オープン・テック・ハウス♯5
 A邸
 さいたま市指扇






#5指扇の家 2003 年 12 月竣工

#5A邸たてまえ見学会70名程の参加者を得て修了しました。猛暑の中ありがとうございました。職人さんが暑さで涼しい諏訪に早く帰りたい、の事情で所謂、たてまえにはならなかったのは残念でした。
石山修武


 八月二十四日 日曜日
 オープン・テックハウス#5A邸さいたま市のたてまえを行います。諏訪の異人、藤森照信教授に紹介してもらった諏訪の製材所、大工さん達の力作です。大径の栗の樹を山から切り出して、工夫して、組み上げます。何だ藤森の真似じゃネェーか、と簡単に片付けてもらっては困ります。私はああいう野蛮人ではありません。藤森先生率いる諏訪の面々の手を借りてはいますが、私は縄文人ではないので、藤森流とは全く違ったモノになっています。藤森さんの労をわずらわせてしまったのでフジモリ、フジモリと言わねばならぬのは途世の義理に過ぎません。怒濤の如く藤森流を制圧しているのです。研究室のオープンテックハウスの考え方が木でどのように表現されるのか、関心のある方は御覧になって下さい。
 木組工事は五日間を予定していますが、一番見世物としても面白い日を設定しました。マ、一種のロデオです、コレワ。荒馬そのものの諏訪の木をどう乗りこなしているかを是非見物してみて下さい。面白いですこの「たてまえ」は。

製材所角大の社長と大工棟梁

A邸の資材


諏訪の林:
朝山邸の木材はこの山から切り出されます


 お母さんの家 石山修武
 オープンテックハウス#5はさいたま市に計画中の朝山さん親子の家だ。朝山さんは自分が生まれ育った昔の農家みたいな家がどうしても欲しくって、それで研究室に相談に来た。ハウスメーカーはその夢をかなえることができなかったからだ。そりゃそうだろう。ハウスメーカーは基本的に個別な意欲には対応しない事で成立しているシステムそのものだからである。あるいは家に対する夢が無いところに成立しているシステムだからだ。誰も「家」に夢を託してはいない。だからハウスメーカーは巨大ビジネスに成長できたのだ。
 朝山さんの古い感じの家が欲しいという依頼は私達にとっても思いがけない依頼だった。私たちが追求しようとしている開放系技術による家イメージは金属とガラスによるテクニカルなモノであるという先入観があったからだ。
 しかしながら良く良く考えてみれば開放系技術の考え方が目指そうとしているのは家のスタイルを新しいものに仕立て上げることではない。結果としてそうなることはあり得ても、スタイルを優先させ、デザインを先行させる事ではない。
 朝山さんは今では仲々手に入れにくい昔風の家が欲しい。
 その朝山さんの小さいけれども強い意志を支えようとするのが、そもそも開放系技術の考えの基本なのだ。だから私たちは自身で知らぬ間に形作ろうとしていた私たちの先入観、私たちの家イメージを再検討する事にした。その結果、古い昔風の家に取り組む事にしたのである。大方には大それた問題ではあり得ぬが、私たちにとっては画期的な事なのである。古い昔風の家らしきをなぞる事を初めて意識的に試みることになる。

 昔風の家に住みたい。
 この意欲は何を意味しているのだろうか。

オープンテック・ハウス

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