「時代の趣味・趣向とデザインの変化」を研究して行くために、まず二つの方面から調査をしていく事にする。一つ目により大きな枠を捉えるものとして、国の動向を左右する「内閣支持率調査」のメディアの調査方法をあげる。二つ目に生活に根付き、よりどころのはっきりしているものとして「ケータイの付属品」の調査を行う。
1 「内閣支持率」の調査
紙面やテレビなどの媒体が発表している「世論調査」は、どのように対象を選び、何人にアンケートを行っているのかを調べた。
上図は支持率調査の方法である。今後調査して行く内容として、歴代首相の支持率及び、アメリカ大統領支持率についても調査していく。
2 「ケータイの付属品の調査」
身近な消費物の影響による趣向の変化を調査して行く為に、ケータイ本体のデザインではなく、ケータイに付属するものの調査を行う事とする。
現在のケータイ独自の商品、通信機器として見たときのあらゆる機能を調べた上で世界各国と比較する。
例:ワンセグは世界でも一般的か、通話料は世界において平均的かなど
調査内容の検討
・通話料
・携帯本体の値段変位
・ どのくらいでメーカーが新機種を発表するのか
・ ・着メロ産業
・ ストラップの穴の有無
・ 付加機能について(写真、カメラ機能、動画、ワンセグ、おさいふケータイ、メール・デコメール、スケジュール、アラーム等)の搭載され始めた年、普及率等
ケータイを必需として生活していることで私たちの何が変わったのかを具体的に研究する。
やっぱり出発時だけは手を借そうと、今日のゼミの要約。
一、半年かけて、「時代の趣味、趣向とデザインの変化」を研究する為に、研究の方法を調査する事となる。
二、解りやすいと思われるので「俗悪百科」を取り敢えず読み合わせる事とする。
三、次回迄に、それぞれ、どんな本や研究を参考書として参照するかを持ち寄る。
事を決める。
一の調査は先ず世論調査そのものの、あるいは消費動向の調査方法から調べてみようという事になった。
「現代女性の装飾衝動 ‐メディアと装飾概念からの考察‐」
七〇年代以降のマスメディアの女性への関心は、消費社会に反応する女性達が目標にされ、購買力が着目されました。女性雑誌は、世代、ライフスタイルに合わせて構成され、内容は美容・ファッション・広告に尽きます。消費すれば、自分が望む姿へなれる。それが消費社会と女性の関係なのです。
次に、現代女性の装飾事例として「携帯」をとりあげます。2008年3月5日から6日にかけて秋葉原、原宿、六本木の街行く男女1017人を対象に携帯ストラップの調査を行いました。結果は、原宿が一番多く、女性のストラップをつけている割合が三地域で顕著にあらわれました。また、装飾のタイプは、キャラクター、ぬいぐるみ、名前・イニシャル、携帯本体への装飾に分類されます。これらの特徴の一つに、スケールの操作があげられます。このミニアチュールへの志向は、現実から離れ、親密感を誘い、時間を留めます。そして、人は、こうしたモノを過去の時間を観念として受け取り、ノスタルジアとして物質化するのです。また、それは、個人的な物語でもあります。それは、消費社会の体系が消費者としての個人の内面を後天的に形成してゆく、興味深い過程であるといえます。
近代建築の中で装飾概念は、空間の妨げとして否定されました。しかし、装飾は、物体と見る人との境界に成立する、ひとつの出来事です。ヴァレリの言葉によると、「空虚恐怖、それへの補足が装飾模様となるでありましょう。」と、あり。また、装飾史を確立したリーグルも、装飾欲は人間にとってもっとも要素的な欲求のひとつと述べています。ラスキンがいう社会的な合意は見出せませんが、携帯を過剰な装飾で埋め尽くしていく様子は、彼女たちの内面的世界観を形成し、それを肯定するために装飾しているようです。
これらは、子供の頃の遊戯の中にみられると思います。その中の「人形の家」は一種の比喩による物の変形、類推によって物どうしを関係させて世界を縮め、想像力を持って無意識にその世界に入り込みます。また、リカちゃんや、その家は、人形遊びをすることで様々な欲望や夢が投影し、日本の少女趣味、少女文化を作りあげました。
以上より、現代女性の装飾とは、消費するというかたちであり、それを作るのがメディアの役割でした。また、モノとモノとの間にイメージすることで、装飾するものを自分の分身や変身願望を映すものとして、そこに装飾衝動が発生するのではないかと思います。事例としてあげた、携帯ストラップの装飾は、個々のノスタルジーとして彼女(彼)たちの携帯にぶら下がっているのです。
アドルフ・ロースの『装飾と罪悪』は決して装飾衝動を否定するわけではありません。むしろ人間は人間であるかぎり、装飾を不可避的に産出せずにはいられない。それは外部から到来する事物に対する防衛的な制御、統治するものが文化であり、文化の形態だ。また、ロースにとって建築は感情への配慮つまり作法であり用法である、ゆえに女性によってこそ能く作られるはずのものだった、としています。
