I 世田谷村アイスランド紀行

石山修武 世田谷村・スタジオGAYA  開放系技術論

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高地で、盆地で、海岸線での3つの道筋とする。
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「世田谷村の類人猿」

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世田谷村スタジオGAYA日記・日報

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アジアでこれ迄で一番腰を落ち着けていたのはカンボジアのプノンペンである。やりたい事をしていたから春夏秋冬と良く通った。宿舎はウナロム寺院の西門近くの境内の4階建の4階であった。知り合いが居た。知り合いはやがて友人となり、これからだなと思った途端に死んだ。それでぷっつりとカンボジアには縁が無くなった。人物は一介の旅人さんであった。そう自分で名乗ったし、別に職業やら、肩書きで付き合うのはもう日本だけで十分であった。

夜中、寝静まった大寺院の境内に、犬の遠吠えが響き、メコンの河風に吹きさらされて、吊った蚊帳に揺られていると、東京が遠い植民地都市の如くに思い出されるのであった。あの、一時の感慨は深く身体の骨になったように想われる。

南アジアでは大河の合流する場合は貴処とされる。ウナロム寺院は王宮(シルバーテンプル)民族博物館と並び、カンボジア小乗仏教の大本山である。人物が何故ここに居ついたか?人物の前には品行方正な日本の僧がいた。何故か居続けずに逐電した。いかにも品行宜しからずの旅人風情が、それで居ついた。プノンペンでは実に多くの人々に会い続けた。日本政府の出先機関、大学関係者、そして先生たち。政治家、実業家、そして宗教家たち。ほぼ全職の内外(日本の)の面々に会い続けた。

そしてその果てに人物が居たのだった。いかにもな浪人風情である。特に眼が鋭く光り。危うい素性も垣間見せた。でも、心底信頼できたのであった。

ウナロム寺院は、レッドクメール時代、ポルポトが司令部として使用した。僧はそれに抗することも無かったようである。日本仏教は戒律があって無いに等しい。大乗仏教だから。小乗は理として肉食妻帯を禁ずる。しかし一部の上部に属する僧はいざ知らず、境内で暮らす僧侶たちの身の廻りには女性の姿も堂々として在る。トランプ賭博もサイコロも常時開催されている。成程、ルールは破るために在るのかが良くわかるのだ。人物は軍と警察の裏道も知っていて、何かあったら言ってクレと言うのであった。幸いにして厄介にはならずに済んだ。

宿舎の隣の僧坊の一階で暮らす僧侶とは一度も口をきかずに終わった。南国の陽射しは厳しい。しかし室内の暗がりは深い。その暗がりの中に終日動かず、経文を唱えもしない。わたくしが陽射しの只中に身を置いて、彼をジイっと見つめ筆を動かしても、瞼をピクリとも動かさぬ。伏眼の隅から、わたくしをジイと見つめる。少しばかりの三白眼。かなりの胆力である。これだけの凝視をそらさぬのであるから。窓の外には大きな茶壺が一つ。この破壊僧と視た。この壺に何物を隠し持つのであろうか。ピューっと口笛吹けば美麗極まれりの仙女群がクネクネと舞い踊り、酒池肉林の狼藉に暮れるのやら、どうもそんな気配が在る。坊さんは実に得体が知れぬ。

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