向風学校のすすめ
安西直紀X諏訪太一X石山修武
  
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  向風学校 第一回講義 西村修『死とともに生きる』
12DREAMS
  向風学校 第一回 開校準備講義
西村修
西村修登場
西村修登場
プロレスラー山門をくぐる
夕暮れの養源寺
『死と共に生きる』なる超重量級の試合会場
2007年9月28日 池上・養源寺にて
向風学校 第一回講義〜プロレスラー・西村修氏『死と共に生きる』 
多数のご参加ありがとうございます

 客足が長く続き、予定時間を少し遅れて開校する。安西の挨拶に続き、西村氏「死と共に生きる」レクチャー。西村氏は淡々と、直裁に自分の癌体験を語り続けた。宿病癌を語り、これ程までに前向きに、しかも具体的に、ウーン、仲々表現し難いが未来への光に満ちた話が聞けるとは思いもよらなかった。

 一時間半程を話し続け、会場からの質問も多く、予定時間をオーバーして終了。私も最後に小スピーチした。西村修のキャパシティはまだまだありそうなのだった。

 参加者は予想を上回る八十名弱であった。年令、職業が多様で若い人も多く、まずまずのスタートであったのではないか。
世田谷村日記より

西村修のフリーバード〜翼あるもの〜[オフィシャルブログ]

 向風学校 第一回 開校準備講義 日程決定

 

向風学校設立の趣意書はまだ書くことができません。おぼろな事は、H.P.での何回かの発言が全てです。先ず、理論をではなく、先ず具体的な行動を、と考えているからです。しかし、準備活動を介して視えてくるものもありました。それは具体的なプログラムに反映させていきます。

従来の学校制度及び学生達の学生生活がその基盤を失いつつあるように思います。ニッポンの新たな教育文化の明日を切り開く一石として、向風学校はスタートします。ただ風に流される人生ではつまらない。ときに向かい風に立ち向かおうとも、ある種の価値観を持ちながら、力強く前進し、次なる時代を自らの手で創り出そうではないか。

―――これが私達の意気込みです。

「心」「体」「旅」。この3つをテーマに、多彩かつ魅力的な講師陣を招聘いたします。

  第1回 プロレスラー 西村修氏 講義「死と共に生きる」 9月
  第2回 教育者 金杉朋子先生 11月
  第3回 WORKSHOP 日常生活のデザイン 12月
       富士ケ嶺 向風学校 グラスハウス校舎での合宿:
       「メシを炊く、料理をする、、、、、」
  第4回 平沼赳夫先生(元経済産業大臣)に聞く 2008年1月
  第5回 藤賢一氏 中国での開発事業について 2008年2月
  第6回 WORKSHOP 日常生活のデザイン 2008年4月
       富士ケ嶺 向風学校 グラスハウス校舎での合宿:
       「自分の畑をつくる」
以上を予定しています。
その先は思い描いてはいるのですが、まだ発表できる段階ではない。予定はウ゛ィジョンの一端で、それは時に変更、改変が必要なものであるのを知るからです。ですから、まず第1回を踏み出します。

2007年9月 向風学校 代表 安西直紀、顧問 石山修武
向風学校
 

記念すべき講義第一回の講師は、プロレスラー・西村修氏。テーマは、『死と共に生きる』です。
己の肉体を蝕むガンと独自の戦いを繰り広げ、なおわが道を行く孤高のプロレスラーから、どのような説法が聞かれるのでしょうか。

向風学校では広く生徒を募ります。
性別、年齢、学歴及び職業の有無などは一切問いません。どなたでも参加が可能です。皆様、どうぞお気軽にご参加ください。

---------------------------------------------- 「〜向風学校 第一回講義〜 死と共に生きる」

日程:2007年9月28日(金)

場所:池上・養源寺(ようげんじ)
住所:東京都大田区池上 1-31-1
最寄り駅:東急池上線 池上駅 徒歩8分

時間:19時〜21時
入場料:1200円

講師:西村修(プロレスラー、無我ワールド・プロレスリング所属)

