まちづくり支援センター

松崎の物語・前編


今でもおじさんはオリーブ畑の真ん中で時々急に
いてもたってもいられない気持ちになることがあります

おじさんは事業家でした
けれどみんなは おじさんのことを勝負師と呼びました
生まれつき勝負が大好きで
人生は勝負そのものだと言ってはばからないおじさんは
何でもかんでもせりあっていないと
生きている心地がいたしません
はりあいの最中 ぐつぐつと血が湧いているのや
筋肉がぴくぴく踊っている感覚こそが
おじさんの狂おしいいのちの証明でした
好きなだけのことはあって
おじさんばどんな勝負にも負け知らずでした
とびきりの才能と力があったし
勝ち目を読む勘も五感もなかなかだったのです

おじさんは むかし船乗りをしていたことがありました
故郷は 夏祭りの季節にさえ人影まぱらな
これといった取り柄もない 静かな漁師町でした
おじさんは 太陽がおだやかに光を注ぐ
自分の生まれた町がきらいでした
あたたかな日だまりの中で ほっとしてしまうと
おじさんは 自分が生きているのか死んでいるのか
わからなくなってしまう

船に乗りはじめて 五年目のこと
おじさんが訪れたのは
教会の高い尖塔が空に浮かぶ町でした
人にも家にも挑むように
太陽が照りつけているその土地は
瞬間でおじさんを とりこにしました
坂道や店先や曲がり角 町の隅々に溢れかえる
めまいがするほどの色彩のまぶしさと
山の斜面をうるおす果樹園の豊かな実り
それに向かい合う水平線

見たこともない景色に おじさんはみとれました
会いたかったのは この風景だったと思いました
ふるえんばかりに立ちつくす おじさんの耳の横を
さらに強烈な色彩が
あたりの気配をねこそぎさらうように 通りすぎました

女でした
惜しげない太陽は なにもかもまぶしいこの町で
その女だけに ひときわ特別の
光の恵みをふり注いでいるかのようでした
おじさんは気がつくと 女に声をかけていました
女は振り返ると おじさんを見て
いいわよ と言って笑いました
女は港町の娼婦でした

女の部屋の窓から 教会の尖塔が見えていました
状差しには差出人の違う手紙が
山ほどあふれていました
とびきりの美人でも 若くもないこの女が
結構な人気者らしいことが わかりました
好きなことでお金をもらえてしあわせだわ と
女は ほほえむのです
みんながよろこんでくれるか らうれしいわ
とも言うのです
おじさんは女の膝に そうっと頭をのせました
よく焼けた肌は ひなたの匂いがしました
この町じゃ どんな料理の皿にもオリープオイルが
欠かせないの と片目をつぶって
女は 鏡台の上のガラスの小瓶をつまみ
一しずく腕にのせました
女の形のいい指先をみつめながら おじさんは
来たかったのは 確かにここだったにちがいないと
思うのでした

女はおじさんにノアの方舟の話をしました
続く

覚 和歌子


ご挨拶・一

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