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二〇五〇年の交信 渡辺豊和X石山修武
二〇五〇年の交信 02
渡辺豊和X石山修武
 石山修武十五通目
 渡辺豊和様 第十五信
 渡辺豊和さんとの交信の目的は、ダイアローグから作品を生み出す事が出来るか、の自問に答えを得る事にもあります。
 作家は自身の内部に於いて常に自問自答を繰り返すのは、お互いに知る事ではあります。しかしながら自問自答は密度が濃くなればなる程に、抽象性を帯びざるを得ない。そして自身を刺し、切り刻む。しかも、その抽象性は社会=世界の普遍性を帯びたものでありたいの意志とは、少々異なるベクトルを持たざるを得ない。持たざるを得ぬアイデンティティこそが作家の存在理由であるからです。ここでは充分、意識的に建築家というあいまいな存在の呼称を避けて、作家と言う呼称を使います。
 作家は表現を旨とする、生きる事、生活する事の主調低音としてそれを内在させざるを得ぬ、そんな生き方自体のスタイルを呼ぶ言葉でしょうか。

 貴兄の自邸である「餓鬼の舎」(1977 年)には、何度かお世話になりました。二〇〇七年の時点から思い起こせば、「餓鬼の舎」の一部は実に非機能そのものの現前であった。非機能は非合理を指すだけではありません。もともと建築の初源にあったつくらねば、表現せねばならぬ作家の必然性そのものであった。表現せねばならぬ主体は貴兄であり、貴兄のうちに育てられた普遍への意志であり、世界への想像力そのものであった。それを貴兄は批評性と呼んでいる。
 客観的に考えれば、それは批評性と呼ばざるを得ないと思います。しかし、それに問題があった事も確かでしょう。二〇〇七年の今、グローバリズムの巨大システムに、ある種の建築物にあってしかるべき、本格的な建築性がことごとく押しつぶされようとしている今、それを問題にしたいと思います。批評性という概念でしか、その存在の意味を総轄的に表現できなかったのかと言う問題です。

 貴兄の御自宅が、どのようなプロセスで建設されたのか、詳細は知りません。しかし「餓鬼の舎」は、当初に建てたつつましい木造家屋に、コンクリートの造形物を増築したものだと記憶しております。当初の木造建築はいかにもRIA的なリアリズムそのものの形式でした。それに全く別の価値体系が増築された。しかも、増築部分は生活のリアリズムからくるものとは別の価値観によるものであった。
 そこに貴兄の自邸の価値があるのだと考えます。現実と超現実の併存という価値ではくくり切れぬものもあったように思います。
 それが何かと考えつめるならば、それは現在と歴史の、同時に、ここと彼方との連続性が示されていたのではないでしょうか。
 ただただ真面目な計画家、設計家、エンジニアであれば、増築時には当初のリアリズムスタイルを踏襲するでしょう。しかし、作家としての貴兄の意志がそれを許さなかった。当時の時流におもねたのではない。貴兄は時流に鈍感ではなかったが、それに合わせる程に小器用な作家ではない。建築への過度な希望を持ち過ぎていたから。
 それで、木造住宅にコンクリート造を接ぎ木した。しかも、そのコンクリート造は実利的な機能を果たす事が二義的な物体であった。
 「餓鬼の舎」に泊めていただく度に、あのコンクリートの壁の中で眠るのかと、私は異様な気構えになったものです。アレは建築では無い、もっと建築的部位が純粋に還元された、壁そのものでありました。ジョン・ヘイダックの壁のプロジェクト程にモダーンに解り易いものではない。
 しかし、更に貴兄の意志が純化され、そのマンマ造物されたものでしょう。
 二〇〇七年に私は初めてモロッコを旅しました。この通信にもそれは記録してあります。フェズ、メキネスの、いわゆる迷宮都市を体験しました。そして、エンドレスに続く迷宮の中の、モスクの意味を了解し始める事が出来ました。

 その体験は、今、記憶の中に出現する「餓鬼の舎」に、実に、接近しているのです。

 石山修武十六通目
 渡辺豊和様 第十六信
 渡辺さん、「餓鬼の舎」はイスラムの迷宮都市の断片です。ミニアチュールでは無い。それは毛綱の世界でした。
 あくまでカケラです。
 そこに二〇〇七年現在の意味がある。

