開放系技術論
高地で、盆地で、海岸線での3つの道筋とする。
海岸線で、日々の日報を交える
「ヒマラヤ計画」展
「ヒマラヤ計画」はすでに具体を始めているが、全体の輪郭はまだおぼろである。私の年齢と密着している。どんなに気張っても、動けなくなるのは必定だ。
だから可能な限りを残しておく。次世代が在るであろうは望むが、覚束ぬも確かで在る。でも、手渡したい。、、、の一便である。
2023年11月 石山修武
「窓計画展」
続いて東組十組展を来春開催する
「西」について






窓考2





窓考1








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日本列島・東北エニシとインド(ヒンディ)
「福島計画」で述べているようにインドの大詩人タゴールの汎インド主義と、今ではくくれよう考えに岡倉天心は影響された。共鳴したとも言える。その結果としての東洋の理想の汎アジア主義が在る。汎アジア主義は地理の観に始まった。ヒマラヤ山脈をアジアの竜骨と捉えた。地球上の国家の人口増減を考えるに、一個の私が消え去るであろう二十年後の国家間の現実世界はインド、中国の経済力が世界の核になるだろう。が旧エネルギー源である原油生産国群でもあるアラブ諸国の資産は決して減少はしても無くなる理由は全く無いのでアラビア諸国を間に挟んでのアフリカ大陸の人口問題が地球上での最大になるのは確実だ。それを前提としての建築が視えざるを得ぬ問題を考えようとする。あくまでも問題の中心はヨーロッパ産の「建築」である。インド西海岸の建築家達はだいぶ前からアフリカ大陸東岸諸国を仕事の場として動いている。建築家の日々は商人のそれと何変わりないからだ。当たり前のことである。
表紙に掲げた「Indian」と題されたUpendra Maharath(1908-1981)の絵は大きさが32×20センチメーターででし変い水彩で描かれたもので、私が今視ているナショナルギャラリー、モダンアートの印刷物は倍近くの大きさである。この画家の絵も皆小品なのかもしれぬ、インド女性が身に着けるサリーは民族衣装の絶品である。老いも若きも子供達迄着用する。
イタリアが南北文化に開きがある如くに(ナポリとミラノ)インド文化をまとめて考えるは不可能だ。
今も東海岸と西海岸では貧富の落差は小さくはない。しかし北部インドと南部インドの文化の相違は日本列島の東北と南の相違に通ずるモノがある様に考える。
その考えの発端として1Indian 2,3日本列島東北地方水沢市の水沢城、エミシの胃(AD70古墳より発掘)とエミシの首飾りをONする。岡倉天心が日本列島に持ち帰り、列島近代絵画の素となった朦朧体とは全く違う種の文化である。インド美女の首にまきつき、とぐろを巻く蛇と理解する、感受するさえ可能かな。