NARUKO WASEDA-SAJIKIYU 1998 | |
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Photo(C)Osamu Ishiyama Laboratory |
see also GA JAPAN 34 新建築 1998年9月号 |
物語の始まりは、昭和23年盛夏。早大生7人が、鳴子でボーリングの実習を行っていました。炎天下、角帽をかぶって続けられる不慣れな掘削作業。掘っても掘っても温泉は出ず、夏休みも過ぎて9月に入ると作業は深夜に及びました。しかし、ある晩、ついに努力が実ります。深夜3時、「噴湯!」の知らせをもった町の人が、ぐったりと疲れて眠る学生たちをたたき起こしました。駆けつけると、地面に開いた大穴からは土石流のようにお湯が湧き出していました。お湯は、掘り当てた学生たちにちなみ「早稲田湯」と名づけられました。 「早稲田湯」はすぐ共同湯として近所の人たちに開放されました。柱は丸太、屋根はトタン葺。それでも新しい共同湯は、戦後の混乱が続く生活に明るさをつくり出しました。 それから50年、いま早稲田湯を我が家のおふろのように利用する組合員は170名。スキーや紅葉狩りなどでやってくる旅行者も、気軽にお湯に浸かっています。そして、町の人たちと、裸で言葉を交わすのです。平成4年には、掘削したかつての学生たちが44年ぶりに町の人との再会を果たしました。 平成3年、早稲田大学建築学科の学生300名が、早稲田湯改築の課題に取り組みました。数十点が、「早大生による早稲田湯設計課題展」として展示され、鳴子の町の人の関心を集めました。そして、平成9年にはいよいよ早大・石山修研究室の設計によって改築に着手、掘削からちょうど50年目のこの夏、新しく生まれ変わるのです。 戦後間もない頃、懸命に掘削を続ける若者とそれを見守る町の人たちから生まれた早稲田湯のものがたりは、半世紀を過ぎてさらに多くの人たちをつなぎ、結び合わせようとしています。 (オープニング・パンフレットより) お問い合わせ:鳴子まちづくり株式会社 TEL 0229-83-4751 | |
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