 貴兄の独特な価値は、脱俗への気持の傾斜が日常性を帯びながら現われるところにある。背伸びしない状態で変だという事です。良くも悪くもこれこそ才能です。奈良の真只中に住みながら、古都奈良に全く興味を持たぬ。それが演技でも何でもない。虚勢ですら無い。その事にいつも変だぞコレワと考え続けてきました。貴兄が奈良田原町に居を構えたのは、それこそなりゆきだったのですね。確実に。
 京都も奈良も焼けて失くなって一向に構わないと言ったのは坂口安吾でした。その日本文化私観を書いた安吾はモダニストでした。渡辺さんの面白いところは京都奈良に全く関心が無い事です。燃えようが、燃えまいが、全く関係ナイというのが、完全に時代からスリップしてしまっている貴兄の特色に他ならない。
 何故、坂口安吾を引っぱり出したかと言えば、貴兄の建築の文学性について考えようとしているからです。日本の近・現代に於いて貴兄の建築らしき位、文学という形式に近いものは無かった。そこに私は関心を持つのです。
 どういう事か。
 先ず第一に渡辺建築には物質の組み合わせによって出現するスケールの現前という、近代建築本来のテクノロジーが無い。ここでいうテクノロジーにはデザイン技術が含まれます。デザイン技術の第一はスケール=空間の把握、構成の力でしょうか。貴兄くらいスケール感の無い建築作家を私は知りません。
 想像するに、何故そのスケール感の欠落、脱落が出現するかと言えば、アンタがまるでそれに無関心であるからです。貴兄がいきなり、アンタになりましたが、その件にあきれ返っている私の気持ちの表明です。

 実物としての建築的尺度、すなわち空間の基本はスケールの操作にあると思われます。貴兄の自邸である「餓鬼の舎」にはそれが全く見当たりません。特にコンクリート増築部分にはそれが、完全に欠落している。
 それが、実にウェブサイトの現実と酷似しているのです。いきなり又、アナロジーが飛び出しました。しかし、ここは大事です。スケールが完全に欠落したアナロジー、それが渡辺建築、及び貴兄の表現行為の全てだと私は考えるから。

 コンピューターによる交信の現実は、地球上のあらうる地点間の距離を消失させてしまいました。これは大変な事で、機械の時代へのゲートになった産業革命よりも、より本質的な問題を含んでいると考えられます。

 コンピューターは距離を消去している。
 我々に身近に訳せば、これは透視図法をも消したという事です。距離の存在が透視図法というテクノロジーを成立させ、そのテクノロジーが空間という概念を出現させました。空間は建築作家の拠り処であり続けました。
 我々の交信自体がウェブサイト、つまりコンピューターテクノロジーのステージ上で成されている現実を考えてみましょう。  この交信はほとんど「餓鬼の舎」状態の内で行われているのです。
 何しろ、何処にも空間らしきが存在しない。当然、スケールも存在しない。全て、モデル(模型状態)の内で成されようとしています。

 貴兄の建築的作品群の現代的意味合いについて、そして渡辺建築の文学性とは、せんじつめれば、物質を介して表現される物体そのものに、スケール感、つまり距離が完全に近い程に欠落している事です。それこそ、文学の形式そのものでしょう。

 渡辺豊和 十通目
石山修武 様

 とりあえず物語展開しながら「曼荼羅(無限)並列」をやってみます。便宜上易経を使いますが何処までも物語展開のためのものですので気にしないで下さい。

toyokazu
 悪僧の爻。悪僧は1万2000年前の地獄王エンマの存在は知らなかったが世界覇権をめざすドイツ首相に見い出されその最高協力者となる。勿論2020年ニューヨーク消滅以後のことである。
 1万2000年前に収奪されてしまったニューヨークを奪還すれば世界覇権を握れると目算したドイツ首相はタイムマシン軍団でこの大過去に侵攻しようとするがこれが機械的なタイムマシンではない。
 1万人の集団が一拠にタイムスリップできる能力を獲得してしまう方法を開発するのだ。集団超能力化を実現しようというわけだ。
 悪僧にはその能力が備わっていた。彼の能力を電気的に転移する技術をドイツ首相は開発しようと生命科学の専門家や精神分析学者など集めるが結果失敗。
 この失敗が悪僧とエンマを結びつけるきっかけとなる。
 卦「晋」は「すすむ」だ。卦の大きな意味はなそうとしていることがおおいにすすむからこの卦をえたら吉なのだ。全ては順調に進行するはずだ。
 ところが卦には六爻あって一つのものごとが成就するにはそのことに関る過去の因縁、現在の進行情況、未来の到来という過程をとる。極く極く当たり前のことだが。
 晋は確かに進むことだが過去ではあまり物事は順調ではなかった。
 悪僧の物語展開では全くその通りなのだ。ドイツ首相に協力したが失敗している。しかしそれで終るわけではない。
 結局はドイツ首相の要請で彼自身が1万2000年前にタイムスリップする。ところが行きついた先きは地獄で、会ったのはエンマだった。悪僧自身が世界王の野望があってドイツ首相の誘いにのったわけだがエンマと会って彼が自分に憑依してくれさえすればその野望は成就できることを知り一度は「現在」に帰還するところで物語は中断している。6巻中の3巻目のはじめの部分で中断しているから易占のままだ。
 卦では彼の野心は目出たく成就することになっているが私自身の物語展開予定ではそうはならない。
 しかしそれも当っているかもしれない。実は今えた卦には変爻があって(×印のところ)至って不安定。成就したと思ったらすぐに崩れて永遠に未成就の「未済」に運命は変るのだ。
 ここまで書くと下手な「ポンチ絵」が描けそうにはなるが何のことかさっぱりわからないでしょうネ。ハチャメチャそのものだもんネ。
 モロッコに行ったとのこと。小生も4年前だったと思うが行ってきて迷路、迷宮は堪能しました。迷路、迷宮に嵌め込まれたモスクやマドラサは文字通り外部のない建築、内と外が反転している。これがイスラム世界の心理を培っているに違いないと実感しました。永久に完成しない物語、「未済」を今さっきひいてみてメクネスやフェズなどを思いだしました。
toyokazu
 渡辺豊和 十一通目
石山修武 様

