木本一之展の設計・時の谷の設計
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>> 立体の再生
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時の谷の設計
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時の谷の設計図
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時の谷の造成
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金属造形 木本一之展 2007 Kazuyuki Kimoto's Metal Works 9/11(火)- 9/16(日) HIROSHIMA gallery G会場計画 石山修武研究室
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工房で作業する木本一之氏
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木本一之展の設計
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時間の谷の設計
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木本一之展の設計
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時間の谷の設計
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影の椅子
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時間の谷の池「X」と天体の運行を関連づけて考える
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エンドレスハウスにおける 色彩時計のスケッチ
出典「環境芸術家キースラー」 山口勝弘著 美術出版社
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XとWの木本一之についてのおしゃべり その2
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Xはしゃぺり続ける。しゃべる形式をとらないと、とても自分自身にいたたまれぬのだろう。
「W君ね、すでにありとあらゆる椅子はデザインされ尽くしている。現実世界の最高峰チョモランマが初登頂された時、スポーツ登山が確固たる目標を失ったような状況になっているんだ。」
「いきなり大きく出ましたね。小さな椅子のデザインの話しなのに。」「マア聞いてよ。作品としての椅子であろうと、量産商品の椅子のデザインであろうと、ありとあらゆる素材、形、製造方法は、とりあえずは極め尽くされ、アイデアは消費され尽くしているんだ。その事を我々は前提にしなければならない。君が熱心にやっているスケッチの一つ一つは、すでに既視世界の住民なんだ。」
「そう言われても、デザインが好きな人間はまだいるのですし、それを承知でやるしか、やりようがないのじゃありませんか。」「それはそうなんだが、それはたくさんのデザイナー達にお任せすれば良い、という割切り方もあるぞ。」「どういう事ですか、その割切り方っていうのは、もっと具体的に、お下品に教えてくれたし。」「年上の者に、クレたしとは何だ。失礼だぞ。クレヨ、クレヨン、クレタマエ、クレルベキだ、クレロ、クレロラー、くらいは言い給え。」「無駄な科白ですよ、今のは。」
「イヤーッ、失礼、自分でも何とかお下品にでも面白がらなくちゃ、正直、やってらんないのよ」「それは解ります。解るような気がする。それで、その先。」「何年も前にね、12人の友人達に椅子を勝手にデザインして贈る、っていう計画を立てた事があるんだ。スケッチもしたし、模型まで作ったんだ。でも停止してしまった。贈る理由がどうしても思いつかなかったから。
たとえば、歴史家の鈴木博之氏には「書記」の椅子っていう、エジプト彫刻から発想した真鍮の椅子をデザインしていた。山口勝弘先生には円錐形のメタルの、宮脇愛子さんには黒いガラスでね。
だいぶん進んでいたんだ。こっそりやっていたから、自分でもな何か本物な事をやっているって自覚があったんだ。」「どうしてやり通さなかったんですか。」
「だから、贈る理由、確然たるコンセプトが、物語が発見できなかったんだよ。」「そりゃあ、12人にオリジナル家具を贈るっていうのはお金もかかるでしょうしね。一脚 50 万かかるとしても 600 万円かかっちゃいますよね。しかも物だけでね。その他諸々で一千万円でしょうね。」「俺の試算では、全てその倍、二千万円かかるのさ。またそれ位やらないと価値ないしね。その金をひねり出すまで情熱が出なかったんだ。」「今日はヤケに正直ですね。」
