介護老人ホーム
Y

 老婆達の合唱の声が階下からさざめいている。尋常小学校唱歌を唱っている。菜の花畑に・・♪、名も知らぬ遠き島より・・ヤシの実・・♪、富士は日本一の山♪。サークル活動なのだろう。
 初夏の午後である。窓の外の陽射しは強いが、ここにはその強さは侵入してこない。淡い灰白色の光に包まれている。
 廊下は広くゆったりとしている。風が吹き抜ける。蛍光灯の灯りと、外からのかすかな光が混じって、妙に明るく、軽い感じがある。
 老人達の個室は閉じられていたり、開け放たれていたりで、まちまちだ。開けられたままのドアの内には、カーテンがまたかけられている。
 部屋は、うっすらと暗く小さい。廊下よりも明らかに暗い。

 広い廊下を、時折、老人達が歩く。ゆっくりと。光の中を泳ぐように。実にゆっくりと。先にゴムのついた杖をついたり、車椅子に乗ったりして。行き交う若い介護士達の動きと比べると、それはまるで夢の中に現れる人間達のようにゆっくり動く。
 広くゆったりとして、明るい廊下には、何処にも影がない。人の影も視えぬ位に薄く、軽い。

 子供のころの歌を唱っても、子供のころにもどれるわけじゃない。
 時間は酷薄なのだ。のび、ちぢみさせることはできぬ。
 砂時計のように、流れ落ちるだけ、止める事もできない。
 昨夜みた夢だって、今日になれば、もうハッキリと辿りなおすことさえ難かしい。もとにもどる、時間を動かしもどすことは不可能なんだよ。
 ただ、自分を動かなくしてしまえば、それはできるんだ。動かぬように固定して、はじめて、時間も、地理・空間も自在にすることができる。
 今の私は、毎夜、毎夜、いや、真昼でさえ、エジプトに旅をしている。サハラ砂漠の砂が風に吹かれて、流されている音だって聴いている。ミイラになった諸王の声だって聴くことができるし、黒い女王クレオパトラにも会ったぞ。夜の闇よりも黒い肌の女王だった。
 今は、夜の闇、虚空そのものの闇だって、ここにはありはしないから、脳内につくり出さなくちゃならない。でも、つくり出さなくちゃならない今の境遇に、自分は充分に満足もしているのだ。不満足ではあるけれど、不満ではないのだ・・・。

 それにしてもXの奴、最近はとんとここには顔を見せぬな。でも、私はXのところに時々、会いに行ってる。それを彼は知らぬだけなのだ。彼はまだ、なまじ身体が動くからな。私のように、ここに体を固定していないから、自在に距離と時間を操る宇宙船を、まだ手にしていなからな。彼はまだ、不自由なんだ。
 先だって、私が訪ねた時も、枠の外に出る、なんて一生懸命考えてたよ。科白がどうだ、種目だとか、ダーウィンの進化論の入口みたいなところで、フラフラしとった。
 彼は不自由だから、私が彼に会いに行ったことも知らぬママだろうがね。他人が知ろうが、知るまいが、そんなことはどうでもよいのだ。
 知らぬがほとけさ。
 私だって、ここに幽閉七年になる。
 だんだん、完全な幽霊としての力を身につけ始めているのだぞ〜。
 アッ、痛テテ。
 力むと、まだ尾てい骨みたいに残ってる骨にひびいて、キリキリ、コーン、と音がして痛い。
 枠の外なんかに出れるものか。体はともかく、気持ちを自由にのび、ちぢみさせることは、それはそれは初心者にだって難かしいことなんだよ。

 Yは誰かに話しかけるように、つぶやき続けた。けれども三階の小部屋にはYの他には誰もいなかった。

 Yの部屋には、ところ狭しとキャンバスが積み重ねられている。
 南に小さな窓がひとつだけある。カーテンにさえぎられた光が淡く浮かんでいる。壁には自作のペインティングが数点かけられている。

 T市郊外の介護老人ホームに来て、七年になる。その間、南面した小さな窓のカーテンは一度も開けられたことがなかった。ベージュ色の柔らかい布地は、ゆったりとしたシワの曲線まで化石のように動かぬままだった。

 倒れる前のYは、頑健な肉体を持つ芸術家だった。たいそう高名な芸術家であったから、Yは世界中を駆け巡った。世界中の芸術家達と親交を結び、多くの展覧会を開催し、作品を出展したりした。とてもよく動く芸術家であった。
 あまりに外に動き過ぎて、自分の内を、身体を覗き込むのが少しおろそかであったかもしれない。
 宿命だったのさ、と考えねばならぬのか、とにかく、Yは血管の一部が破裂して、倒れ、生還した時には動かぬ人になり変わっていた。

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