 「ファンタジック・イエロー」といったコトバを思い浮かべたとする。今この国に溢れでる片仮名言葉。英語ともいえないし日本語でもない。こんなイエローならルドンにあったっけなどとぼんやりと考える。
 それからやおら日本語にしてしまえば「黄色い幻」とでもいうのか。それとも「夢幻黄色」とでもいってしまうのか。どういってもすでに日本語化した片仮名言葉が喚起するイメージとは違う。
 小生自身は簡単な英会話すらできない純日本語生活に浸ってきたから勿論片仮名言葉は日本語と変らないがそれではそれは日本語かと問われればそうとはいえない。
 屈折は言葉の特徴なのだからとりたてて問題にすべきことではあるまい。
 海外文化が日本に紹介され私たち一人一人に個性化されるとき当然屈折が起る。
 まったく変な話柄となって恐縮だがプラトンのアトランティス記述を読んで欧米人の身勝手に相当腹を立てたときのことを思いだす。
 プラトンはアトランティス島とその文明を詳しく説明しているがよく読むとアトランティックオーシャン、大西洋にそれがあったなどとただの一言もいってはいない。
 ヨーロッパ世界にとっては地中海と大西洋が文明の舞台だったからプラトンの記述を勝手にそう解釈した。  アトランティスが今から1万2000年近く前にあったかどうかは勿論誰にもわからないしあってもなくても現実生活には何のかかわりもない。
 ところが日本人の小生がそれが大平洋上、スラウェシ島の一部が海没し、それが「アトランティス」だと発表した途端「ニューズ・ウィーク」が日本人が何をほざくかときた。20年以上も前のことだ。
 アトランティスはヨーロッパ人の夢物語、それに日本人が土足で踏みつぶすとは生意気ということなのだろうが小生がトルコさらにはイスラム建築に興味を持ちはじめたときもアトランティスとそれほどの差はなかった。
 貴兄のいわれるとおり数学はまるで置き忘れているのだからアトランティス理解にも似た重大欠落があるに違いない。確かに小生はどうも断片拾い、しかもそのうちでも特に落穂拾いに終始してきたようだ。というよりもそれしかできないのだけど。
 ただ写真や図面などで紹介される海外の建築でのちに見た実物と齟齬をきたすことは今まで一度もなかった気がする。寸分違わずといってもよかった。
 多分ディティールに気が廻らないからだろう。「物」をみることがないせいもあろう。イスラム建築に接していてなつかしいと見えたのは何故か。
 アトランティスを大平洋のど真ん中に比定してみるとプラトンの記述が迫真性をもってきたのと何処かで繋がっている。
 「餓鬼舎」も近代主義をRIAで徹底的に仕込まれたときに感じていた屈折と無縁ではないのかもしれないと思ったりしています。毛綱の「給水塔の家」、そうでしょうネ。

 石山修武十七通目
 渡辺豊和様 第十七信
 読者(観客)はいざ知らず、渡辺さん、チョッピリ面白くなってきました。この交信は独人よがりなやり取りであろうと、そんな意識は重い頭脳の世界に属する事です。軽い、重力のないウェブサイトでのこれは交信ですから。呼吸みたいなもんですな。
 うーんと昔に、貴兄が何処かのTV番組で、二時間を超える特番に出演していたのを思い出しました。アトランティス大陸のホントかウソかみたいな奴でした。あの時に貴兄の超古代史への関心と、それに対するTVの中の大衆の反応を見る思いがしました。大阪のTV局の貪欲さも。