「そういう事。贈る理由が発見できなかったってのは、直訳すれば、そういう事になる。残念ながら。
だからね、唐突だけど、木本君と一回だけの展覧会をやろうと思うのさ。オークションで椅子は売っちゃうんだ。」「だけど、それでは贈る人の名を付ける意味がないじゃないですか。」「いや、名を付けた人に一カ月だけ使ってもらうんだ。それでその歴史付き、キャリア付きのものとしてオークションにかける。」「モンロー・チェアのリアルb版ですね、それは。」「君、今日は珍しく冴えてるよ、どうして解った。」「モンロー・チェアは、マリリン・モンローの体のラインを椅子に写したという、磯崎新さんの機知が取柄の椅子でしたよね。Xさんのアイデアは、それを御本人に一度所有してもらって、新品なのに中古品として再生して価格をつけようというアイデアですね。」「まことにその通り、茶器みたいなものだな。それを面白がってくれる画廊か、美術商はいないものかねー。」「マ、いないでしょうね。」
「そうかなあ、成立すれば、商品としてのデザインにとっても画期的な事になるんだけれどね。
椅子でありながら、そのまま世界の一部、歴然たるカケラとして歴史化できるんだけどなあ。
このアイデア、誰か投資してくれないかなあ。」「そういう事を考えつくって事自体が変なんですよ。似合うような、似合わないような。日本では駄目でしょう。アメリカか中国はどうなんでしょうね。」「いやね、それも考えたんだけど、一カ月だけ座ってもらいたい友人が皆、日本人なんだよ。
アメリカの美術界で、アメリカ人がやれば、かなり受けるだろうけどね。
いきなりニーチェの椅子ったって、浮き過ぎるだろう。」「それはそうです。日本のマーケット中心に考えてきたツケが廻っているんですよ。でも、Xさんは本当に日本が向いてない。」「マアそう言うな、木本一之とも相談してみよう。」
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木本一之展の設計
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時間の谷の設計
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作品の名前について
木本一之氏の金属造形個展の会場設計をするに当たって、スタートポイントにしたのは、氏の作品に対する命名の不思議さ、巧さに心動かされた事である。造形力の的確さはもう言うまでもない。誰でもが大いに認めるところであろう。
しかし、それにも増して見る人の気持ちを、想像力らしきをふっくらと膨らませてくれるのは、その作品に彼自身が与えた名前なのである。抽象的思考だけでは具体の形は誕生しない。それであれば作品には機械部品のごとくに、 I 、 II 、 III 、A、B、C、と番号がふられれば、それで良いはずだ。
木本作品の今現在の特色は、その作品に、あり得ぬ国の、はるか遠い土地の地名かなと思えるような、不思議な名前がつけられている事だ。その事を本当に面白いと思った。
それで、その感じ方を会場設計のテーマにさせてもらった。
木本一之展は、その見事な作品群を、その作品名を並列させる事で、一枚の地図のごとくに設計したのである。
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時の谷の細部に与えられた 地名について
ありとあらゆる地名には、かって、それなりの意味=歴史があった。
近代化、さらには今現在のグローバライゼーションは、あらゆる細部の意味=歴史を剥奪しようとしている。全て記号化、番号化しようとするのだ。その方が管理しやすいから。
我々は、鬼沼の一つの谷に「時の谷」という名を与えた。しかし、この地名は決して国土地理院の地図には記載されぬだろうし、どんな公的な地図にも現われようともせぬだろう。
ただ、ただ、我々が発信する情報=メディアの平面の中にだけ出現するのだ。
この谷に出来るだろう遺跡じみた劇場に棲みついてしまった人が出現したとしよう。その人物が友人に手紙を出す。福島県湖南町、時の谷、忘れられた劇場内、なんてアドレスを書いたとしよう。この人物への郵便物は決して本人には届かぬであろう。
一つのフィールド内に、今の現実とは少しズレた地名を付与してみる。与える名前の拠り所となる物体や痕跡、兆しのごとき群を、出来るだけ、徹底的に独りよがりに与えてみる。そうすると、そこに歴然と島が生まれる。
類い稀な文明批評家であったスウィフトの飛ぶ島や、リリパット国のごときが出現する。あるいは賢治のイーハトーブや、井上ひさしのひょっこりひょうたん島が、現実の中に出現するだろう。
時の谷の細部に、どれほどの地名を付与できるかは、我々の精神の自治区をデザインするに同義のことなのだ。
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木本一之展の設計
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時間の谷の設計
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フレーム内に現れるスクリーン状の空間