鏡の形態は本質的にはあまり変化していません。しかし、鏡の枠は、そこに映る自分の姿、映像を見て、今以上に素晴らしいものを求める欲求や願望で装飾がされてきました。現代女性と装飾されるものの関係は、鏡と人間の底なしの深い関係に等しく、その間に存在するのが現代女性の装飾衝動の一つなのではいかと考えます。
太古の装飾古墳は、巫女的立場の女性によって作られたという説があります。装飾は人間の根源的なものであり、過去には女性が関係していたという事から、装飾が否定されてきた近代に対して、この論を位置づけ、さらに今後への課題にしていきたいと思います。
「現代における大衆の趣味の形成及び美学についての考察」
デザインを考えるにあたって、そもそも趣味や美しさの善し悪しは何もって判断されるのかという疑問を持ちました。現在その判断は不可能ではないでしょうか。少なくとも以前まで「ローカルチャー」とされてきた大衆文化の勢力は、市民の価値観を大きく転換させるのに十分であると思われます。
では人の美学とはなんでしょうか。まず美学を表現する存在である美術について、この美術を扱う美術館を知りたいと考えました。国内美術館展覧会のテーマ別年表を作成しました。日本の美術館とは西洋化を急ぐ日本国家が、国民に西洋主義教育をする施設として作られたものでした。つまり国民に「良い趣味」の方向性を与えてきたものとして美術館の展覧会は重要な意味を持っているはずです。国立博物館や国立西洋美術館など歴史の古い美術館ほど、歴史的な一定の時代の美術を頻繁に扱っており、設立が新しい美術館ほど、テーマが多様化していることがわかります。
世界の巡回展のテーマ年表も、美術館では中世から近代の西洋美術が主であり、企業主催は同じく西洋発で、若い世代によりわかりやすい映像アートが主流です。
しかし、このような多くの人を集める展覧会という意味では、いま最も大規模なものは大衆文化の生み出したいわゆるサブカルチャーのイベントであると思われます。国内最大イベントであるコミックマーケットは1975年から年二回今年で74回を数え、今年は3日間にもかかわらず55万人を動員しました。さらに、これらは世界にも定着しつつあり、アメリカ、イギリス、フランス、中国などで定期的なアニメ系イベントが行われています。
美術館の展覧会へ行くのも、コミックマーケットに行くのも大衆であると考えると、この大衆の異様な多様性や雑食的な価値観はどういうことなのでしょうか。
この現代の美学の混乱は大衆化と産業発展を契機としています。ここで現代の大衆文化的な美術は何が今までと違うのかという点で、私は美学という感性において重要な「想像力」つまり「見たことの無いもの」というものが変化しているのではないかと考えました。この仮定の下に大衆化の経緯を考えたいと思います。
まず、芸術の、既成の教養主義的価値観を破壊したのは、アポリネールやアンドレブルトンを代表とするシュルレアリスムがあげられます。
これは今まで考えられていなかった、人の内部の「無意識」に注目し、人間の欲望や夢を現実に引き出し表現しようとした運動です。つまり「想像」の世界を求めたのです。ここが重要な点です。
このようなシュルレアリスムや、これをうけて発展したナンセンスやグロテスクは悪趣味と言われますが、これらは「自我」とはなにか、ということを真剣に見つめ、「見たことのないものへの欲求」を最大限に発揮した芸術であると言えます。
しかしもう一方の大衆化、「複製技術により発生したコピー」と「市民階級の台頭」によって悪趣味自体が「キッチュ」に形を変えました。増大した供給能力による大衆の物欲に押され、「想像的世界」や「芸術」はたちまち大量生産されました。キッチュは全ての人の精神と財布に優しい存在です。
この論文を書くきっかけとなった「かわいい文化」も現代のキッチュの例でこれらは決まって弱者であり、わかりやすく、「想像」を必要とせず、自我に「考える」という苦痛を与えないのです。
さらに80年代以降、爆発的な情報技術により、すべてが「シミュラークル」になると、オリジナルは破壊され、全てが等価になり、我々はとうとう「見たことの無いもの」を失ったと言えます。
90年代アートの主流となったシミュレーショニズムやオタク文化の二次創作は作家も受け手も「見たことの無いもの」を求めることを止め、「想像する欲求」が崩壊したことを意味しています。
このようなシミュラークルとキッチュが溢れた時代に生まれた我々は元々、美学や趣味において「本物」「偽物」や「オリジナル」「コピー」といった概念を持ち合わせていないのかもしれません。
そして皮肉にもかつてグリンバーグが「後衛」と定義したキッチュが村上隆によるスーパーフラットで「前衛」として現れます。この村上のフィギュアが16億で取引されている事実は、「前衛芸術」という存在自体を脅かしているといえます。
「見たことのないもの」や「想像的世界」を失ったことにより我々の世代には「オリジナル」は存在せず全てが等価的です。我々の世代は、芸術自体が「前衛」では無くなり、その地位は技術や情報の分野に移っているのではないでしょうか。
