はじまりの章1
思い付いてホンの少し、ピクリ位に動いて、そのまんま立ち枯れてしまった計画がゴミの山程にあります。いちいち想い出していたらキリが無い。自分の無能振りをさらけ出しさらなる恥をさらすに終るでしょう。
しかし時に時々、時間は妙なねじれをその中に持つようで、立ち枯れたモノがオヤッと身震いして、ブルブルッと身をゆすって姿を現わすことがある。偉そうな口振りで相すまぬが、創造らしきの楽しみの一つでしょうか。
何年か昔に我ながら変テコリンな思い付きを得て、幾たりかの人々にお知らせまでしてしまい、ドリトル先生動物倶楽部を結成いたしました。結成とは大ゲサに過ぎますが、何度か会報らしきの紙片を送らせていただきました。この倶楽部は何処かにとても良かろうと思われる動物病院を建設したい、その為の準備会の趣きのモノでありました。すぐに例によって立ち枯れいたしました。当時の会員の皆さんには恥ずかしい気持ばかりを残す事になりました。その恥ずかしさだけは忘れないママに何処かに眠りこけていたのだと思います。 全く無為の日々を送っていたのかと自分を責めれば、グズグズと下を向くしか無いのですけれど、東日本大震災で壊滅的な状態になってしまった陸前高田には、隣町気仙沼市の臼井賢志さん共々出掛けて見たりはしたのです。ここに動物病院をつくりたいとか、動物達のための大農場、大牧場はどうだろうかとは内心思っていたのですが、陸前高田の何もかもが失くなってしまった現実を眺め、その海風に身をさらしてみて、今はそんな事をとても言い出してはいけないと、それだけは痛切に考えたのでした。それでもわたくしの地元世田谷区烏山を中心に色々と無い知恵をしぼりながら、思い付きは消さぬようにあたためてきました。その結果とも申すべきは、世田谷式・生活学校の活動の一端として、世田谷式複合保育園の提案などに形になってまとまりつつあります。が、径は遠い。
最近、地元世田谷に幾たりかの友人を得ました。その一人が石森章さんであり、志村喜久男さんです。お二人ともわたくし同様の老人です。老人は普通時間を持て余しています。本当は、今の若者こそ時間を、しかも無為の時間を持て余し過ぎてはいるのですけれど、それは今は申しますまい。追い追いブツクサと大声を上げたいと思います。
石森の章さんは地元ではとても有名な人物であり、同時に猫でもあるのです。もしかしたら御本人より章さんの猫の方がはるかに有名かも知れません。この猫をわたくしはタマと勝手に呼んでいました。まさにたまたま、タマの名が応わしい程にタマらしき三毛猫です。
The shadow is about to enter the tower of hat
影、帽子の塔に入ろうとする。