第一便の2
西伊豆松崎町のオリーブ茶をお求めいただきまして、ありがとうございました。
お約束どおり、覚和歌子さんの物語りの後編と一緒にお送りいたします。
箱の裏側にオリーブ茶の召し上がり方が記されていますが、夏は冷やして飲んで
いただくのが一番だろうと思います。
茶碗で飲むより、小振りなグラスの方が似合うコレワ、などと押しつけがましい
事も想ってます。おためし下さい。
覚和歌子さんに関するお問い合せの多さにも驚きました。八十才とは思えぬ物語
りのツヤとか、コリャ色気婆さんに過ぎぬだとか、何年か前に高千穂で会ったこ
とがあるとか、色々なお便りをいただきました。ようするに、何者なのかという
好奇心がそうさせたのでしょう。
実は僕も覚さんの事はそれ程くわしくは知りません。二年前の秋に、淡路島の
「いざなぎの丘」で初めてお目にかかりました。
遠くに海が見える舞台の上で、淡路島の子供たちと詩の掛け合いをしておりました。
年令不詳だなこの老女はと思いました。
声は澄んで若く、髪は、それこそ白髪三千丈だったからです。
淡路島の友人、瓦師山田脩二に尋ねても、その生い立ちを知らぬといいます。
興味、津々と音を立てるほどでしたが、覚さんは俗な身許調査からは逃げるばかり。
でも、折角ですから、聞けるだけの事は聞きましたので、お知らせしましょう。
覚さんの祖父は維新の際「日本神道学」の紹介のため渡欧。そのままフランスに
居住。父上の代でスペインに渡り、覚さん出生。
帰国後、父上の実家である山梨で幕らす。国語、英語の教員を経て、かねてから
投稿していた文芸同人誌「荒野」の筆頭詩人となる。
大戦後祖父の遺志につき動かされ、全国の神社をめぐりながら余生を創作活動に
ついやしている。一度の結婚経験があるようだが、
夫、子供に関しては黙して語らない。
松崎町とのかかわりは、明治二十二年七十五才で他界した左官の名工
入江長八(伊豆の長八)の生い立ちにまつわる。
松崎が生んだ名工長八の鏝絵の代表作の一つに明治九年作の「近江のお兼」がある。
うら若い浴衣姿の女が下駄をはいた左足で、躍動する駿馬の手綱を大地に押さえ
止めている風を描いている。このお兼のモデルになったのが覚さんの祖父の妻、
つまり覚さんの祖母ヨネさんらしいと言うのだ。
左足一つで暴れる馬を押さえつける気性の持主だったらしい。
若い頃の覚さんは、スペイン帰りということもあって「女だてらのカタロニア気質」
なぞと後ろ指もさされたらしいが、長八描くお兼の姿を眺めれば成るほど
そんな血をひいていたのかと合点する。
冷やしたオリーブ茶にウィスキーをたらし、そんなことを想うのも、 また格別なものでしょう。
何はともあれ、ありがとうございました。
ぜひとも、くりかえしご注文下さいますように。
一九九四年 夏 町づくり支援センター代表 石山修武