これからの芸術やデザインの分野は、大衆に向き合ったうえで、人間を人間たらしめるための「想像的存在」であることが重要だと考えました。さらに、このスーパーフラット的表現を作り出したコンピューター技術と美学についても今後考えていきたいと思います。
「女性と創作」 ―手工芸と女性における関係の変遷―
本論文は、女性と創作活動の関係、つまり〈女性にとってものづくりとは特別なことなのであろうか〉という問いに対しての考察を行なう事を目的としています。
はじめに、1人の女性の雑誌インタビュー記事の抜粋と、4人の女性への直接のインタビューを行なう事から始まっています。インタビューはそれぞれ2時間ずつ行ないましたが、その中で「手芸と工芸の違い」「手工芸とアートの違い」という問いへの返答を取り出してみます。
彫刻家M.I氏が「アートには独創性が必要であり、手工芸はアートではない」といった見解を示したのに対して、染織家S.F・日本刺繍K.S両氏は「手でつくりあげるもの全てがアートであり、手工芸やアートなど境界線をひくという行為自体に疑問をいだく」という見解を示しました。手工芸を「芸術」と見なさないにもかかわらず、なぜ多くの女性は手芸に励んだのでしょうか。これが本論文の始点です。
本論文では、明治期における「手芸」の国家規模による奨励策を、女性とモノ作りのいち接点として着目します。この時期、国家やメディア・女子教育など、多方面が女性に対して「手芸」を行なう事を推奨していました。この奨励は、個々人のレベルにおいては「女性らしさ」の獲得をめざすものであり、すべての女性に伝播させることが目的でありました。そこで、皇后を頂点とするヒエラルキーの明確化と、それに準じてあらゆる階層の女性を「国民」として位置づけて行くシステムを具体的に構想した人物として、下田歌子に着目します。「皇女教育」視察の為のイギリス留学がその後の「手芸」と「女性」の関係に多大な影響を与えているということをふまえ、イギリスと日本、そして女性と手工芸の関係をみていきます。
1章:ヴィクトリア時代の労働者階級を「手芸」の一つ目の側面としてとりあげます。女性はレース編や麦藁編を家計補助として行なっていました。しかし産業革命による工業化によって、職人雇用の大幅削減及び、分業を成立させる為の女工としての役割を担わされる事になります。アーツ・アンド・クラフツの刺繍部門において、ウィリアムモリスは一番最初の刺繍のみ自分で制作しましたが、それ以降は全て自らが図案を、そして刺繍作業は多くの女性、特に妻のジェインや娘メイなどが行なっていました。ここにもデザイナーと工芸家の分離が生じている事になります。
2章:下田はイギリスにおいて主に上流階級の女性たちと接触していました。下田がイギリス高位の女性を讃える言説として学んだものは、後に皇后を讃える言説としてスライドして用いています。その一つが「皇后の養蚕」です。「皇后の養蚕」は、無償もしくは低廉な労働力を家族または国家のために提供すること、蚕を育てることを通じて育児・教育・看護という女性役割を学習させること、そして質素、倹約、従順、忍耐を学ばせる人格陶冶という機能を有する象徴的な行為でありました。すなわち、近代日本の国民として期待される女性を、階層に応じて統御していくシステムとして「皇后の養蚕」は機能していたということになります。
3章:近代日本において「手芸」=「女性らしい」というイメージをつくりあげた学校教育および、雑誌メディアの言説は「手芸」の二つ目の側面を浮き彫りにします。明治期に構築された「手芸」のシステムは、近代日本の階級及びジェンダーによって巧妙に構築されたものであります。「手芸」は、すべての階層の女性が、あたかも「自らの意志で行なう」かのように、教育や宣伝によって刷り込まれ、女性性と女性美徳の不可欠の条件として強制されました。「手芸」の国家的奨励は、女性の文化創造のエネルギーを家庭内での女性役割に吸収し、その精神と身体を統御するための巧妙なシステムであったということができます。
明治期の女性は一斉に手芸に励み、これに打ち込みました。多くの女性に創作する事、そして手仕事を奨励することによって強固につながれた「手芸」=「女らしい」という等号は、女性の表現する場所を限定したと言えます。「手芸」は残念ながら今も「芸術」というカテゴリーに位置づけられてはいません。しかし、「手工芸とアートに境界線を引く事が間違っている」という染織家S.Fの言葉を引用した時、男性支配の美術界における「芸術」というカテゴリーに属する為の評価基準にとらわれる事のない、女性独自の視点をみつけることができるのではないでしょうか。
「美術の情報商品化を背景とした価値観の考察」
(「美術の授受における価値観の形成」より改題)
明治45年、雑誌「白樺」で紹介された、美術史家、ハインドの著作「後期印象主義」の中に次の様な言葉があります.