 今で言えば、藤森照信人気の如くであったのでしょうか。しかし、藤森の背中には日の丸が軽やかにひるがえっている。岩波、NHK、朝日もひるがえっている。だからこそ、彼の活躍と、少し計りの異形振りはもてはやされるのです。いかにも日本的な風景ではあります。藤森の本意とは別なところで、もう一人の藤森がすでに動き始めている。
 渡辺さんの背中には旗はおろか物干しザオ一本たりとも、余計な飾りは負わされていない。全く、身体だけが立ち上がっている。そうした生き方をされてきた。
 建築家として眺めれば、やはり、その風景は見事なものとは言えない。二〇一〇年には、建築の世界では貴兄は見事な位に忘れ去られている事でしょう。二〇一〇年っていえば、あと三年じゃないか、それは無いだろうと顔をしかめるやも知れぬ。しかめた顔が見えるようです。
 しかし、二〇〇八年には北京オリンピックが開催されます。一九六四年の東京オリンピックは、日本の風景を一変させました。新幹線、高速道路網は日本の隅々まで行きわたり、建築を含む、風景を一変させました。北京オリンピックは、世界での日本の位置感覚をハッキリと変えてしまう、キッカケになります。

 明治維新以来、西欧化=近代化の日本史的必然があり、二〇世紀末には、アジア地域で近代化の達成に於いては、この圏域でのモデルになりおおせたと思います。
 二〇〇八年に、そのポジションは中国に移行します。国民の多くも、それを痛感するでしょう。日本のアジアでの近代化モデルとしてのアイデンティティーは影が薄くなるのは歴然としている。
 恐らく、その時以降貴兄の建築デザイン領域で成し遂げてきた仕事の意味がようやく、まともに検討される事になるだろうと、予測しています。
 マ、歴史を競馬の予想屋みたいに占うのは、変に思われるかも知れないが、当然、私も背中に日ノ丸を背負っているわけではないから、そう、ハッキリと言っておきたい。
 日本がアジアでの近代化モデルであり得なくなった状況というのは、愚かしい事ですが、実際、歴然とそうなってからしか共通の、日本的普遍にはなり得ない。
 アジアの近代化モデルの座を完全に中国に譲り渡し、多くの人々もそれを痛感して後に、近代化モデルとしての日本的モダニズムデザインは本格的な検証が始まるでしょう。

 先程、敢えて失礼な事を申し上げました。貴兄は建築界では二〇一〇年には忘れられているよ、って。確実にそうなるでしょう。
 そして、作家として、より広い文化的領域での再評価の動きが必ず湧き起こるでしょう。
 それは、歴史の必然です。ただし、その歴史は日本史ではない。
 近代化モデルが他者によって、その存在理由らしきの位置を没落、崩壊させられるのですから。常に、日本は他者によって岸辺を洗われ、姿を変えて来た歴史を持ちます。
 二〇〇八年以降は中国によって千三百年振りに再洗濯される事は歴然としている。その時、貴兄のデザイン、及び数々の言説がテキストとして読み直され始めるのです。

