第八便
いよいよ唐桑の友人たちの手掛けているモノをみなさんにご紹介したいと思います。唐桑は宮城県リアス式海岸唐桑半島のまちです。隣の気仙沼市は世界一のまぐろハエ縄漁の基地として知られた所ですが、唐桑は日本一多くの漁船員を生み出してきたまちです。みなさんが口にするトロは、唐桑生まれの船員が遠くの海で獲ってくれたものが多いのです。
この唐桑には稀有なモノがあります。風物や祭りだけではありません。人の集まりです。歯医者の佐藤和則さんを中心に何人かの人が集まって作った会社があります。「まちづくりカンパニー」と言います。
この会社は唐桑の宝です。その謂れを述べ続ければ一冊の本になってしまいます。とにかく良い会社です。まちづくりという理想と、ビジネスの現実が同居しています。「まちづくりカンパニー」の仕事の一つに「お魚倶楽部」があります。唐桑の海で獲れた魚や貝を都市に暮らさなければならない人たちに送り出そうという活動です。何年もその活動は続けられてきました。仙台や東京にも「お魚供楽部」の会員は拡がっています。もっと早くこのことはお知らせしたかったのですが、カンパニーの連中はこう言います。
「アンマリ宣伝しないで下さい。大変なんですよ大きくなってしまうと。申し訳ないんですが、イイ魚や、イイ貝や、良い海産物を沢山集めるのには苦労がいるんです。苦労はもちろんいといませんが、頑張っても、頑張っても集まりにくい現実もあります。お客さんは適当な数が望ましいんです。売り手が買い手に注文つけちゃあ何ですけど、数だけは制限させてもらいたいんですよ。」こう、言い張って止めません。
それで仕方なく、今日まで皆さんにはお知らせしないで我慢してきました。でも、やっぱりわたしたち「町づくり支援センター」の仕事にはどうしても「唐桑まちづくりカンパニー」の活動は不可欠です。何故なら、支援センターが何よりも先ず支援しなくてはならぬのは、他でもない「唐桑まちづくりカンパニー」だと考えていたからです。
彼等が一九八八年から何年もの間、成し遂げてきた「唐桑臨海劇場」の運動。アレは今、日本中で雨後のタケノコみたいにニョキニョキ生え出て、乱生している、まちづくりとは一線を画すべき、何かとても高貴なモノがありました。その場所、場所で生きなければならない人間だけが生み出せる尊厳のようなモノがありました。それを今、思いおこしています。それで、考え抜いたすえにまちづくりカンパニー」に頼みました。
そんないきさつで、唐桑まちづくりカンパニーから、カキとホタテをお送りすることになりました。これは支援センターの切り札の一つです。カキやホタテの嫌いな人にも買っていただきたい。唐桑の連中の気持ちが、カキやホタテの味からシンシンと伝わってくるはずです。
伊万里市でチョッと自慢なコトを始めかかっています。今年の夏に、伊万里の歴史と今日の力を集めた小さな祭りを作ろうとしています。その主役は大きな皿とそれよりズーッと大きな牛車です。仰天する程大きな牛が伊万里に登場します。モーッといななくかジィッとしてるだけか、夏のおなぐさみです。次回にそのお知らせと、お願いをいたします。今回はいかにも思わせ振りな予告編のみにて失礼。
あの「豊か」のかちれ大根漬けでは多くの人に待ちぼうけをくわせて申しわけありません。なにしろ「豊か」のオヤジは大ヒネクレ者です。沢山な人から注文が来てるのに、と言っても「オレの作るモンがそんなにゾロゾロわかられるもんですかネェ」なんて言い方でスネています。しかし、ようやく重過ぎる腰を上げて、順番待ちの方々のためのモノと新しいモノを作り始めました。売りたくない人に売らせる位の困難さを他に知りません。勝手にしろとオヤジにどなりたいのを我慢して、辛抱して、こんなこと続けていたら本当のタダの善人になってしまいそうです。
松崎町の小邨のソバは大評判でした。もう一度の声に、コレは率直に応えたいと思います。
一九九六年 早春 町づくり支援センター 石山修武