「芸術の目的は美ではない。芸術である」
しかしその一方で、芸術には、その芸術性における階層性が生じているのも確かです。そのような、芸術に対する大衆の価値観がどのように作り出されているのかを考察するために、私は、美術がどのように情報伝達されていくのかを見ていく事から本研究をはじめました。
美術が不特定多数の大衆に開かれるようになったのは、近代に入り、編集、もしくは商品化された作品と対峙できる展覧会と、複製技術を用いるマスメディアによって、美術が情報伝達されるようになってからです。展覧会という見る文化の発展は、万国博覧会と時期を同じくし、近代化政策の一環として日本に輸入されました。1877年、第一回内国勧業博覧会において、日本で初めての美術館が設立され、それは博物学を実践した、大衆の教育機関でもありました。
日本において、展覧会は美術館だけでなく、百貨店においても開催されます。百貨店は、1852年、フランスで開店したボンマルシェがその始まりですが、それは単なる商業施設でなく、近代的商品や文化を、日常的に享受できる場としての役割も担い、特に日本では、展覧会開催が百貨店文化に組み込まれました。美術館と百貨店、両者に共通しているのは.美術館は公的機関として、百貨店は大衆の趣味を向上させ、市場を拡大させる事を目的とした、美術を社会に認知させる教化の場であったことです。
そして、展覧会という文化とともに、そこに展示される美術の概念もまた、同様に西欧から輸入されました。1868年に来日したワグネルは、日本の工芸品の改良につとめ、1878年に来日したフェノロサは、現在の東京芸術大学の設立を含めた、日本における美術教育を行いました。このような日本伝統文化の見直しと日本美術の価値付けは.西欧の美術概念を基準にすることで、日本美術の特殊性を際立たせ、世界に台頭しようとした、明治政府の政策のひとつとしておこなわれたのです。
つまり、日本における美術の価値観は、政治的政策を背景に、西欧によって形成され、展覧会等で情報伝達することで普及したのですが、それは少し時代を変えて、ブルーノタウトにもたらされた美意識にも同様の事がいえると考えられます。タウトの価値観が、日本において大きく影響力を持ったのは、欧米のモダニズムを学びつつあった、1920、30年代の日本の同時代建築をキッチュとしたタウトの価値観が、激化する軍国主義の下、伝統がえりの意識を強めつつあった、日本の文化的ナショナリズム宣揚と符合したのだと考えられるからです。
では、現代において、美術の情報伝達はどのように機能しているのでしょうか。私は、2000年以降の美術館や百貨店における展覧会について調査を行いました。例えば2004年東京国立近代美術館における調査の一部において、顕著であったのは、マスメディアの存在です。
多くの展覧会をマスメディアが主催している現状については、経済的背景がそこにあります。百貨店において、付設美術館が次々と閉館しているように、展覧会の商品的価値が低下していると見られる昨今、展覧会をマスメディアが主催する事は、その広告効果に期待がかかるからです。一方、マスメディア側は、展覧会を事件とし、報道・論評することで、自社のイメージアップとしての広告を、広告欄ではなく、ニュースとして扱う事ができます。受信者がその展覧会を観覧すれば、マスメディア側としては、広告効果があがったという証明にもなるわけです。
近代において、美術が大衆に開かれたことをきっかけに、大衆へ迎合する事への批判も生じてきました.現代でも、大衆芸術はキッチュと称され、ローアートとしてとらえられがちです。しかし、政治政策を背景に、マスメディアを利用する事で形成されてきた私達の価値観を考えれば、価値観の普及に対して、大衆が力を持っているのも事実です.
すると、冒頭で述べた、芸術は表現であるということに関してですが、より多くの大衆にそれを伝えていくために、マスメディアを利用して美術を演出していくという手段は、表現として有効なのではないでしょうか。
「権力者の切望した巨大志向及び大衆操作の手段としての巨大建築」
権力者の巨大志向
独裁者は、自分の趣味趣向にそぐわない芸術を弾圧し、自らの美学に適ったものを公式芸術とします。特に、建築は願望が視覚化されるので、誰にとっても最も理解しやすいものです。各人が力を注いでいたゲルマニア計画、ソビエト宮殿計画、エウル都市計画には、実際には実現しなかったという共通点があります。何故実現しなかったのでしょうか。実現する前に政権が崩壊したというのが、一般に言われる理由でしょう。しかし、別の視点から見ると、それらがあまりに巨大だったからだ、とは言えないでしょうか。そこで、これらの計画を取り仕切っていた建築家、シュペーア、イオファン、ピアチェンティーニを始めとして、権力の中枢にいた建築家を各3人ずつ挙げ、プロパガンダに利用された建築、都市計画を分析しました。すると、巨大性の他にも、古典の摸倣、反復、装飾の省略、水平あるいは垂直方向への拡張、軸性、円形、台座、記念碑という特徴が、プロパガンダとして用いられた建築に顕著に見られる特徴であることが分かりました。
大衆の巨大志向
ムッソリーニは、コロッセオからヴァチカン宮殿に続く都市軸を基点として都市計画を行い、スターリンは、社会主義リアリズムの表現として、新古典主義などを選択しました。プロパガンダが最も効果を発揮したものの1 つが、シュペーアが演出した党大会会場でしょう。それは全国の党員が集合し、ヒトラーの熱狂的な演説に酔い、その光景をメディアを通して世界へと誇示するための大会でした。