 渡辺豊和 十二通目
toyokazu
 悪僧の卦。今度も悪僧である。その方が物語進展はスムーズだがこればかりでは単調になり本当は困るのだが一度占ったらそれは絶対だ。
 「世界王」など2020年以降に存在する可能性などないに違いないがこの悪僧にはそんな歴史感覚というべきか常識がはなから欠けている。何せ超能力によって時空間から超越できると信じているしその能力も一応はそなえている。時空間に束縛されない身体ならば「世界王」の野望も成就不能とはいえないはずだ。事実悪僧はそう思っている。
 野望成就のためにはなるべく多くの協力者がいる。彼にはモロッコのオートアトラス山中洞窟にブラフマンという秘密結社のアジトがある。そこに参集する弟子たちは男女合わせて50人だけだ。ただこれは悪僧の教団信徒であっても野望の協力というほどの者たちではない。
 彼の協力者は必ずしも生きた生身の人間とは限らない。悪霊たちでもいいのだ。
 「萃」は集るという意味で悪僧にとっては協力者が大勢集ってくることになっている。
 生身の人間としてはドイツ首相だが悪僧に「アトランティス」への侵攻を託したのに成功できなかったので中断している物語では離れていくつもりになっているのだがこの占ではむしろ繋がりは強固になることを示している。
 ただドイツ首相の目的はドイツの世界制覇ではあっても彼に「世界王」の野望もなければイメージもない。何処までも悪僧を覇権獲得の協力者として考えているにすぎない。
 それもニューヨーク奪還だけに絞ってだ。それに悪僧は失敗したが彼には思わぬ幸運がめぐってきてドイツ首相との関係は逆に強くなるのだ。
 ではどんな幸運か。
 ドイツ首相は生体ロボット開発に成功しこれをどう活用するか考慮中だった。とりあえず単純労働者としている。それもモデルを現在の単純労働者としたからだ。モデルによって製造されるロボットの質は異なってくるのだ。モデルが学者なら高い知性のあるロボット、芸術家なら鋭敏な美的センスに恵まれたロボットとなる。
 悪僧にはエンマが憑依しておれば最高の力が発揮できる。
 ドイツ首相が彼に幸運をもたらすとすればロボット提供によるに違いない。ただし提供されたロボットに悪霊が憑依されていなければ意味がない。
 すなわちエンマの眷族たちの霊だ。
 これをひき連れて何をするか。占ではここまでであってそれ以降は不明だ。
 ところがえた卦が変爻が二つもあって不安定。大過に変り易い。変ってしまったら協力者が予想以上に集ってしまって逆にそれをコントロールすることに精力をついやさなければならなくなってしまう。その危険性が大きい。
 物語の多数の登場人物から悪僧とエンマを切り取って占いにかけているが2020年以降の想定とはいえ近未来。世界の変動と少しは連動するだろうか。しかも建築の近未来にだ。
toyokazu
 石山修武十八通目
 渡辺豊和様 第十八信
 アトランティスはウソかマコトか、なんて事はプラトンを引っ張り出す迄もなく、貴兄にはどうでもよい事でした。ピラミッドも同様な事でしょうか。
 アトランティスの存在らしき、好奇心の行き着く先としての神話の如きを我々に知らしめたのは西欧の知でした。ヘロドトス以来の世界史のフィールドそのものだった。
 貴兄は黒潮打寄せる波打際、東アジアの島国日本の、しかも地の果て東北は秋田生れ。しかしながら、アジア各地との交通を重ねていた北前船よろしく、日本海側を移り住み、関西に落ち着いた。しかも、古代王権がブッディズムという当時の中国アジア圏グローバリズム移入により、それに威を借りた王権の更なる確立を試みた大和(奈良)に居を構えた。仕事場は大阪と京都とした。この独特な、貴兄の移動の軌跡=歴史に、貴兄の作家としての核があるのです。だから、渡辺豊和曼荼羅を記録しておいて下さいよと、頼んだのです。思い付きではないのです。
 再び言いますが、貴兄は建築設計家としては間もなく忘れ去られるでしょう。私も又、然り。しかし、作家としての存在はこれからの未来に属するものになるでしょう。諸学の王たる歴史は、ヘロドトス以来、それなりの見識の構造を示してきたと考えられます。渡辺さん、貴兄が本質的な価値を持ち得るであろうところは、ヘロドトスの歴史学に近いものがあるからだ。歴史的想像力が、ヘロドトスの世界地図の中にあり、決して逸脱していない一点に絞られると考えざるを得ない。ヘロドトスの世界地図は今のヨーロッパ中心のものではなかった。

 私は詩人を名乗る人間が大嫌いです。自分を詩人であると考えている如くの自我の大半は、凡俗な人間です。というよりも、一律に、単なる日本的人間でしかない。貴兄は自分を建築にとりつかれたと誤解しているドキュメンタリストですよ。
 日本で言えば、一九九五年、阪神淡路大震災、そして何よりも、オウム真理教教祖と信者たちが引き起こした事件。
 世界で言えば二〇〇一年九月十一日のWTC崩落の事件。
 珍しく、日本の事例の方が先行していたと考えざるを得ないのですが、アレ以来、全ての芸術的行為は馬鹿丸出しの悲惨さの中に落ち込んでしまいました。芸術は歴然として、現実に対してキッチュな存在形式になってしまった。
 架空の世界、つまり解りやすく言えば表現の世界は、現実が表現する風景の如きものに対して、それに抗する力を持ち得なくなったのです。現実、すなわちドキュメンタリティが、オリジナリティの王になりました。

 貴兄の作風は、言語による記述、建築的表現の双方が同位性=同時性を持っているのが実に現代的でした。又、時間(歴史)に対する感覚が独特だった。今回の通信に於いても、それを痛感するので、だった、という過去形ではなく、であり続けていると言う現在進行形に言い直さなくてはなりません。
 創作的記述に於いても、創作的デザインに於いても、時間が一直線な過去、現実、未来という配列形式にならない。不連続、あるいは同一平面上に並置されてしまう、それが特色です。
 少々飛躍してみせますが、この形式を持たぬと、とても今、現実には耐え切れぬのです。
 エッセイ(記述)とデザインが同位に配置され、デザインに於いても、多くの文化圏のそれぞれ固有な性格と、近代の均質性が同位の相に置かれる。意図的に配される。
 それが、貴兄のデザインの稀に見る、現代性です。