向風学校・養源寺
 「向風学校」設立のごあいさつ
この度、「向風学校(こうふうがっこう)」設立に伴い、代表に就任いたしました、安西直紀(あんざい なおき)でございます。

インターネットの普及と共に、人々のコミュニケーションのあり方が大きく変わりつつある現代社会において、新たな教育文化の明日を切り開くために「向風学校」は設立されました。

この「向風学校」という名称には、ただ風に流されるかのような人生を送るのではなく、ときに向かい風に立ち向かおうとも、自分自身の価値観、人生観を見つけ出し、新たな時代を我々の手で作り出していこうではないか!という強い意味合いが込められております。

そのため講師としてお招きする方々も、有名無名に関わらず、人生の中で向かい風を体験された方々をお招きし、その逆境の中に身をおいたからこそ手にすることができた、類まれなる価値観、人生観を思う存分、披露していただきます。

また、「向風学校」では、既存の「学校」という概念に収まることなく、様々な場所を「校舎」として活用して行きたいと考えております。この一箇所に留まることなく様々な場所に出向くことが、好奇心を育むことを我々は確信しております。

そして「向風学校」は大きく分けて3つの分野を提唱します。

それは、「心」、「体」、「旅」。

人と人とのコミュニケーションの核となる豊かな心を養い、身体の持つ可能性を学び、その心と体を存分に旅させる。

これら人生をつかさどる3つの根源的要素に焦点を当てて「向風学校」は多彩かつ魅力的な講師陣を招聘いたします。

生徒も年齢、性別で区別することなく幅広く募集いたします。特にこの先、ますます増加が懸念される存在である、既存の教育制度に対して興味を失った若者に足を運んでもらえるような場を構築していきたいと思います。

我々の行く道には、様々な向かい風に吹くやもしれませんが、強い信念を胸に突き進んでいきたい。

明るさと楽しさ、そして好奇心を失わずに前進を続ける学びの城をともに作り出していこうではありませんか。

この「向風学校」に興味を持ってくださる方には、その熱意を間近で感じてもらいたい。

「向風学校」の時代への挑戦に、ご期待下さい。

 2007年6月18日

向風学校代表 
安西直紀 
 「向風学校」設立のごあいさつ2
安西直紀君の紹介

安西直紀君と私はヒョンな事で知り合いになりました。

私自身は設計・デザイン・制作活動と共に、学校作り運動如きものを繰り返してきました。古くは故倉田康男氏主催の高山建築学校へ、東大教授鈴木博之氏と共に創設時より 30 年程関わりました。その後、A3 work shop( 1998 年〜 2001 年)、佐賀県の支援を受けての早稲田バウハウススクール( 1999 年〜 2002 年)の活動等です。
この体験は体が動かなくなる前に一度まとまりをつけたいと考えておりました。そんな時に安西君とバッタリ会った。まさにプロレス風にバッタリでした。

その後、何回か安西君より「プロレスとは」というレクチャーを受けました。今迄会った事のないタイプの青年だなとの印象がありました。
聞けば、慶応幼稚舎からの慶応ボーイで、慶応の創立者福澤先生研究会の代表も務めたの事。育ちがイイ事、並々ならぬモノも感じましたが、それはアンマリ、大事な事ではない。
ただ、当然入学した慶応大学をスグに退学してしまったとの事。その辺りの事情がまことに小気味良かった。

コレワ、いける。と内心思ったのです。

何故、いけると思ったのかは理屈ではない、何しろ、かなりの事ができる男だと直観しました。直観するのは勝手ですから。
この青年の途方もないエネルギーを何処かへ集中させる事ができれば、かなりの事ができると考えたわけです。

それで、長年の宿題であった学校作りを彼に託そうと思いました。
安西君も彼なりの体験から従来の学校の枠組みには大きな疑問を持っていた。それでなければ、取得単位0で大学を中退したりはしない。

で、かなり自然に、「向風学校」代表につく事になったのです。1980 年生まれの人間です。すぐにどうという事はできないでしょう、しかし、安西君がエネルギーを集中すれば、学校くらいはできるのです。よろしく御ひいきの程、お願いいたします。