シュペーアの建築には、ヒトラーを指導者として宣伝することが求められました。退屈な構成の立面を設け、ヒトラーの頭上にモニュメンタルな標章を置いて、大衆の視線を誘導させます。また、彼の作品にはハーケンクロイツが繰り返し用いられています。これによって、大衆はナチス・ドイツの印象を強制的に植えつけられました。そしてその結果、大規模建築を建設することで、この強大な権力を握ったヒトラーを「指導者」と建築上で表出させるのです。
党大会の光景は、リーフェンシュタールの『意志の勝利』に収められています。観客席からのカットが度々用いられているので、鑑賞者はあたかもそこの場にいて、ヒトラーの演説を聞き、自らも一体となって盛り上がっているような錯覚を覚えます。彼女は引き続き、『オリンピア』を監督します。彼女の考案した「美のリズム」によって編集されたこの映画は、芸術的であるが故に、プロパガンダとして有効に機能しました。ナチス宣伝省大臣のゲッベルスの宣伝手法もまた、それに多大な貢献をしました。彼はプロパガンダについて、大衆にいかにわかりやすく伝えるか、いかにインパクトを与えるか、を主張しました。ナチの演説会は「共同体のイメージ」を共有することが主眼で、内容は絵画的に構成されました。演説時のヒトラーのジェスチャーは視覚を意識して、舞台演劇時代の美的基準に基づいて構成されたものでした。
映画の巨大志向
ゲッベルスは現在の国民社会主義の世界を信奉し、その先頭に立つ「傾向」映画を求めていました。彼は『戦艦ポチョムキン』のもつ強大な煽動力に憧れ、賞賛の辞を述べましたが、エイゼンシュテインは彼の詭弁を粉砕しました。『戦艦ポチョムキン』のオデッサの階段のシーンは、今でも映画界に多大な影響を与えています。
エイゼンシュテインと同じく、反政権の態度を示した者に、フリッツ・ラングがいます。彼の映画『メトロポリス』のセットのうち、もっとも革新的に開発された建築的舞台装置は人工照明でした。建築家たちにとっても、映画デザイナーたちにとっても、光という動力を利用する能力は、明らかに近代の達成した偉業として魅力的でした。
また、当時パースペクティブ作家として活躍していたヒュー・フェリスのドローイングは、地上から逆に天空に向かって照射された「偽の光学」によって描かれています。彼の提示した技術的崇高性の特異性と優位性はこの1 点にありました。彼はパースペクティブ作品によって同時代の多くの建築家に影響力を持っていましたが、バットマンなど、ポップ・カルチャーの都市の描写にも多大な影響を与えました。フェリスと同様、崇高の美学の再生を目指し、廃墟となったときにはじめて完成する建築物を作ると言った男がいました。シュペーアです。権力をパトロンとした建築家と、純粋な美を求めた建築家では、同じビジョンを持ちながらも、それを現実に求めたか求めないかの違いしかなかったのではないでしょうか。
「懐古趣味に内在する知的階層性を考察する」
我々の社会のさまざまな形態と質を持った諸文化は、特定の社会階層と結びつき、階層間の優劣の序列は文化の知的階層性の序列と関連しているといえます。
本研究をはじめるにあたっての興味は、それら階層化された大衆の趣味趣向が消費社会において都市にどのように埋め込まれているかというところにあります。
近代になって発展した娯楽産業のなかでも「懐古」は大衆を強くひきつける要素のひとつとして、これらのように多くの場所で演出されています。
趣味趣向、そのなかでも懐古趣味に内在する知的階層性を考察することを現代を覗く切り口として本研究を位置づけます。
これらは平成16年度の遊園地・テーマパークに関する資料です。平成13年度の資料と比較して、遊園地、動物園、水族館などの施設数が軒並み減少する中、唯一テーマパークだけがその数を増やしています。それも、ここ数年で数を増やしてきたレトロテーマパークたるものが多くを占めるのはいうまでもありません。下のグラフにあるように、全233のうちテーマパークは52しか占めないのに対して、全売り上げの9割以上を占めており、大衆を強く惹きつけている事がわかります。
そこで「懐古」をキャッチコピーに謡うテーマパークを調査したところ、90年代から数を増やして現在16件存在し、52あるテーマパークの中でも3割以上を占めています。
これらはディズニーランドの商業的成功を受け発展してきたものですが、このようなレプリカ、記号化の氾濫は感覚的、大衆的な空間を構成してきたといえるでしょう。
さて、アドルフ・ヒトラーが「我が闘争」のなかで「宣伝は全て大衆的であるべきであり、その知的水準は宣伝が目指すべきものの中で最低級のものが分かる程度に調節すべきだ」と述べているようなことは、芸術・娯楽に対しても同様であり、高級芸術がどういった系譜をたどって大衆へと広まったかをまず民芸に先立ち大衆化した音楽を通して考察します。
19世紀に社会哲学者アドルノはラジオやレコードといったメディアや複製技術によって聴衆のスタイルが変化したことを挙げ、真面目な音楽と不真面目な音楽とを分別し、正統的音楽の本流を示しました。そこで精神的な音楽美を捉えようとする「高級音楽」と、キッチュとしての「通俗音楽」の二項対立を示し消費社会における文化産業批判を論じ、今なお残る「クラシック」/「ポピュラー」の二分の根底を確立させました。
