DAILY NEWS WASEDA BAUHAUS SCHOOL in SAGA

3月16日木曜日

講義・演習、開始される

鈴木博之氏の「都市へ」、皮切りに

第二回早稲田バウハウス・スクールin佐賀の本講義が昨15日9時、佐賀市天神の県立生涯学習センター、通称アバンセにて開始された。前回と同様に、第一講は東京大学教授・建築史家の鈴木博之氏。今期の通奏テーマとなる「都市生活」の基調講演も兼ね、延べ三時間にわたるレクチャーが展開された。
 また同日午後からは建築家の難波和彦氏も駆けつけ、実習場にてデザイン実技演習が始動、初めての参加者は石膏でドアハンドルのデザインを、二回目以降の参加者は橋の設計に取り組んだ。21時には幾人かのピックアップされた参加者の作品を俎上にのせての講評会が開かれ、特に自らのデザインを論理的に説明することの重要性が強調された。

寄稿:フランスの建築教育 ─森田一敏(建築家)

フランスにおける建築家教育の場は私・公・国立が混在する日本と大きく異なり、大部分は六八年五月革命後に大改革された旧ボザール系の国立建築学校である。バカロレアと称される高校卒業資格兼一般大学入学資格を取れば、誰でも基本的に国立教育機関入学の権利を持つ。例外は多くの政治家、学者、研究者、官僚を輩出しているグランゼコールと総称される超一流エリート養成学校で独自の入学試験が課せられている。それらのひとつのポリテクニックや、セントラルという技術系専門学校でも建築家の資格を得る道もあるが、ここでは一般的な建築学校の実態を示そう。
 フランスの国立教育機関は基本的に登録料を毎年支払う以外、我が国の授業料に相当するものは無きに等しい。知的階層性も生んだが、フランスは機会均等の教育の国なのだ。
 これに関連しているとまず考えられることは学生たちは必ずしも刺激的ではない学校を建築家の資格を得るための通過すべき場と考えているフシがあるということである。最短で五年の授業と課題、卒業制作で合格点を取ればディプロムが与えられ、建築家として活動が可能な国家資格を保有できる。しかし現実にはいくら改革されたとはいえ教育の現状は常に動いている時代との差延をはらんだ旧態然としたシステムであることは自明であろう。特に建築のように多方面に拡散しやすく、その全体像をもはや明確に把握することが極めて困難な分野はなおさらのことである。優秀な学生たちは学校での提出作品をかかえて先端的な仕事をしている建築家の事務所の扉をたたいて武者修行に出る。これが可能なのは授業料がゼロに近いことと、それなりの能力が備わっていれば、例えばコンペの手伝いなどをして建築プロジェクトの生まれる現場を体験しながらアルバイト代が得られるからである。質の高い仕事をしている事務所にはフランス各地、ヨーロッパ全土から将来が期待されるような学生が集まり、互いに競争しながら新しい風を受ける。場合によっては事務所のスタッフとなって実施の仕事にまで関われる者もあらわれ、時間を見ては学校に顔を出しながら働く。当然、五年以上はかかるが実勢を知りながらディプロムを得る例が多い。これは建築教育と実践の場との落差の大きさを端的に示している。そして建築には必ずしも向かない学生もある程度予想されるので、現在では他の大学の授業との等価交換も可能で、他分野の大学への途中入学もできる。(以下次号へ続く)

Doorhandle-Ulf Pleines

Entering a space through a door means to change the situation. A door either divides a place into inside and outside or inside and inside. But even if it is an internal door we've the feeling of entering something which we've been outside before. The door is the membrane between two spaces. Changing the location means movement, activity, experiencing a new situation we haven't had before. But the 'before' is still fading out and the 'next' is still fading in. Using a door is by that always defined by the present. The action of change is the thin layer between past and future. Our senses get some different impressions. Not only visual aspects are changing, as well the temperature, the sound, the smell and of course, connected to architecture, the surfaces we step on or which we touch.
The door handle is, compared to the door's surface, a small part of the door. But it's the only part we (usually) touch. We feel the structure, material and shape of the doorhandle by our skin. Humans are very focused on visual impressins. But touching something is somehow something private - the direct connection to our body. What tells us that "private" moment about the world we're just entering?
The door should be suitable to the ' behind', so the handle should. Because it has the potential of being inbetween two sides, connecting, telling us something about each one, being a bridge of two volumes.

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