2007 年 6 月

石山修武 
 「向風学校創立への礎 坂田明氏に会いに行く真栄寺ツアー 前編」
 安西直紀 
先週末の7月14日(日)、私、向風学校校長(代表)安西直紀は、千葉の我孫子にある真栄寺へと向かっていました。

なぜ真栄寺へ赴くのか。

その理由は、ジャズサックス奏者にしてミジンコ研究者でもある坂田明氏の講演会&ライブが真栄寺にて行われることを、石山修武顧問より聞いたことに始まります。

正直に言いますと、私は坂田氏のことを詳しくは存じ上げませんでした。

しかし、この日の前日に石山顧問よりかかってきた電話で、私は大きく坂田氏に興味を持つこととなります。

石山顧問の電話はこのような内容でした。

「君は坂田明というサックス奏者を知っているかな。彼は、かつてはアヴァンギャルド一辺倒の音楽性であったが、5年前に脳卒中で倒れて重い病を背負ったことを境に、彼の中で何かが変わったんだ。彼は倒れたことをきっかけにして、徐々に変貌を遂げてその音楽性は恐ろしいほど深みを増した。そんな男の奏でる音を聴きに行ってみないか」との話でした。

私の脳裏には、バイク事故前と後で変貌を遂げた北野武と似たものが浮かびましたが、人生の中で大きな向かい風を体験した魅力的な方とお会いできるこの機会を、逃すわけにはいきません。

坂田氏と直接お会いしてその音を耳にしたい。
そしてこれから開校する向風学校の礎を築きたい。
そう感じた瞬間、私は即答で真栄寺へ赴くことを決めました。

そして当日。

新宿駅にて石山顧問、スタッフの渡邊さんと会い、車で千葉方面へ。

外環自動車道を降り、取手を抜けて真栄寺のある我孫子へと向かいます。

この地域は東京で勤める会社員のベッドタウンとして栄えたものの、近年、定年を迎え時間に余裕ができた元会社員と地元の住民との間で、コミュニケーションを構築することができず、それが地域全体に隙間風を吹かせる原因となっている、という話を以前聞いたことがあります。

この日は雨が降っていたこともありますが、街並みは心なしか少し寂しく感じました。

余談ではありますが、石山顧問いわく我孫子はかつて自転車泥棒が日本一多い街だったとのこと。我孫子に自転車泥棒が多い、という話も、住民同士のコミュニケーションが構築しきれていないが故に生まれている事象かもしれません。

ここで真栄寺にほど近い天王台駅で、他のメンバーとも合流し、総勢6名に。
さながら「坂田明氏に会いに行く真栄寺ツアー」といった趣きで、ちょっとした日帰り旅行気分です。

これに坂田明氏本人も合流し、2台の車に分かれて真栄寺へと向かうこととなりました。
ちなみに坂田氏は上着の下にジェームス・ブラウンのTシャツを着用。60代とは思えぬセンスにまず驚きました。

車内にて、坂田氏の体の調子を気にかける石山顧問に対し、坂田氏は「(脳卒中で)倒れる前と後を例えると、これまで4気筒で動かしていた体を、3気筒で動かしている感じだわな。ただ、体も徐々に慣れていくからシンドくはないよ」とサラリと受けかわします。5年前に倒れた際はロレツが回らなくなったそうですが、その後遺症は微塵も感じられず、むしろどこか余裕スラ感じます。

10分ほどで真栄寺に到着。
坂田氏がやってきたことに感激する真栄寺の住職、馬場昭道さんの感情のこもった喜び方が印象的。

控え室代わりの和室に我々と共に入った坂田さんは、衣装である作務衣と足袋に着替え、サックスだけでなく手持ちの民族楽器を楽しそうに見せて説明してくれます。

聞けばチベットで手に入れてきた民族楽器とのこと。

初対面の私や渡邊さんにも無邪気に民族楽器の音を聞かせてくれる。
その坂田氏自身の感情が、実にいい雰囲気を醸し出してくれます。

そんな坂田氏の話術や演奏、そして絶妙の「間」のとり方は、これより15分後、寺の本堂で始まった講演会&ライブの席上においてますます冴え渡ります。

 「向風学校創立への礎 坂田明氏に会いに行く真栄寺ツアー 後編」
 安西直紀 
会場として使用された真栄寺の本堂は30分前から続々とお客様が詰め掛け、最終的にお客様の数は200人強に。文句無しの超満員札止めです。