日本においてですが、明治政府は「文明開化」というイデオロギーに基づき、音楽教育や軍楽隊などを通して西洋音楽をそれが文明的なものだという概念とともに普及させました。洋楽はサロンなど知識人が集まる場で受け入れられたのにはじまり、流行歌「カチューシャの唄」や「アラビアの唱」をはじめ、西洋音楽の要素は模倣され、後の歌謡曲の基礎となっていきました。西洋への、そして高級文化へのエキゾチズムは歌謡曲の大衆化での強い推進力でありました。
民芸趣味について考察したいと思います。 インテリであった柳宗悦が1926年におこした民芸運動は、天才的個人につくられる文明開花後の装飾華美な美術品ではなく、一民衆によって日常工芸品として生み出された民芸に価値を見出し、美学を唱えたものでした。
時をさかのぼり、19世紀ヴィクトリア王朝下のイギリスにおいての民芸運動の兄ともいえる、ウィリアム・モリスによるアーツアンドクラフト運動は、産業革命による大量生産に対する危惧から中世への憧憬をもとに手工芸を発展、体系化し、後のモダニズムの基礎となりました。
兄弟とも言える民芸運動とアーツアンドクラフト運動は対照的とも言える発展を遂げたといえます。
モダニズムはキュビズムやシュールレアリズムなどはじめ哲学・建築・文学・美術の分野で内的な衝動を表現するものとして、精神性が観念され、近代日本においてもエキゾチズムのもとでのモダニズム崇拝ともいえるグッドデザイン賞の制定を経てその知的高級イメージを確固たるものに築き上げました。
民芸も機械と資本体制に犯されない過去への憧憬という同様の理念から発したものでしたが、大衆には柳のいう深遠なる美は浸透せず、唱えていた自然への精神性は失われ、精神性を持つ技としてすばらしい手工芸が存在するにもかかわらず、廉価で使いやすい工業製品、もしくは高価すぎる民芸品が亜流として流布するようになり、民芸ブームに伴い現在の「まがい民芸」の氾濫へとつながるのです。
懐古趣味は、懐古を主題としたテーマパーク、温泉街や旧城下町にはハリボテの装飾の施された建物やモニュメントなどにみられ、大衆的な拠り所となっています。
一方、モダン趣味は六本木美術館都市の中で諸所に取り入れられているモダンデザイン、外資系高級ホテルのモダンテイストなど、知的、金銭的に高級なイコンとして存在しているといえるでしょう。
根を同じくして生まれた美学がこのように格差を持ったことは非常に興味深いことです。エキゾチズムをもとに操作するメディアが生み出したと言えるでしょう。
現在、東京の都市には趣味趣向の階層性をもとに島ができています。今後それらを考察していく上での基礎研究としてこの研究を位置づけます。
現代女性の装飾衝動を考察する
変身願望を扱った物語を集め、人間の自己認識の始まりである鏡、伝達メディア(雑誌)からの影響、過去に述べられている装飾論から考える。また、分身・少女・子供というキーワードに辿り着きたい。
ぬいぐるみ、人形と建築をつなげて、どんな玩具の家があるのかを調査し、女性の装飾衝動につなげてみる
現代における美学とは
資料は、いまある国内主要美術館の展覧会に加え、世界を巡回する展覧会を調べる。
趣味、センスとはどこからくるのか、という事を扱いたいのだから、大衆文化の伝達論(ベンヤミン、アポリネール、ブルトン)を参考にする。 アヴァンギャルドやヴェンチューリ等の美学からの論は一般的すぎるので、「かわいい」からスタートした事をもう一度考え、現状から逆流した論の方が良い。 現在、日本の漫画が世界で評価されていたりする価値の逆輸入の現象と、巡回展で扱われるハイアートとのギャップを調査したうえで、日本の美の価値基準を考察する。
手工芸と女性
手工芸と女性の関わりについて、西欧の中の特にイギリスと日本について関連を述べてゆく。さらに、アーツ・アンド・クラフトと女性の関わりについても参照する。
日本人は母性も含めて、イギリスよりカタチなど輸入してきたのではないかという事が言えれば面白い論文になるだろう。エリザベス女王は英国園芸協会の会長であるいこと、及びアメリカでは末期癌の患者がタペストリーをつくってのでその辺りも調べてみてはどうか。1章でのアーティストインタビューは実際に手で作業をしている5人に行く事。工芸とアートの違いについて聞くと良い。
美術の価値を伝える媒体
メディアを通して美術を見ることで、美術の大衆への迎合性、市場との関連、芸術性のヒエラルキーに焦点をあて、美術の価値を考えたい.
大衆の趣味趣向、美意識に対してメディアがどのように働きかけているのかを考えるテーマである。大衆としてのスケール、マスメディアの研究。美術/建築雑誌はマイナーメディアとなるので、調査対象から外し、美術館(百貨店ギャラリー含む)の展示企画とマスメディアとの関係に調査をしぼるとよい。ブルーノタウトの「桂と日光」なども参考に。時代の流れと美術館を結びつける.
権力者・大衆の巨大志向と映像の巨大計画の相似
権力者の巨大志向、大衆の望んだ巨大志向、映画に登場する巨大志向についてそれぞれ考える。権力者と密に関わった建築家が設計した建築、プロパガンダとしての映画を取り上げて考察する。
女性がこういうテーマに取り組むという事が興味深い。大衆の巨大志向の流れはよい。ファシズム下の建築家はジュゼッペ・テラーニで本当に良いのか?
