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3月17日金曜日

講評会、25時まで白熱

名物の辛辣クリティック、早くも炸裂す

今期の第一回総当たり講評会が昨16日15時より25時まで、小休止をはさみながらも約10時間にわたって行われた。講評は石山修武と難波和彦氏が担当し、ウルフ・プライネス、森川嘉一郎、ヨルク・ネニッグら助手も日英混じりの評を加えた。参加者たちは各々自らのドアハンドル作品、あるいは橋の設計作品を発表し、同時に他に対するクリティックを聞くことにより、デザインに対する本格的視座を濃密に体験した。

求道者の筋金入りの退屈
難波和彦のレクチャーを佐賀で聞きながら─石山修武

難波和彦さんは現在日本で最も倫理的な建築家である。ここで言う倫理とはもちろん建築的倫理のことで、人生訓話的倫理を指すものではない。建築はえてして単なるビジネスの対象に陥りやすい。何故ならばそれは極めて高額な商品であるからだ。あらゆる住宅、全ての高層ビル、それは様々な産業活動の結果として、プロセスとして出現する。
 建築家と呼ばれる職業の本来的な意味には極めて倫理性を帯びた理想への傾きが秘められていた。つまり商売としての設計業とは別の働きが期待されていたのである。何故ならば建築は人間がよく生きるための道具としては多大な社会性を帯びざるを得ぬものだからだ。しかし、現実はその理想とは裏腹に、建築の大半は商売の対象でしかない。
 難波和彦さんの建築の全体は建築的論理で組み立てられようとする。そこには人間の様々な曖昧さ、弱さ、でたらめさが入り込む空間(スキマ)はない。人間の様々な曖昧さが表されるのが俗に言う芸術であろう。あらゆる芸術的営為は人間存在の意味そのものが内在させている矛盾の表象だろう。
 今、「アルミの家」に関する難波和彦さんのレクチャーを教室の最後列で聴講しながらこの小エッセイを書いているのだが、難波さんの講義の論旨には芸術的ニュアンスの片鱗も出現しない。ここにこの建築家の存在する意味がある。「アルミの家」と言えば、 1970年代に伊東豊夫によって造られたものが知られている。おなじタイトルで作られた建築でありながら両者の距離は大きい。伊東のアルミに対する関心はその表層の美的な価値にあった。伊東はアルミを壊れがたい鏡として感受した。その表皮の光沢、反射性に現代的な意味を見つけだしたのだ。敢えて粗野に言ってしまえば、それは芸術的な意味の感性的発見であった。難波のアルミに家にはそのニュアンスは影も形もない。何故ならば、難波には美というあいまいさに対する関心が薄いからだ。
 佐賀での講義でも難波はそのこと、つまり美について一言もふれなかった。様々に社会が語られたが、しかし、その深奥には常に建築的論理性への渇望が横たわっていた。この渇望こそが難波和彦の正体であろう。そして、この渇望が難波和彦の建築の倫理性を構造的にし得ている。
 美は刺激的であるが、倫理は常に退屈なものである。有体に言えば、わたいは難波和彦の建築は極めて退屈なものであると考える。しかし、その退屈さこそを私たちは直視しなくてはならない。それこそ、わたしたちの中にかすかではあるが確実に残されている倫理への共感の広がりの中に直視しなければならない。
 伊東は美的に建築を消したいという。
 難波はその退屈さを極めることによって建築の美的な意味を消す作業を続けている。そして、その構造的な退屈さは現代そのものが内在させる巨大な矛盾を抜けていこうとする者達には大きな力になる可能性があるだろう。
 難波さんのレクチャーは案の定、わたしにはとても退屈であった。しかし、今ではその退屈さの価値をよく知っている、自覚がある。
 深夜までの作業で疲れた学生はスライド・レクチャーの暗い教室でよく眠っていた。
 そうだ、それで良いのだ。難波和彦は百名の学生の全てが眠ってしまっても、平気の平左で彼の考えるところを説き続ければよい。極度な結晶性への希求を持つ倫理性は常に求道者の面影を持つことになる。時に殉教者の相貌さえ示すことさえある。それを逃れるのは道化の身振りしかないのに、相も変わらず、難波は求道者の如くに建築への道を説き続けている。
 2000年3月16日朝

※「フランスの建築教育」は次号以降に掲載します。

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