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Matsuzaki Onsen Project :NOTE
伊豆松崎町依田之圧大沢温泉プロジェクト

 西伊豆松崎町大沢温泉ホテルは先代依田敬一氏が心血を注ぎ、三〇〇年の歴史を持つ屋敷を再生させた国際観光ホテルです。次代の依田博之氏より依頼があり、再びその再生に取り組む事になりました。
 これまで大湯屋前のテラス、そして日本庭園の土塁などを手掛けてきました。ホテル玄関脇の重要な場所に新しい温泉棟の設計をすすめています。又、同時に小ギャラリーを開設する提案もする積りです。その一部始終をサイトに公開します。私共の研究室としては初めての「和」との対面です。
 先代依田敬一氏は松崎町長時代は私の町づくりの師でもあり、沢山の教えを受けました。次代はそれを更に乗り超えたいの考えを持っている様です。幾つかの案を作っては壊してきましたが、ようやくにしてまとまりそうですので、大沢温泉の新しい楽しみ方も含めて御紹介してゆく予定です。プロジェクトの進行過程を知っていただくと、大沢温泉ホテルの楽しみ方も倍増するに違いありません。
 全体の事はともかくとして、先ずは新しい湯屋の概要から案内します。
 石山修武

大沢温泉ホテル TEL 0558-43-0121
静岡県賀茂郡松崎町大沢 153
http://www.osawaonsen.co.jp/
松崎町役場 TEL 0558-42-1111
http://www.town.matsuzaki.shizuoka.jp/

大沢温泉プロジェクト
松崎町岩地集落
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大沢温泉秘話 1
 依田之庄大沢温泉の南に流れる清流は那賀川です。川の少し下流、松崎港に流れ込む辺り、松崎町に幾つかの小さな橋があります。その橋にはいづれもささやかな装飾が附されています。ときわ大橋にはツバメが、浜丁橋にはカモメが、入江橋にはそれらの鳥が飛び立った跡が表されていると言われています。又、ときわ大橋のたもとに建つ時計台の天井の小ドームにも不思議な、極楽鳥のような鳥が描かれていて、時計の文字盤にも鳥が飛んでいるではありませんか。これは画家の高頭祥八が描いたと言われています。陸前高田の高頭祥八が何故松崎町に鳥の絵を描いたのかは解らぬままのようです。依田之庄は野鳥の宝庫です。那賀川の水を引き込んでホテル内に流れる小川にはカワセミ、キセキレイが姿を見せますし、稀にはキビタキも樹陰に姿を隠しているのを見る事もあります。

   今、その建築の木を刻み始めている大工さんや、壁の仕上げの準備に余念のない左官職人たちの間でささやかれている噂があります。近くのソバの名店「小邨」店主小林興一が噂の元だという噂もあります。小林は今でこそ、松崎、否、伊豆西海岸では名の響くソバ打ちの名人ですが、ソバ打ち修行に入る前は松崎町観光協会の職員でした。余計な事ではありますが、その当時の松崎町長が先代大沢温泉主人の依田敬一でした。依田敬一は温泉経営の実業にも長けていましたが、町の運営に関してはリアリストであり、同時に理想主義者でもあったと言われています。左手にソロバン、右手に理想の特別な実践家でもありました。依田勉三の血を何処かに引継ぐ人物であったようです。
 観光協会の職員だった、今、小邨店主の小林はどうやら、そんな依田敬三が大分煙たかったようです。「小邨」に出掛けて、そんな事を冗談交じりに尋ねてみて下さい。
「そんな事もありましたかねェ」
の答えが返ってくるに違いありません。
今では小林も一角の人物になりました。依田敬三とのいささかの事を語ってもはるか遠く懐かしむ目になるでしょう。
 そんな事はともかく、そして誰が噂の源なのかも少しばかりさておいて、その噂というのはこんな話しなのです。
「来年の正月に出来るらしい依田之庄の新しい温泉には、大きな鳥の絵が描かれるって話しだぜ」
「イヤ、俺が聞いた話しでは、鳥の彫刻が屋根の上に乗るってよ」
「スペインの外尾さんが又、来るってか」
「何だそりゃ、スペインのソトオって誰の事」
「お前、知らんかったのか、あの長八美術館に石の彫刻彫った、牛みたいにデカイ男よ。何でも良くTVに出てくる、ガウディのバカデッカイ寺を今でも建ててるって」
「そんな男が、何故松崎に来たんだ」
「何でもあの鳥の絵を時計台に描いた絵描きの知り合いじゃネェか」
「イヤ、西伊豆の鈴木左官の親類筋だって話しだ」
「そりゃどうでもいいけんど、たかが、鳥の絵やら何やらでどうしてそんなに噂になるのかね」
「イヤァ、何でも、ときわ大橋の時計塔に隠されてた秘密があるらしくって、それが依田の書庫から出たって話しだ」

