まちづくり支援センター

第九便


ご挨拶・九

カンボジヤの首都プノンペン。王宮の隣にウナローム寺院があります。この寺院の一角に「ひろしまハウス」を建てることになりました。建てるのは広島市のみなさんです。この建築は広島市民とカンボジヤの人たちとの交流の拠点として建てられます。広島は原子爆弾によって都市のすべてが壊滅した歴史をもちます。カンボジヤも内戦、そしてポルポト政権の過激さによって気の遠くなるほどに沢山な人たちが殺戮された歴史をもちます。巨大な近代の廃虚の闇を共有しています。
広島で一九九四年にアジア大会が開催されました。カンボジヤは選手を日本に送り出すことが困難な状態でした。貧困の底に沈んでいたからです。広島市民はそれを知り、市民運動として、力を寄せ、カンボジヤ選手団を迎える努力を続けました。物心両面にわたって支援したのです。
そんな筋金入の市民たちが、今度はプノンペンに「ひろしまハウス」を建設しようとしています。原爆投下によって壊滅した都市の数々の資料をカンボジヤの人たちに体験してもらおうと考えたからです。その事を始まりにして共に同じような不幸を背負った人々が想いを通わせ、考えを練り合い、次の世代の人たちへ、さらに沢山な国々の人たちへ何か大事なモノを残したい、手渡してゆきたいと希望したからです。
「ひろしまハウス」はそのような展示、記念施設であると同時に宿泊施設、集会所、学校、病院としても使えるようにと考えられています。相談を受けて、わたしたち支援センターは力を尽くして、この計画を支援しなければと確信しました。これを支援できなくて、何が支援センターだと言うくらいの意気込みです。設計はお手のモノですから、すぐにしてあげることができました。仏さんの足を空中にいただいた、我ながら、仲々のモノだと自負しています。
当然、建設費が足りません。広島市の強いバックアップはありますが、この建築はでき得るかぎり広島市民の力を直接に結集するのが理想だと思いました。理想は理想にすぎないと棚上げにするのは世の常ですが、この計画はキチンと理想を前面に押し立てて行かねば意味がありません。
そんなわけで、又、皆さんの力をいただきたいと考えました。支援センターは五枚一組の「ひろしまハウス」絵葉書を作りました。計画案が絵になって描かれています。これを是非とも買って下さい。その売上げは「ひろしまハウス」建設の援助資金にいたします。お願いします。

友人の坂田明から「ミジンコの字宙」が送られてきました。ビデオテープです。最近坂田さんは、ジャズミュージシャンであると同じくらいにミジンコの友として名が知られています。そのビデオを一見、仰天してしましました。実に良いのです。天晴れなのです。今は本格的に退屈な時代です。その退屈な時代をゆっくりと、しかし何とか元気に生きる方法を誰も発見していないように思います。坂田さんの「ミジンコの宇宙」にはそのヒントが隠されています。退屈で平板な時代を尻目に、テクテクと歩き続ける姿勢を見る感があります。決してトボトボではなく、もちろんゴリゴリでもなく、歩き抜ける術を見ることができます。坂田明さんの同意を得てこのテープ「ミジンコの字宙」を皆さんにお分けしたいと考えました。一見の価値があります。御用命下さい。

テクテク歩くぱかりでも疲れるでしょう。人間なによりも深い眠りを必要としています。しかし、深い眠りを得るための道具が意外に見当たりません。寝室を作ってお届けするわけにもいきません。そこで枕を作ってみようということになりました。材料はもちろん青森県佐井村のヒバです。わたしはどちらかと言えば不眠不休の貧しい人間ですから、枕のデザインは苦手です。支援センターには眠りの達人がいます。高木正三郎君です。この人物はいつも眠っています。起きていても眠っています。しかもその眠りは尋常ではなく、深いのです。なにしろ起きて働いている姿を見たことがありません。そこでその正三郎君にデザインを依頼しました。何とか起きてやってくれました。さすが、他には何もできなくても眠るのだけは達人ですから、それは見事な枕が出来上がりました。ヒバの香りに包まれて、暑い夏の夜だって何処吹く風の逸品です。この枕を「夢枕正三郎」と名付けました。おすすめします。 ヒバ枕の夢がさめたら、もちろん冷たいそうめんに限ります。
九州佐賀、神崎町の「神の白糸」そうめんを御案内します。日本中に沢山のそうめんがありますが、神の糸を名のり得るモノは稀でしょう。絶品です。お試しください。

一九九六年 梅雨 まちづくり支援センター 石山修武


ご挨拶・八|ご挨拶・十

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