M0諸君へ
本日、10 月 8 日の午後 1 時よりのゼミは、FAXでの交信ゼミとしたい。先週依頼した前回ゼミの記録が、いまだ私の手許に届いていません。それを先ず読みたい。そして編集してネットに公開できる部分は公開したい。その際には固有名(ライター)は全てローマ字のイニシャルにしたい。ネットでは何が起るか解らない闇の部分もありますから。今 9:30 分です。この連絡を手にした人はM0にメールでこの情報を流して下さい。
1、先ず前回ゼミのまとめを私に送る事。
2、次にそれぞれの研究進行状況を私に送附する事。
3、その一つ一つに私も返信します。返信は研究室に入れます。
4、その一部始終の、情報として少なからず社会的な価値があるかなと考えられるモノを本人の了解を得て、ネットに公開(今日から)します。
5、丹羽太一編集長はその準備にとりかかって下さい。
私は 15 時迄世田谷村にて待ちますのでよろしくお願いします。
今年のM0(卒業論文生)ゼミでは、女性がかなり高度な問題に取り組もうとする気質と能力を持つのを実感する。この女性陣をどう育てられるのかが、私の楽しみな課題だな。ゼミの簡単な要約をネットに公開する事にした.かなり飛んでる研究をやっていると思うよ。
今年度の石山研究室、M0 7 名は、現在男子 1 名・女子 6 名という構成をしている。研究室配属が決定した 3 月より行われてきたM0ゼミが、今回卒業論文ゼミへと展開された事を機にそのゼミ内容を公開する事となった。
8 月から、映画製作者、あるいは関係者によってデザインされた、SF映画における宇宙船について調べ、それを元に未来の宇宙船をデザインする、というゼミを行ってきた。9/8 からは各自の興味のある映画を一本取り上げ、キーワードを絞って各自の「想像上のもの」を考察してきた。
「スターウォーズ」
「スターウォーズ」を取り上げて、悪のイコンであるデス・スターやストーリーからナチズムと比較する。ヒトラーやシュペーアが、権力を光などで演出していた事から、「光」というのは近代の人々にとって何だったのかを考える。
全て動くものに生命を見い出した太古の人々にとっては、星(の瞬き)も一つの生き物だと思われていた。星座は、人間の詩的な空想の産物であり、人々は名前を付けた。星を信仰しているものや人の中で、星宿が描かれていた古墳を取り上げて、巫女がデザインした死後の世界とも言える装飾古墳と現代女性の過激な装飾をされている部屋を同列に並べて眺めてみる事から考える。
「エイリアン」
「エイリアン」の中に出てくる未知の生物は粘性のある液体を身にまとい、不快感を催すものである。日本における液体=水は神聖なイメージが強いが、世界にはそうではない水の方が多い。水及び恐怖というものに造形を与える。
加えて、なぜ最後に生き残るのが女性であったのか。その映画が作られた背景を調べると同時に、フェミニズムやジェンダーというキーワードからイメージ論やデザイン論におとしているものがないか、既存研究を調査する。
「E.T.」 かわいいとは何か
「E.T」は、スピルバーグが「子どもがほしい」ために構想した、個人的な映画であった。このかわいい「E.T」は世俗的な、既成の宗教に代わる役割をはたしたともいわれている。
映画の世界でもE.T.を代表とし現在まで確実に根付いている「かわいい」。ストラップや人形など、資本主義の大衆的消費物であるが、現在でも人が根本的に何かを愛でる、好む、美しいと思う、ということは有り得ないのか。
現代(1980- )における「美」についての論を多数とりあげ、「美学」がいまでも強い価値を持ち得るのか。あるいは、日替わりの、ファッションになったのか、そして若者はそれを本能的に自覚しているのかを考察する。
「ブレードランナー」 明るい廃墟は存在するか
映画「ブレードランナー」では酸性雨の降りしきる人口過密の高層ビル群が立ち並ぶ暗い電子的な荒廃都市が描かれており、それが一つの物語りの趣向の基盤となっている。アジアの混沌とした街をモデルにしたというが、その見たこともない世界に私たち日本人がひどく懐古的な想いを抱くのはなぜなのか。ノスタルジー、懐古的な装置(テーマパークなど)や映画を取り上げて考察する。
「未知との遭遇」
光のショーとして表現された宇宙船の背景には、光、炎を崇拝するゾロアスター教が見え隠れするのではないか?これは、ユダヤ教やキリスト教のもととされる宗教で、スピルバーグはユダヤ人であることから速くに想像され得るかもしれない。一方で、「未知との遭遇」において、ディズニーアニメのピノキオやファンタジアとの類似シーンを数多く挙げることができる。監督のもつ宗教性、アイデンティティーをこのように大衆化させたところに、この映画の成功があるのではないか。映画の背景にあるキリスト教のグローバリズムが、この映画の大衆動員力になったのではないか。多くの大衆を動員した名作には、ローカルチャーとハイカルチャーの結びつきがあるのではないかと考える。
「銀河鉄道の夜」
宇宙船のデザインに日本的な要素を入れるため宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の停車場のデザインを考えた。宮沢賢治の作品にみられる鉱物を用いた表現が賢治自身の持つ不可思議な物質愛好癖や法華経への傾倒との中和作用を起こしているという考えを何等かの形で発展させられないか?