 渡辺豊和 十三通目
石山修武様

 メッカ巡礼者用宿泊施設の国際コンペに応募したとき自分で面白いことを構想できたと思って当選を期待したがもう10年近くなったがいまだ結果の報告はない。どうもしりきれとんぼで終ったらしい。
 それでもだしたばかりのときは協同者の一人が計画案そのままの空間で逍遥していた夢をみた。それがあんまりリアルなのでこれは絶対実現するはずと真剣にいうものだからこっちもその気になった。
 何せ10万人用の施設だから立体都市だ。こんな建築計画ははじめてだし相当の詳細まで求められていて提出した図面は膨大な数に及んだ。
 その気になったものだからこれは真面目になって結果を待とうとコーランを読むことにした。
 善は急げとばかり岩波文庫を買ってきて三度克明に通読した。
 聖書、特に新約は学生時代に割合熱心に英国聖公会の教会に通ったから何度も読んだし旧約も全部通読していなくても結局は有名なところは何度も読んでいる。
 仏典も少しはかじった。
 コーランは奇妙な本だった。これが宗教書かとまず疑った。要はオアシス世界の生活信条なのだ。それ以上でもなければ以下でもない。
 読んでいて少しも敬虔な気持ちにならない。その分だけ面白い。
 何せマホメットが見る天使は羽根が生えているかどうかはっきりしないがそこいらにいる極めて日常的な人間ではないか。
 その天使、ガブリエルだったっけ、失念してしまったがこの天使が語るアラーも極めて日常的なことしか指示していない。
 啓示とはいっても新約のキリストとエホヴァの関係とはまるで違う。
 二度まで通読して何事も三度と思い三度目に入った。
 丁度中間位まで読んだときだ。
 そのときは大学に通う電車の中だった。昼近くなので電車の中はがらんがらん。
 どこからともなく芳香が匂ってきた。口ではいえない芳香。
 どこからだろうときょろきょろ見渡し匂いの芳香を探るがわからない。
 よくよくかぐとなんとそれは読んでいるコーランからだった。
 それ以降コーランだけではなく読んでいる本から香が匂ってくることがよくあるようになった。小説だったり、時には思想書のときもある。歴史論のときもありその本から匂ってくる香は本の内容と深く繋がっているらしい。ときどきによって香が違うのだ。
 はじめは奇妙だなと思っていたが今では日常化しているからそれほどは気に止めてはいない。
 それでもやはり本から匂ってくるときは一種なんともいえない気分になる。
 五感では視覚が圧倒的だし自分でも視覚型のつもりだったのに日常を少し超えたところで嗅覚が活発化するものとは想像すらできなかった。視覚や聴覚ならあちらに通じているらしいことが実感することもままあるのだが嗅覚までが発動するとは少々驚きだ。
 通信で易を使っているが今のところ何も匂わない。いずれ何かが匂うに違いない。それとも永久にそうはならないかもしれない。
 それでも香道とはなまやさしいことではないことだけは痛感しています。「香」をした経験は一度もないのだけど。人生の終りに近づいて五感を考えるのはあと使える機会が少なくなっているせいかもしれません。

 石山修武十九通目
 渡辺豊和様 第十九信
 貴兄が学生時代に熱心に英国聖公会の教会に通っていたのを、交信で初めて知りました。新約の聖書から入ったのですね。仏典もかじり、コーランを三度も読んだとは、いささか驚きました。案の定とも思いましたけれど。

 超越的なものへの希求はその頃からの事ではないだろうと、私は推定しています。日本の建築家では稀な「スケール感」そのものの尺度自体からの自由、それに関して、最近急に気がかりになってきました。
 二十一世紀前半はどのみち、生命体探求とコンピュータコミュニケーションの時代になるのだろうと思います。要するに人体内マイクロコスモス探求、DNA、ガン撲滅のための研究が主軸で、お互いにこれにはもう参加できない。他の優秀な頭脳に期待するしか無い。コンピュータコミュニケーションに関しては、初歩的な事は、今こうやっていささかの視えない読者を前に、我々が演じようとしているこの交信そのものが生きたあかしの例証になります。これは、要するに電子技術の発達による、地球上の距離の消失を前提とした、新しいパースペクティブの再生みたいな事を演劇的にやっているとも言えましょう。その辺りの事は貴兄に以前、先越ながら喚起をうながしたりしました。御無礼御容赦の程を。
 要するに、我々の交信の大枠に於いて、初期段階での電子建築を目指している。交信、交通の諸相に空間を視ておこうとする意識の始まりなのだと考えているのです。余りにも初歩的なのは自覚しなければなりませんが、それにめげているヒマはもう残されてはいない。

 そんな風に考えようとすると、貴兄の建築のスケールアウト、そして変な呼び方をしますが、リアルな幻想癖に着目せざるを得ない。その二点に於いて、貴兄は重要な作家です。本当に。誰も気付いてはいないけれど。