大沢温泉秘話 2
 依田家の書庫は、大沢温泉ホテルの北の一角を占める依田ファミリーの住宅部分にある。北の山に面した竹林に接している、竹の葉ズレの音が絶えぬ場所だ。そこに立ち入るのは控えたい。それで、出たらしいという秘密も、人の噂に頼りながら探り当てるしかない。気取って言えば竹の音に耳を澄まそうって言う事でしょうか。噂の大半は怪しく頼りにならぬものだが、噂というのは生み出される素地があってつくられるものだから、その素地、素材に触れてみる事はあながち無駄ばかりではないのです。

 陸前高田の高頭祥八に、私はその生前に一度お目にかかった記憶があります。その三陸の海を見おろすアトリエにもうかがいました。大きく立派なアトリエで何不自由なく暮しているように見えましたが、芸術家はメシを喰うのに苦労するのが常であります。今にして思えば、何不自由無く、人柄も満点な家族と共に暮していたように見えた高頭祥八にも、人知れず深い悩みや困難があったに違いありません。伊豆松崎町に高頭祥八が現われた時、彼はすでに放浪の画家でした。放浪と言っても、もうすでに当時では荷車形式のボンゴとかキャラバンと呼びならわされた大きな箱型の車に乗って彼は町に現われたと言います。もう、その当時の事はほとんど誰も憶えておりません。誰を頼りにこの町に流れ着いたのかは解りません。しかし、芸術家特有のプライドの高さ、頭の高さを高頭は失っておりませんでした。だからこそ、俗世間では成功を収めなかったんでしょうね。本来ならば、無視されて、ほうり放しにされても良かった高頭ですが、松崎町の人間には常識では計り知れぬ、桁外れな、不気味なと言っても良い位の変な気配りがありました。
 それが何故なのかは全く知る事が出来ません。愚かな憶測をするに、伊豆半島の西海岸の先端で、鉄道も、高速道路の恩恵もいまだに浴しておりません。その、日本の他地域との物理的な、物理的というのはTVやITのメディアのそれは除いてと言う意味です。そんな、近代化された日本の諸都市との距離が、そんな気質を育てたのかも知れません。まあ、そんなへ理屈はとも角。松崎町の人達の何がしかは、流れ着いた高頭祥八に不可思議な、優しさを示したのです。その優しさはあわれみと言う類のものではありませんでした。むしろ、慈悲という言葉で言い表せるような気配りであったようです。一人や二人の人間だけではなく、当時の町長でもあった依田敬一までもがそんな気配りをしたのです。それで、高頭祥八は伊豆松崎町に彼の最高傑作とも言うべき鳥の絵を残す事になったのです。

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大沢温泉秘話 3
 大沢温泉ホテルは松崎町の中心部からは少し東に離れたところにあります。松崎の中心街が海に向かって開かれているのは、昔、ここは海上交易で栄えたところであったからです。今でこそ、鉄道もなく、高速道路も辿り着かぬ伊豆西海岸は、時代から取り残されようとしている風がありますが、昔は多くの物は海上の路で運ばれました。生糸作りが盛んな頃、松崎は生糸の一大産地でありました。当時ニューヨークの生糸相場は松崎から動いた、という、これも又噂があります。交通の便が、特に陸上の動きが乏しいところでは、人の噂はかえって、良く飛ぶのです。鳥のように。その頃の名残は、ときわ大橋を牛原山の方へ渡って、最初の角の通りに残っています。ここは当時の船問屋や大店がズラリと軒を並べていました。又、今の松崎造船所は、日本でも有数の、最後の最後まで木造船を作り続けてきた造船所でした。そこの御隠居は大型木造船の大きな模型を作り続けていて、それは役場や、そこかしこに大事に飾られています。
 ともあれ、松崎町は昔、生糸で大変に栄えた歴史を持つところです。栄えた場所には文化らしきも豊かに育つものです。文化ってなんだろうと考えるに、それは噂を沢山生み出す事であります。
 牛原山は松崎町の人たちの心の山だという噂もあります。牛の腹のように、ゆるやかで堂々とした姿をしております。この山の牛原名はヨソ行きの、それこそ国土地理院か、つまりお上が勝手にあて込んだ名前です。町の人たちは、古来うしろ山、うしろ山と呼んできました。うしろ山・・・いい名前です。うしろにいつも大きな山が居てくれるという、安心感があります。これは町の日々の暮らしの深いリズム、くり返し、くり返し同じ事の中で生活する事への安心感、信頼、安堵、喜びが込められています。いつも、山の姿を身近にして、その姿と共に生活している感じです。東京のように、はるか遠くにしか山の姿が視えぬところに暮らしている人たちには、仲々わかりにくい事かも知れませんが。
 港から船で出てゆく人たちにとって、うしろ山はそれこそ神様のようなものだったのでしょう。漁師にとってはその姿の大きさや角度が、自分の船の位置を知る目印になったろうと思われますし、大きな木造船で遠くに出掛ける人間にとっては、うしろ髪引かれる思いを込めて、山の姿を何度も振り返ったにちがいありません。
大沢温泉秘話 4
 今でも、夕陽が西の彼方、駿河湾に沈もうとする頃に松崎港の端の防波堤のあたりに行ってみますと、ボーッと西の方を何待つでもなく眺め続ける人の姿を多く見る事があります。港のある町ならば何処にでもある風景かもしれませんが、この町ではその数も決して少なくなくて、その風景、西を眺め続ける人々の姿も又、町の暮らしにとけ込んだものとなっております。釣をするでもなく、何をするでもなく遠くを見やる人々は一体何を見ようとしているのでしょうか。何を待っているのでしょうか。その松崎港の西の端から東を振り返ってみると、先ず何よりも眼に飛び込んでくるのがうしろ山の姿です。今では船ならぬ飛行機の定期便の航路になっていて、うしろ山の山頂には高い標識ポールの姿があり、夕暮刻にはポーッと緑の灯がともります。

