3月21日火曜日PREV/NEXT
坂田明氏踊る
昨20日10時40分より、坂田明氏が「アジアの音楽」の演題でレクチャーされた。講義はオーディオやビデオを駆使して行われた他、氏のアルト・サックス演奏、さらには受講生全員を巻き込んでの歌や踊りまで展開された。
小講評会行われる
昨20日15時より、実習場にて本日をもってスクールを去る横田彩子さんのための講評会が行われ、併せて希望者に対しても小講評が行われた。横田さんには同日、本日までの講師のサインが入った修了証書が授与された。古谷誠章のカルロ・スカルパを聴講して
−石山修武古谷誠章さんのカルロ・スカルパに関する講義は刺激的なものであった。スカルパがフランク・ロイド・ライトに傾倒していた事はよく知られている。特にその建築の装飾的な意味合いについては従来多くがすでに語られている。高度な職人技能とデザイン、自身の様々な素材のへの習熟の成果。それらによってカルロ・スカルパは異常とも考えられる寡作にもかかわらず、巨匠(グランド・マイスター)と呼ばれたりもしているのだ。
古谷さんの講義は従来のそれらのスカルパ論を越えたものであった。スカルパが活動の場としていたヴェネチアの空間の構造的把握から始まり、様々な展示空間デザインの空間的分析へ、そして既存建築の再生、数少ない新築の建築へと分析は進められた。その分析は乾燥した断片的なものではなく、建築家の生きた眼の潤いを介したものであるから、聴講者はさながらスカルパの設計を追体験するような臨場感に誘われるのであった。ヴェネチアの路地の迷路性については余りにも多くの指摘がある。しかしその多くは極めて文学的なものであった。空間の連鎖を構造的に説き進めるものではなかった。角を曲がる度に次々と複雑に展開される空間の変化、運動、特にその視線の運動性について古谷さんは述べた。そして、そのヴェネチアにおいて連綿と繰り広げられる視線の運動性の体得こそがカルロ・スカルパの設計の中心であると見抜いたのだ。幾つかの展示空間の設計例を使いながら述べられた古谷さんの批評的方法は、要するにヴェネチアの街でのスカルパの生活の集積、つまり視線の運動性の体得の成熟こそがスカルパの中心であると構造的に把握することであった。これは実作者でなければ発見できぬ類の総合的把握の仕方であろう。
建築家の修練の方法の一つに方法的体験がある。敬愛する建築家の作品群を介して、その作家論を構想し、記述することは建築家を豊かに生育させるのだ。
古谷誠章のカルロ・スカルパ講義は、いずれ彼が書くであろうカルロ・スカルパ論の輪郭を既に示していた。更にそれは新しい視点からのヴェネチア論になるであろうし、それは都市と生活についての大きな論にも成長していく可能性をも内在させている。
スカルパは論じぬ建築家であった。それがスカルパを内的に成熟させ、同時に規定してしまった。
古谷誠章はこの講義において何かを構築的に論じ得る可能性を存分に示したのだ。
直感として、私は古谷さんはゆっくりと成熟してゆくタイプの建築家であろうと考えている。近代建築が豊かに成熟したものをまだわたしたちは日本において見ていない。村野藤吾の建築には論理が欠けていたし、槇文彦の建築には官能性が欠落している。古谷誠章が書くであろうカルロ・スカルパ論は、それ故に彼の成熟への野心の表明になるだろう。
たくさん、柔らかで豊かな体験を重ねて、巨大な成熟を示現する建築を、古谷誠章はゆっくりと実現するに違いない。2000年3月20日の朝の講義を聴講してそのように考えた。助手紹介 ウルフ・プライネス
1969年ドイツ・エプスタイン生まれ。軍役、家具職人見習いなどを経て、バウハウス大学にて建築を学ぶ(99年卒)。在学中を含め、ロンドン、ホフハイム(ドイツ)、ニューヨークなどの設計事務所に勤務。99年8月、第一回早稲田バウハウス・スクールin佐賀に参加、以降石山研究室個人助手、世田谷村在住。2000年4月より早稲田大学建築学科非常勤講師。
ISHIYAMA LABORATORY