 それ故に、大学時代に熱心に英国聖公会教会に通ったのが、そのルーツである筈がないと、目星もつけているのです。きっと秋田、角田時代にその謎が、スケールアウトのルーツがあるに違いない。あるいは御先祖様のDNAかも知れない。私は東北の日本海側に関しては何の実体験のディテールも無い。カケラが無ければ全体像を描きようが無い。そのカケラらしきが、今回初登場しました。流石、渡辺豊和!と諸手を打った。
 ガラガラの電車の中で読みふけっていたコーランから芳香が発せられたの下りです。面白いなァ。
 そのコーランは岩波書店版のコーランなんでしょう。その変なリアリズムが面白い。イスラム圏のイスラム文字のコーランから芳香が漂うのは通俗で、解るような気がする。そこらの三文詩人の世界でしょう。貴兄はやっぱり変だよ。日本人、少なくとも大和族ではないな。ネイティブ・ジャパニーズとも言われるアイヌ民族の血を引いているのではないだろうか。東北地方は太古、彼等のフィールドだったのでしょう。
 あるいは、日本海がまだ湖であった頃、マンモスと共に北方大陸、現ロシア、シベリアから貴兄のDNAはやってきたのではなかろうか。
 少なくとも、柳田国男の海上の道、経由では無いでしょう。
 イスラム建築様式は中国迄は侵入している。木島安史からその具体的な例証を開いた覚えがある。貴兄のイスラム建築への既視感は何処からやってきたのでしょう。興味津々です。
 コーランから涌き立ってきたという芳香は、言葉では言い表せない類いのものなんでしょうか。もう少しだけ知りたいのですが。

 今週、私のサイトに「立ち上る、伽藍」と名付けた、長大物語りをスタートさせています。永年の計画でした。貴兄の5冊分のSF大作に対抗しようとするものではありませんが、コレワ、自分で言うものなんですが、狙いすましたプロジェクトなんです。是非ごらんになって下さい。貴兄の漫画大学プロジェクトとも遠く水脈が通じる筈です。
 今回の通信で、ようやくにして、私なりに豊和曼荼羅、つまり豊和ミュージアムの手掛かりを、私なりに得る事ができました。

HuludaoHuludao
追伸
 渡辺さん、これは中国大陸での都市計画の応募案です。国際指名コンペでした。貴兄のメッカ巡礼者用宿泊施設の応募案、みたいな結果になり。作品は北京某所にストックされたまんまになっています。
 御覧下さい。   石山修武
 渡辺豊和 十四通目
石山修武様

 「立ち上がる。伽藍」拝読
 相変わらずの達意の文章というか詩といった方がいいのか。どう展開していくのか興味津々というところです。目次を読むだけで何となくイメージが沸いてくる気はします。
さて小生の方も大分素材がそろってきましたのでそろそろはじめに戻って二〇五〇年近くに一度歩を進めてみようかと思います。
 まずは平城京から平安京への遷都としたい。
 とはいっても古代に立ち帰るのではなくしかも奈良市から京都市に居を移すといったことでも勿論ない。
 小生は奈良盆地の真只中に居住してほぼ40年、ただ地価が安いという理由だけで小さな宅地を購入し住んだだけなのだが住んでみたら周囲に古墳がやたらに多かった。
 ただし大阪、京都ヘの通勤は遠く不便この上なし。幸いにも通勤といっても自分の事務所とできたての芸大。遅い時間に出勤だから電車はがらがら。本がよく読めた。
 「コーラン」は勿論岩波文庫。あのときの芳香はやはり香の匂いだったか。イスラムモスクでは香をたきましたっけ。たきませんよネ。旧約でしたっけ。天から芳香の雨が降ってくる話があるけどひょっとしたらそんな匂いだったか。余り覚えていない。
 ただそれ以後小説を読んでも歴史書を読んでもその場面に匂っていたに違いない香が本のページから漂ってくる。常にというのではない。なんかの拍子にそれはある。だからそのごとに驚いたけども今では大分なれてきた。
 平城京から平安京への遷都といっても二〇五〇年の何年前かに住宅地まで含めた卑近な奈良盆地の風景がまるごと京都に移転するのが第一段となる。
 といっても二〇五〇年の京都はミニシラーズなわけだから数年以前、あれは十数年以前になるかはそのときの気分にしてもいずれにしてもミニシラーズへの途上ということになる。
 卑近な風景とはいってもここは千年以上の王朝の夢が埋め込まれている。それをどう切り取るかはやってみないとわからない。いずれにしても「遷都」なのだ。時には平安京から長安、ローマ、ペルセポリスなどに浮遊するに違いない。突然、奈良盆地の我家が長安の片隅にあってそこから長い長い亀裂が黄土の果てまで走っていたりするかもしれない。
 図は一見建築設計図らしいかもしれない。抽象ポンチ絵がそのためのスケッチだったかもしれない。
これからもネタが不足すると易占と抽象ポンチ絵で補強するつもり。それはそうとマンガ大学は一拠に実現化に進みはじめました。現実とバーチャルの狭間で何時までも楽しんでもいられなくなってきました。