 もうこれも昔話になりましたが、大沢温泉ホテルのオーナーだった依田敬一が松崎町長を務めていた頃の話しです。ある日突然、依田は言い出しました。うしろ山の頂きに、今航空標識灯が建った辺りに、巨大な風車を建てようではないかと。
「船には燈台が必要だ。松崎の人達にも燈台がいると思う。船乗り達に必要な燈台じゃなくって、そうだなァ森君、町の衆の気持の中にともる光みたいな燈台だよ。解るかなァ」
「ハァーッ。全く解りません町長」
森君というのは、当時、町役場で依田町長の話し相手をさせられていた職員でした。依田の言う事、考える事は仲々、町の人々や役場の職員達には理解されぬ事が多かったのです。
 人々に乞われて町長に就任した依田は「花とロマンの里づくり」を町の旗印に、今で言うまちづくりのキャッチフレーズとして掲げました。
「安手のスローガンみたいに聞こえるだろう森君」
依田は問わず語りに話し出します。独人言なのです。独人言を役場でつぶやき続けたら、すぐに良からぬ噂が立ってしまいます。何しろここはそれでなくとも噂話が多いところですから。
「町長は議会と又大ゲンカして怒って大沢に引き込もってしまったらしい。議会の連中も連中だが、町長も町長だ。町長の話しは時々チンプンカンプンだなァ」
「もうこれで今年になって三度目だって、町長と議会の大ゲンカは」
「そのたんびに、それで議長が謝りに行って、それで又出てくるってんだから、全く天の岩戸だなコレワ」
「なんだ天の岩戸ってのは」
「ホラ、あるじゃネェか天照大神が怒って引き込もって洞穴に入っちゃう話し。それで世の中が真っ暗闇になっちまって、又それで困って謝って、洞穴から出て来てもらうって話しさ」
「そりゃ、知ってるさ」
「それと同じって事さ」
「じゃ、お前さん、ウチの町長はそんなに偉いってか、神様じゃあるまいし」
「勿論、そうだよ。いくら先祖の依田勉三が偉かったって勉三だって神様、仏様じゃネェ」
「でも、北海道帯広には依田神社っでのがあるってよ。北海道じゃ依田は神様になってるぜ」
「神様じゃネェ、アレは北海道開拓の父と言われた人だ」
「ウチの町長も、依田の家系の血か知らんが、やたらと新しいモノ好きだって言うじゃネェか」
「新しいモノ好きってのは当ってネェな。誰も考えネェー事、考えるのが好きだって」
「今もうしろ山のてっぺんに風車建てようって言い出してるらしい。役場の森も困ってるらしいぜ。町長と議会の板挟みで」
「だいぶ、やせたってな森も」
「丁度、体にゃいいんと違うか」
「マア。そりゃどうでもいいけどね」
 エエッと無駄話が長くなりました。安手のスローガンのくだりに話しを戻しましょう。

大沢温泉依田之庄花鳥風月へつづく
石山修武研究室