DAILY NEWS WASEDA BAUHAUS SCHOOL in SAGA

3月24日金曜日

個別指導、本格的に展開

各々の実力に沿い、念入りに

今期も後半戦に入った昨23日、梅沢良三氏と松村秀一氏の講義の後、演習は参加者達のさまざまな実力の度合いに対応するため、以後個別指導を中心にして進めて行くための体制が編成された。経験者と幾人かのピックアップされた学生が石山修武が指導に当たり、初心者は若手講師4人が担当して進められた。

サントス氏到着

昨23日20時、ブラジルよりサンパウロ大学助教授のマリア・セシリア・ロスキアボ・ドス・サントス氏が約30時間に渡るフライトを経てはるばる佐賀入りされた。本日より本格的に演習指導を開始、28日にレクチャーをされる予定となっている

鈴木博之インタビュー

第一講をされた鈴木博之氏に15日午後、早稲田バウハウス・スクールの記録出版のためインタビューを行った。建築史学への途を志した若い頃のお話を中心に、その抜粋を収録する。【森川嘉一郎】

建築を選択した経緯
僕らは大学2年の後半で専門を決めたわけですが、ほとんどそれは、消去法に近いものでした。一つは理科系の方が食えるのではないかということです。ただ、電気や機械を自分ができるとはとても思えなかったこともあって、建築にしました。
もう一つはちょっと小っ恥ずかしいけれど、立原道造という詩人がいて、彼が建築家だったということがあります。それから高校の頃にポールヴァレリーの「エウパリノス」を読んだ記憶があって、それで建築は芸術に近いという印象をもっていたということがあります。
ただ、自分が芸術家になれると思ったことはまったくありません。むしろ本を読むのが好きだったというのが一番大きかったように思います。本を読んで色々なことを想像しているのが面白かったのです。今でもそうですけれど、もし一日中何もしないで本だけ読んでいられればいいな、と思います。
建築史学へ
いざ建築をやってみると、自分が設計にあまり才能がなさそうだということはすぐわかりました。また建築家というのはすごく楽天的で大胆でなければできないので、小心者の自分にはとてもできないなと感じました。 では何があるのだろうというと、建築を勉強し始めてみれば建築史があるというのはすぐわかるわけで、だんだん建築史が面白そうだと思うようになったのです。ただそれはほとんど実学ではないので、食えそうだから理系を選んだということと矛盾したことは確かです。
やはり就職をするときまで大きな事務所か大きな建設会社に行くのが当然だと思っていましたから、幾つか面接を受けたりはしました。その頃はまだまだ楽でしたから、お願いしますといえば内定するというところまではいったのです。
ただ、その段になって食欲が無くなってしまい、やはりこれはあかんと感じたのです。それで親にはすごく申し訳なかったけれど、大学院へ行きたいといった記憶があります。
そのときつくづく思ったのは意に染まない、というと言い方が悪いのですが、自分に向いていないことは人間できないということです。だんだん食欲が無くなってきていしまい、これはこのまま行ったら、大げさに言えば死んでしまうな、というところまできて、これは体の言うことを聞いた方がよいと思うようになったのです。
以外に体というのは正直です。いくら理屈で聞いても、本当にやりたくないこととか、できない事というのは、体がついていかないものです。少なくともぼくは、そのように考えています。

助手紹介 森川嘉一郎(もりかわ・かいちろう)

1971年生まれ。在英5年、在郷2.5年。95年早稲田大学大学院修士課程修了(建築学)。現在、同大学理工学総合研究センター助手。共著に『20世紀建築研究』など。

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