大沢温泉依田之庄花鳥風月 | |||
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大沢温泉秘話より | |||
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大沢温泉依田之庄花鳥風月 5 | |||
大沢温泉秘話と題して小さな物語り風を書き連ねてきましたが、秘話というには余りにも秘め事が少なく、小さな町の歴史と呼ぶにとどまるのが知れてきました。故に、中途で思い切って題を変えてみようと思い立ちました。雑誌や新聞の連載であったら、大目玉を喰うでしょう。しかし、ここはウェブサイトです。私の責任が全てですから、題は変えます。その理由の一つに、計画していた湯屋の建設が少しばかり延期になりました。秘話は湯屋の完成に焦点を当てていました。新築の湯屋の茶席で茶を飲み、おぼろ月夜に湯につかる。中央に建てる神木との対話で幕を閉じる筈でしたが、どうやら幕は開いてしまったのですが、仲々、閉じられなくなりました。中途興行打ち切りではありません。それでは話しにもならず、不様なだけでありますが、興行は続くのです。少々、予測不能のロングランになりそうなのです。 それで題を大沢温泉秘話から依田之庄花鳥風月に変える事にしました。秘話4では「安手のスローガンのくだりに話しを戻しましょう」で話しが途切れました。理由の全ては述べ切らず、ともあれ、題を変え、場所舞台は変えずに話しを進める事にいたします。登場人物は全く変わりありません。役者が変わりようが無い、その事が良くも悪くも、謂わゆる地方の、小さな町の歴史の宿命でもあります。宿命なんて気恥ずかしい言葉を思わず使ってしまいました。お恥ずかしい。松崎町を舞台に作られたTVドラマ「世界の中心で愛を叫ぶ」の恥ずかしさ程ではありませんが。ところであの「青い山脈」の現代版ラブストーリィってんですかの登場人物では写真館のオヤジ、墓場に骨を取りにいくオヤジの役どころだけは妙なリアリティがありました。気恥ずかしいと言えば、松崎町を舞台にしたドラマ、映画、小説の大半は気恥ずかしいものでした。「金魂巻」「ひとひらの雪」「もず」皆、とても気恥ずかしいものでした。その気恥ずかしさは、作者自身にその気恥ずかしさが、あんまり自覚できていない。あるいは演技の巾がそれほどに深くはなさそうだと、お里が知れるところから来るものでもありそうです。特に「もず」の吉本ばななは、もう少しまっとうに考えたらどうかと言いたいお気取り私小説でした。
さて、今は昔、元松崎町長依田敬一が今は町役場の要職にあるM氏を対手に説いた「安手のスローガン」に話しを戻します。 | |||
大沢温泉依田之庄花鳥風月 6 | |||
依田敬一はこんな風に考えたのです。 「自分の町政の軸は、『花とロマンの里づくり』にしようと思う。聞く人には、特に都会の知識人などには、気恥ずかしく耳に響くだろう。どうかな。」 「確かに少し気恥ずかしく聞こえます。」 「そうだろう。しかし町の衆にはどうかな、花とロマンという言葉で、私は故郷、共同体の再構築を成したいと願っているんだ。」 「そうですね、共同体なんてストレートに言えば、あらぬ誤解を生み出しかねませんね、確かに。」 「そうだろう。君、故郷つまりゲマインシャフト、ゲゼルシャフトについての実に困難な試みでもあるんだよ。それを易しく普通の言葉で言い直せば、花とロマンなんだ。気恥ずかしいなんて言ってはいられないのだ。」 「ウーム」 「私の町政をこれ迄支えてくれたのは、実はお年寄りたちだったんだ。花とロマン、すなわち共同体の再構築を心の奥底で望んでいたのはお年寄り達の健全極まる保守性でもあるんだ。近代の教育にそれ程毒されずに、営々と共同体を営んできた年代の人々なのだ。彼等が完全に姿を消してしまう前に、私は何か具体的なモノ、それに触れ、それを体験すれば、共同体の尊厳を感じられるモノを残さねばならない。それが私の本当にやりたい事なのだ。」 「一種の復古運動になるんでしょうか。」 「有体に言えば、そうなるな。でも復古とは言えない。余りにも多くの人々が進歩という得体の知れぬ価値を信じ過ぎているからなあ。」 「しかし、便利というのは進歩の代名詞で、これは強い価値ですね。