「惑星ソラリス」
「惑星ソラリス」は社会主義リアリズムの時代の作品であったが、監督のタルコフスキーはそれに強く反発した人物である。社会主義リアリズムとは、一般大衆にわかりやすく世界の現実に対する目を開かせ、革命や社会建設のために働く労働者を鼓舞するような芸術である。これをきっかけに退屈な建築、摩天楼、独裁政権、ロシア構成主義というキーワードにたどり着いた。
独裁政権下の巨大建築のビジョンを調査し、映像作品の背景に登場しやすい巨大建築に壮大さというスケールのイコンを見いだすことで、相違点が見られるのではないか。
並んだタイトルを見て吹き出しそうになった。彼らが(そして石山さんが)選んだものは、その後の 80 年代サブカルチャーに決定的な影響を与える、その源流になるものばかりである。
このゼミは奇しくも、私から見れば二つの異なる世代からの、80 年代以降の東京の文化、つまり自分の世代の文化をどう捉えているかの視線を、端から見較べるという構えになってはじまった。
若い彼らはそのこと、80 年代以降の文化が彼らのリアリティを形作っているというような自覚を持ってはいないだろう。石山さんの方はというと、彼らの抱える世界がそこから始まっていること、それが現代の都市の、そして現代の建築の様々な情況となって吹き出していることを直観しているのであろう、これは歴然として仕掛けられているのである。
つまり石山さんから見れば、歴史というメインカルチャーを背負いつつ、60 年代 70 年代のいわゆるカウンターカルチャーがつくった世界と、高度経済成長後バブル以降のサブカルチャー的世界では何かが大きく変わっている、それがいまの問題意識の根っこになっているように映るのではないか。
実にそこには大きな思想の断絶があるのだ、と私は考えるのだが、それは追々明らかになるか、それとも全く別の見解になっていくのか。
各自の卒論内容とそれに対する石山先生のエスキス。
現代女性の装飾衝動を考察する
現代の女性を通して装飾というものを考える。彼女達を過剰に装飾させるエネルギーは何処からきて、どれだけの情報に触れているのか。
女性特有の装飾衝動があるとしたら、具体的な例を挙げながらを並列して書いていく。
参考文献についてどんな装飾意欲が書かれているかを考えながら、参考文献一冊につき30ページ程まとめていく。
手工芸と女性
美術史の中に記述されることのなかった女性芸術家。女性は創造の世界には向いていないという不可思議な認識が社会背景にあったわけだが、本当にそうなのであろうか?女性ともの作りについて考察したい。
一次資料として、アーティスト3人にインタビューする必要がある。過去の文献から手工芸と女性の関わりを探し出し、女性にとってモノを作ることが特別であったのかどうかを検証すれば良いのでは。
建築、デザインにおける美学の変遷について
ハイカルチャーの領域と、それに対してサブカルチャーと呼ばれる「好み」(キッチュ、遊び…)がどう振る舞ってきたか。反発し合ったか、融合しつつあるのか。近現代の美についての言説とそれの影響力を捉え、60年代小林秀雄が提示したような強い保守的にも思われる核が現代にも存在しているか、を探る。
1980年以降の主要美術館の展覧会のテーマ、企画者、協賛等を調べ、どのような思惑があるか調べる。
書物にもハイアートとキッチュ(商業ジャーナリズム)とがある。批評のジャーナリズムで若い人たちの影響を持ったかもしれない本を10冊程度挙げる。
[美学論 - 展覧会企画 - デザイン]の関連を考察する。
美術の価値を伝達するメディアをひもとく
雑誌白樺における「絵画の約束」論争を皮切りに、美術史上におけるメディアを通した大衆の捉え方を考える。美術の価値を伝える媒体(メディア)として、雑誌、展示(美術館)、TV番組を挙げ、それらでとりあげられたテーマを比較、階層化させる。
結論が見えなくてもよいので、このまま卒論として進めてみる。百貨店展示に関しては、パリのラファイエットに先導された百貨店文化について触れるとよい。一次資料の雑誌には建築雑誌も加えること。リサーチの対象年代は、2000年以降現在まで。和辻哲郎論の風土論が影響した事も参考にすると良い。
今回それぞれがそれぞれのテーマとコメントをまとめたようだが、各人が石山さんのコメントをどのように聴いているか(あるいは聴いていないか)がよく解って興味深い。細かいことでも大きな枠組みの中で、現代社会における位置づけを考えさせるようなコメントだと思って聴いてみると、やりたいことがもっと明確に言葉になるのではないか。その上で、今度は読む人に何を伝えたいか、伝えるべきかをちょっと練ってみなくてはならないのは、ここからはもう社会と繋がっているわけですから。
サブカルチャー的世界観と言うよりは、そこから外への視線という趣になってきたな。