佐藤健氏への弔辞

石山修武
 人間の形は亡くなって初めて明らかになると言われます。健さん、あなたの死に際はそれをハッキリと思い起こさせてくれました。多くの人々が同意してくれると思いますが、毎日新聞紙上に連載された死への記録こそはあなたの最良の歴史になっておりました。記者に作品というのは禁句のようですが、現在も進行中のあの一連の記事はまさに健さん、あなたの一生を賭けた答えのようなものでした。あの作品によって佐藤健は佐藤健の一生の円を廻し切ったのです。しかも、その円は私達の気持ちの中に今もゆっくりと廻り続けている様であります。
 すでに言うまでもなくあなたはまさに骨のずいまで毎日新聞記者でありました。
 今は残念ながらTVとインターネットの時代です。新聞は少しづつ主役の座から降り始めてもいます。しかし新聞には新聞にしかできぬ事があります。TVやインターネットには一切合切、匂いというものがありません。新聞には匂いがあるのです。得も言えぬ匂い。新聞を開く度にページとページの間から匂う匂い。それは新聞人のひしめきが、かもし出す時代の匂いであり、記者たちの人間の温もりの匂いです。
 健さん、あなたは、新聞が一番新聞らしい時代を生き抜きました。あなたは最後の最後まで、その匂いをまき散らせて、新聞紙上に生きて、そして死にました。まことに見事と言うしかありません。あなたも、さぞや満足の一生だったと思います。
 あれだけ日本中の人を大騒ぎさせて、私達を二年がかりのお別れにも巻き込み、さぞや健さん何言う事もありますまい。
 昨年の春、幸運の極みでありましたが、私は健さん、あなたの最期のシルクロードの旅に同行する事ができました。すでに死を覚悟の旅ではありました。しかし敦煌への旅はあなたを中心に笑いの絶えない旅でありました。笑い疲れて鳴汝山の大砂丘で休んだ時、突然、健さんあなたは自分の戒名の話を始めたのです。一同アレヤコレヤと知恵を出し、最期にあなたが決めたのが、「自業自得大明王」の戒名でありました。
 これも又、シルクロードまで遠く駆けて、笑いの中に覚悟を決めたあなたの円の一つでありました。皆、笑ってはいたけれど、シルクロードの砂漠の空のように、深く、底知れぬ程深く悲しくもあったのです。
 ともすれば死に急いでいたとしか思えぬあなたを、ここまで健さんらしく生きさせたのは奥さんをはじめとする、御家族の力であったと思います。まことに御苦労様でした。
 おわりに「面白かった」と友人に言ってくれたと聞いていますが、友人一同、共に「俺らも面白かったよ。本当に。でも、こんなに悲しいとは思ってもみなかったよ。でもナァー健さん今度ばかりは、あっちから呼んでも、一緒には行かないからね。さようなら。

世田谷村日記
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