雨模様の天候の中でこれほどのお客様が集まったことには正直、驚きました。

この大盛況ぶり、入場料が無料であったことも要因のひとつでしょうが、子供からご老人まで幅広い客層を見る限り、真栄寺が地元に根付いた場所であることを窺い知ることができました。

そのお客様の熱気と期待感が立ち上る本堂に坂田氏が登場。期せずして沸き起こる拍手。

坂田氏はまず挨拶代わりにサックスを吹き、お客様の雰囲気を掴み取り、その客層に合わせた軽妙な話術を展開。

坂田氏自身が研究を続けるミジンコの話を織り交ぜつつ、ご自身が倒れたときの話に加え、生と死についての話を時に笑いを交えて優しく丁寧に語ります。

そこに先ほど控え室で登場したチベットの民族楽器を鳴らし、詩の朗読を続け、最後に再びサックスを吹き、笑いが絶えないあっという間の2時間が終わりました。

用意された坂田氏のCDやDVDも完売する盛況ぶりの中、我々は控え室に戻り、坂田氏と石山教授を中心にした会話はさらに続くのですが、坂田氏の興味深い会話の中でもとりわけ印象に残ったものはふたつ。

脳卒中で倒れる前と後での心境の変化と、海外での差別を跳ね除けてライブを行うときの経験談について、でした。

「脳卒中で倒れる前と後では、日々の時間の感じ方が大いに変わったよ。たとえ湯船に浸かっている時でもブチッと頭が切れたら俺はお終いなんだ。そう思うと湯船から手足を出すだけ、たったそれだけでも、生きていること実感するね」

「20代の頃から海外でサックスを吹いていたけれど、黄色人種というだけで差別される。まあそれは当然だわな。そんな時は俺は彼らに対してこういうだけさ。『I'm Yellow. So What ?(俺は黄色人種だ。それがどうした?)』と。冗談のように自分から会話を振ってしまうんだ。肌の色で区別する彼らも楽器を吹けば敬意を払う。ならばそこで勝負するだけさ」

石山教授に「一度倒れただけにその言葉にもリアリティがある」と言わしめる坂田氏の言葉には、確かに一つ一つ不思議な説得力がありました。

夕方6時。最後に皆で鐘楼に上がり、坂田氏自身のリクエストとして、サックスの坂田氏と鐘を鳴らす馬場住職という贅沢なセッションが期せずして始まりました。

降りしきる雨の中で鐘の音とサックスの音を生み出す鐘楼だけが、結界で守られているかのような、実に荘厳な時間でした。

非常に充実した「坂田明に会いに行く日帰りツアー」でありましたが、坂田明氏という一度は倒れたサックス奏者とお寺という独特の空間が交わることで、なんとも形容しがたい素晴らしい時間が生まれるのか。実に楽しい体験ツアーでありました。

最後に坂田明氏は私に対してもメッセージを送ってくださりました。

「俺の目の黒いうちはしっかり見守っているから、お前もやりたいことをやれ。とことんやって気が済むまでやればいい。そうすると何かが見えてくるから。途中でやめてしまったら悔いが残るだけだから、とことん好きなことをしっかりやれよ」

と、おっしゃってくださりました。

これは私を通した、坂田氏から私と同世代の人々へ向けてのメッセージだと思います。

向風学校には坂田明氏のような、人生において強い向かい風に当たろうと前向きな気持ちを胸に全てを受け入れ、自分自身の力として吸収してしまえるような方を講師としてお招きしたいと強く感じました。

正式開校に向けて、向風学校はこれからも走り続けます。

石山修武研究室

ISHIYAMA LABORATORY
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