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計画の軸上に配置された 3つの池と猪苗代湖から始める
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木本一之展の設計
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時間の谷の設計
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XとWの木本一之についてのおしゃべり その1
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「Xさんが木本一之さんを単独者と、チョッと格好いい呼び方をしているのは何故です。」
「それは、大事な事なんでいずれ話したいけれど、今日はふさわしくないよ。抽象的な話に流れやすいから。でも要するに山口勝弘先生と同様な独身主義者である事につきるかな。」
「それでは今日はその問題はそれ位にしておきましょうか。」
「そうしてくれたまえ。今日はね、木本一之さんと家具の話しをしてみたいんだよ。今日も、以前作った木の家のその後を見てきたんだけれど、とても強い実感を持ったんだよ。それはね、自分はあんまり木という素材に愛着を持たないって事に、ようやくにして気がついたんだ。又、誤解かも知れないがね。それはね、木本一之さんという金属造型作家の仕事を見てきて感じた事とよく似ているんだ。勝手な言い草になるけれどね。
木本さんの住んでいるところは、広島県でももう島根県との県境間近のところなんだ。中国山地というのは日本列島でも一番古い老年期の山々なんだ。山も谷も鋭い凸凹が無く、なめらかに水にけずられている。地質学的に丸やかな、成熟し切った老年の相だ。
木本一之さんもそんな印象の人だよ。顔だってホントにブランクーシの楕円そのものみたいに安定感があるだろう。晩年のル・コルビュジェがそんな石を集めて、眺めていたってのは有名な話しだけれど・・・・・・。
又、無責任な言い方になっちゃうんだが、僕はね、いずれ木本一之さんは石の造型を始めるだろうって予感がある。」
「それは、余りにも、ほとんど失言に近いんじゃないですか。」
「いいんだ、もう失言だって妄想だって、許してもらうしかない。
木本一之さんは素材を自由に扱える作家になるよきっと。そう思ってね、大分以前に木本一之さんに石どうろうの制作を頼んだ事もあるんだ。」
「エーッ、本当なんですか。どんな石どうろうなんです?」
「中国山地の河の河原の石、丸い丸い石を積み重ねて作ってもらったんだ。鉄の枠で構造体作ってもらってね。」
「面白そうですけど、上手くいったんでしょうか。」
「君ね、面白い事がそんなに簡単にアッサリ、上手くゆくわけないだろう。マ、世に問う程のモノにはならなかったけど、アレは面白かった。木本君の工房に今でも転がってるけどね。」
「イヤー、一度見てみたいな。」
「丸い石は何億年もかけて丸くなってるんだから、人間なんかよりズーッと偉いんだよ。それを木本さんはきっと知っている人なんだ。中国山地の数億年が生み出した人なんだから。
まあ、それはアイデア倒れだったけれど、いずれ木本さんは再チャレンジしてくれるだろうと思ってる。
本当に何時になるか解らないが、木本さんは石を扱うようになるよ。見ててごらん。
でもね、木本さんに家具のようなものを作ってもらうとしたら、僕はその前に、木を扱っていただきたいと考えてるんだ。」
「エッ、それは何故なんですか。」
「いや、直観にしか過ぎないんだが、鉄をあれだけ自在に扱える力を持っていれば、木はズーッと柔らかいからね、手の内に入る位に思う存分の形を作るにちがいないと思うからさ。」
「円空の一刀彫りみたいなのですか。」
「ホウ、知ってるな。それにアントニオ・ガウディだって家具では鉄同様に木を自在に扱っているだろう。」
「それは面白そうだな、円空的ガウディか。」
「イイ加減な例えをするなよ、世間に笑われるぞ。実は今、世田谷村の一階のガランとしたところに一本、大木の切端が転がしてあるんだ。諏訪大社の山から切り出したもんだ。もう二年位放ってある。
そろそろ、手をつけてみようかと思い始めてる。そのデッカイ丸太を彫り出して椅子を作ってみようと決めてるんだ。木本さんに本格的に試みてもらう前に、自分でも一度、木と本格的に切り結んでみたいのだよ。」
「大ゲサですね、素材と対決するんですか。」
「そうだよ。本当に自分は木に愛着が無いのか、体で知りたい。木に関心がないって事は、日本になじめないって事と同じだろ。」
「そこ迄考えなくたっていいようにも思いますけどね。」
「イヤ、俺はそこ迄考えちゃうの、この性格はもう直らないし、直す気もないんだから。」
「お好きなように。それで、いつから始めるんですか、その作業。デザインはもう出来てるんですか?」
「今度の日曜日に始めるよ。先ず、道具のなにがしかを用意しなくちゃならないけれど。」
「ナタとか、ノミで彫るんですか。ひどく原始的ですね。」