電気釜は竈よりも便利で、交通の便は誰もが願う事ではないでしょうか。」 「そうなんだ。伊豆西海岸には遂に鉄道は来なかった。でも、私はそれを大変な欣幸だと考えたい。君、二十一世紀の人々は本格的に古さを懐かしむようになるぞ、それを理想にするようになる。」 「しかし、町に人力車を走らせると言うのはどうなんでしょう。余りに安直ではありませんか。」「ウーム、批判はあるだろう。それ位の事は覚悟してるんだ。しかし、君、観光とは何かね、言って見給え。町の活性化なんて言う俗論を超えて言って見給え。それを聞いてから批判に応えようじゃないか。」「ウーン・・・・・・・。」 「仲々、答えられぬだろう。それが本当なのだ。安直な解答は余りにも脆い。怪しい。私はね、君、観光とは町の人々、つまり住民の暮しを本格的に良く、つまり美しく作り直す事だと信じているんだ。」 「エッ、良く解りません。」 「今の日本に本当に良い、美しい町はあるかね、君。正直に言ってごらん。」 「ウーン。答えるのに難しい質問ですが、それぞれの理想の高さによって、答え方は変るでしょう。」 「君に、尋ねているんだよ、君はどうなんだ。」 「皆無に近いと言わざるを得ない私が居ます。非常に厄介な存在だと自覚もしているんですが。・・・。」 「・・・。そうだろう。実は私もそうなんだ。依田の家、つまり、ここには、この場所にはその血が流れているんだ。北海道に理想郷を夢見た依田勉三のスピリッツなんだ。それは、ここの場所で育てられたんだよ。」
いつも、私に対するこんな授業は町役場の町長室ではなくて、ここ大沢温泉ホテルの入口ロビーで延々と続くのが常であった。依田敬一には高潔な教育者の風格があった。ここは時に学校であった。 | |||
大沢温泉依田之庄花鳥風月 7 | |||
しばらくは、大沢温泉ホテルから出掛けて話を外に拡げよう。大沢に設計中の計画も足踏み状態だし、今は細部を語るには良いタイミングではない。物語りには、語るに適した潮時というものがある。かと言って拡げ過ぎても五里霧中になるばかりだ。今という現実が、大沢温泉秘話にとって引き潮時であるならば、再び上げ潮を待たねばならない。必ず潮目は変る。果報は寝て待とう。寝て待っていると夢を見る。必ず見る。時に夢に見られているような、更に深い夢の中に引きずり込まれる。 もう少し年を取ったら、田舎暮らしをしてみようと心秘かに決めてはいる。今の東京暮らしも、世田谷村の住民としては畑作りに、時に精を出す日々であるから、充分に田舎暮らしの風がある。でも世田谷村での生活は都市内村の生活モデルの実験なんである。お金も余りかけずに、できるだけジーッと油ゼミの鳴声の如くにジーッと一ヶ所にとどまり、しかも社会との関係も絶たず、仕事も続けてゆく。仕事はただただ表現する事。それを続けてゆく為の最小限社会モデルが世田谷村での生活である。 しかし、自己充足は「表現」にとっては危険な袋小路でもある。ジィーっとして全てが足りてしまっては表現の枠もジィッと動かずに固定されてしまうだろう。自力でそれを破壊してゆく様な力は自分には備わっていない。どうやらそれは自覚している。
数年前迄、ネパールのカトマンドゥ盆地の、古都キルティプールで晩年を過ごそうと計画していた。本気である。一九八〇年代、日本は超高度経済成長に浮かれ騒いでいた。当然、私もいささか浮いていた。あるディベロッパーと結託してカトマンドゥ盆地の宮殿のいくつかを買収しようと値踏みに出掛けていた。ついでに自分も何処かに土地と家を得ようとたくらんでいた。ヒマラヤの白い峰々が眺められる土地、盆地の外れの古い寺院、棲みつく積もりの眼で幾たりかの物件を当たっては外れていた。 残骸棚には他にも幾つかのモノが棚晒しになっている。大沢温泉ホテルのある松崎町、なまこ壁通りの、近藤さんのところの蔵の件も棚の上に未整理物件としてある。
松崎町の伊豆の長八美術館前の国道を北にしばらくゆく。ほんの数分歩くと、なまこ壁通りと呼ばれる小さな小路と交差する。小道は舗装されていない。明治時代までの状態にワザワザ残されている。左に折れて五〇米もゆかぬところに、見事な、なまこ壁を通りに剥き出しにした蔵が二つ連なったのに出会う。近藤家の見事な蔵である。この蔵のなまこ壁の見事さから、小路はなまこ壁通りと名付けられた。 | |||
石山修武研究室 |