示しているのは間違いないようだった。
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