「色々と考えればキリはないけれど、でも、やってみる。仕上げをごろうじろだ。」
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木本一之展の設計
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時間の谷の設計
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3
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福島県鬼沼・時の谷の計画では、強い方向性を持たせる事がテーマです。広島県・ギャラリーG・木本一之展では、スケールは異なりますが、同様に計画の中心に木本一之作品群のオブジェクト群を、その美しさ、実体の力から離 脱したメディアとして見られるように工夫しています。
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広島・ギャラリーG
木本一之作品群を、メディアとしても読むことが可能なように、工夫してみる。
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2
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いくつかのスケールアウトした立体を平面に投射して得た計画の軸。いずれ短く名付けたいと思う。
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これまでの立体表現の中で展示空間を表現しようと試みた図。
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木本一之展会場プラン
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時間の谷における強い方向性
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「時間の谷における強い方向性」
日本の福島県猪苗代湖畔、25haのサイトに建設中の計画の一部である。時間の谷と名付けた計画を中心に、ここでは計画案の進行と共に、それに費やした思考の一端を示してみる。この図は、いずれWの記述が始まるだろうが、いささか誇大妄想的発想そのものの価値を示したいと考えて作られた。建築設計図に必ず印される北を向いたオリエンテーションマークNについて、その意味を考えようとしたものである。
鬼沼の時間の谷ゾーンではWの記述の如くに、オリエンテーションの古典Nがそのまま実体化されようとしている。
それを、強い方向性というデザインの力で示そうとしている。
強い方向性を示す軸を建築的に、ランドスケープとして、どのようにデザインでき実体化できるかが見どころである。
同様な考えが木本一之展会場設計でも試みられる。
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プロローグ:交信
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木本一之様
個展会場設計上、知りたい事が浮かんできました。
15 の作品に、それぞれ名前が木本さんによって与えられています。名前を与える由来など、ありましたら教えて下さい。
例えば、「森の番人」という名前は実物作品が先ずあって、その後つけられたのでしょうか。それとも、「森の番人」という言葉が先で、それを実物が追いかけたのでしょうか。さしつかえない範囲で教えていただきたい。
六月二十七日
石山修武
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石山修武様
作品とタイトルの関係ですが、私の場合は、まず「かたち」が浮かんで作品をつくり、その後で、しっくり合うような「言葉(タイトル)」を考えています。
しかし、作品づくりには時間が掛かるわけで、制作の途中にはすでに、タイトルも浮かんで、完成の頃にはもう決まっているものもあれば、完成後しばらく時間をおいてからタイトルが浮かんでくる時もあります。
私の場合は、長い間一つだけのテーマを追っかけているのではなく、その時々で興味あるものを、いろいろと制作しています。
ですから、かたちやタイトルもその時々の興味や気持ちがいろいろと反映されているような気がします。
例えば、「森の番人」は、20代後半を過ごしたドイツ、ゲルマンの森が私の意識の中に強くあります。
2007/6/28
木本一之
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石山修武研究室
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ISHIYAMA
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