二〇五〇年の交信 再生編
渡辺豊和X石山修武
「建築からの伝言」について雑感

渡辺豊和様

建築からの伝言ー美(女)は万象を超え醜(男)は地獄で煮殺されるー送っていただきまして、誠にありがとう御座いました。

大変面白く読みました。まだ半分位迄しか辿り着いていないと書面に書かれていましたので、現段階で少し計り気がついた事など述べさせて下さい。

二〇五〇年の交信は途中でプッツンと中断されたままですが私は投げ出したわけではありません。貴兄がコンピューターを捨ててしまったので、あの形式での交信は不可能になりましたが、送っていただいた原稿の余りの面白さは、それに関しての雑感を述べる事で補えると考えました。

先月東京でお目にかかった時に、「俺のところは家系が長命じゃないんだ、だからあと数年かも知れない。遺言のつもりで最後の長編書いているので、何とかしたい」とおっしゃいました。内心、これは大変な事になったなと思いはしましたが、いつもの通り笑いでごまかしてしまったのでした。

何故、大変な事になったな、と実感したか?それは貴兄の覚悟を私も直観したからです。建築からの伝言、すなわち遺言であるのを確信したからです。それ故に、これから書く私の駄文、雑文も又、貴兄の未完の遺言「建築からの伝言」に関しての、私の書評形式を借りた、渡辺豊和論になろうかと思います。

一生のうち、一冊だけ作家論を書きたい。それが私の夢でもありました。これは雑魚い建築をべんべんと作りたらしている者には決して出来ぬ事ですし、わかりもしないでしょう。私が対象として考えた第一はリチャード・バックミンスター・フラーでした。最晩年のフラーには会った事があるし、好きだったので試みようとしましたが、つまづきました。 フラーの思想と価値観が色濃く米国海軍のそれと似通っており、どうやら米国海軍の知識が無ければ書き切れないのを知ったからです。「 Your Private Sky / R. Buckminster Fuller 」のページを繰ればその事は一目瞭然です。フラーを作家論として書く中心は彼の母親のマーガレット・フラーが東洋思想に傾いたトランセンデンタリストであった事と共に米国海軍の精神なのです。

貴兄の論述中、2章「離村寒村」、縄文の3「縄文渦中、アイヌの先祖よ、渦となって人類の未来に抗議せよ」の中にかかれている、ギリシャ文明に先行するエーゲ海のクレタ文明の海洋性(海洋の交易による商業の本質)に関する言及は、これ迄の貴兄の論述にはあまり無かったと思われ、それ故に興味深かった。フェニキア人の海洋交通に関してはマルクスがドイツ・イデオロギーで触れていて、その後余り登場する事の無かった概念です。

日本では柄谷行人、中上健二がそれに触れながら小林秀雄批判を試み、破砕したまんまですが、柄谷は現在、世界共和国ノートを書き続けています。

要するに、フラーの思想の中心にあった海洋性(交通)を身体化して理解するには彼の海軍体験と挫折があったと考えるからです。フラーは身長が足りなくって本格的な海軍軍人になれなかったとも、極度の近視の故でもあったともされています。つまり、その中心を知り得ぬ自分(日本人としての限界らしき)を知ったのでフラー論は本格化する事が不能でした。

次に、これも又貴兄の本論述中に顔を見せる重源をやってみようと考えました。同じ第2章の2「龍神化成、森の木々がより合わさって龍虎激闘を現出する」の頃に重源が出現しますが、ここは日本の中心の森の宗教、修験道について、是非触れていただきたい。渡辺豊和の人生の軌跡は驚く程に山岳修験道者のそれと酷似していると考えるからです。始祖とされる役行者の神話などは渡辺豊和の語り口そのものではありませんか。

重源に関しては、鎌倉期、平安期の歴史のディテールに関して素養がないので中途になったまんまです。しかし、日本の大仏様と言われる建築は全て見ました。

で、今は磯崎新を少しづつ書いています。しかし磯崎は自身が一流の批評家でもあるので、大変やり難い。遅々として進まぬところがある。貴兄の「建築からの伝言」という名の遺言集草稿をいただいて、よし、これなら書けると考えたわけです。磯崎新はいわば丹下健三の息子です。師の丹下は磯崎の才を早くから見抜き、用心深く自身を容易には乗り越えさせぬように、生き方をデザインしたのではないかと私は直観しています。もしも、磯崎が東大のプロフェッサーアーキテクトに自然になっていたら、彼は当然その流れの中にいたわけですから、日本の建築の状景は変わったものになっていた筈です。

それは蛇足。遺言の形式をとった貴兄の「建築からの伝言」に私はいたく、作家論を書く意欲を刺激されました。丹下健三の直系巨匠磯崎新と丹下健三批判を彼の存命中に繰り広げた異形渡辺豊和を素材として書くのは仲々、素敵なような気がしました。

それも、発刊される書物より先に書評がネットに先行してしまうというのも、極めて現代的でいいじゃないですか。そんな理由で、二〇五〇年の交信の再生編として、渡辺豊和遺言「建築からの伝言」雑記を書き始めたいと思います。

今、現在の読み方では3章の「日本破滅、離別」が格段に面白く、刺激的です。

また、各章の小見出し、タイトルにもう少し脱渡辺豊和をデザインされると良いかと思います。

二〇五〇年の交信 渡辺豊和X石山修武
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