 石山修武二十通目
 渡辺豊和様
 漫画大学設計が忙しくなってきたそうでお目出とう御座います。しかしお互い様で、あんまり頑張らずに交信は続けましょう。呼吸する如くにやりたいものです。
 貴兄の言う如くにそろそろ、はじまりに戻りましょうか。
 「まずは平城京から平安京への遷都としたい。」旨、了解しました。貴兄のプランに従いましょう。「卑近な奈良盆地の風景がまるごと京都に移転するのが第一段となる。」そうですが、移転する動機は何なのだろうと勝手な想像をたくましくしています。中世ヨーロッパの都市は疫病、ペストで全滅し捨てられ、新都市が創られた歴史があるやに聞いています。しかし、現代は病院社会でもあるから、ペストや日本脳炎で奈良が全滅する事はありますまい。
 鎌倉期の大仏殿焼払いの平重衡の如くに、源氏平氏の争いによる、つまり政権交代による遷都もあり得ない。とすれば、大地震、内乱、戦争による大移動しか考えられません。
 イスラム銀行は米国資本によるグローバリズムとは異なる価値体系で動いているから、それによる土地収奪、乗取りが一番リアルな想定なのかなと思ったりもします。イスラム銀行は回教徒には無利子貸与の基本的システムを保有していますから、イスラム経済集団が中国資本と結託して奈良盆地の宅地を買収してしまう位の事は容易に起り得る出来事でしょうか。奈良にそれ程の価値があるかどうかはいざ知らずですが。

 渡辺さん、それはさておき、私は貴兄のスケールアウトな都市へのイマジネーションに比類なき価値を認める者の一人です。動機は何やら、キチンと考えていただくとして、奈良の宅地、唐人町も含め、帰化人集団が多かったであろう奈良の民が、一勢に京都に移動するというのは実に面白そうです。
 奈良正倉院の御物の多くがペルシャからのモノである事、華厳はいざ知らず、すなわち東大寺大仏殿の毘盧遮那仏の故郷は何処かは知りませんが、阿弥陀仏の故郷はどうやらシルクロードをたどり、どうやらペルシャ近辺らしいぞと、故・佐藤健から聞いた覚えがあります。彼の遺作になった「阿弥陀がきた道」に、そうほのめかせております。
 だから、回教徒が中国儒教資本と組んで、奈良を足掛かりに京都を占有するというのは考えられなくもないなと思いますね。インド資本よりはリアルでしょう。インドは夢見る民族ではないから、奈良なんかには見向きもしないでしょうから。バーミヤンの石仏破壊を見ても、イスラム教徒は夢見る宗教的集団です。
 マ、その辺りの事は貴兄の独壇場ですから、お任せするしかない。

 繰り返しになりますが、私にとっては貴兄の未来、あるいは超過去の、スケールアウトした都市像が知りたい。当るも八卦、当らぬも八卦です。私にはどうやら、その才は無い。
 渡辺さん、これ迄描いて下さった抽象画とも呼ぶべき都市像をもう少し、ホンの少しで結構なんですが、その一部を五〇〇分の一くらいの細部に落としていただけませんか。マスタープランは不要です。ガランと空白になった奈良の宅地の状態とか、それ等が京都に移動して、一部ビルの屋上を占拠している姿とかの断片でも下されば、私もそれを参考にして、ピラネージのローマの廃墟に棲みつく人々の図とかを、乱暴なディテールにしかならぬでしょうが描いてみたいと思います。
 何かカケラ状のモノを与えて下されば、それを生かしてみたいのですが・・・。
 よろしくお願いいたします。
 そろそろ、絵にしてみたい。

 渡辺豊和 十五通目
石山修武様

「回教徒が中国儒教資本と組んで奈良を足掛かりに京都を占有する」事態が起きたのが2040年。奈良が足掛かりにされたのは2032年。
2016年ロンドンオリンピックの年に日本では道州制となり関西州では京都、大阪、神戸が州都を競ってまとまらず奈良に置かれていた。関西は平城京からはじまるというわけだ。
 関西は他州との差異化をねらい平安朝以来の伝統、女系制復興を表看板に母系社会化が着々と進められ政治経済の中核を子育て経験のある女性が占め、男性は労働主体の役割を担う体制が次第に固まっていった。
日本全体として経済は東京にまかせ関西は歴史的風景風光を背景とした穏和な居住性と工芸を売りとする州をめざした。
母性性が発揮された非競争型社会の現出は思ったより早くグローバル経済の渦中で翻弄される東京をしりめに関西州は人口減少の効果を一早く享受した。
しかし母性型社会はそのまま仏教的穏和とも直通することもあり攻撃的、父性型の典型社会の嫡子イスラム教徒の標的となった。彼らは何も関西が標的なのではない。彼らの標的は勿論日本全体だ。相変わらず東京は活発な経済活動が続き衰えを知らないのは関西以外の日本の政治、経済状況は21世紀初頭と大差がなかったからだ。そう簡単に他国に乗じられる恐れはなかった。
母系型社会に転換した関西は確かに最初に目標とした他州との差異化には成功した。歴史的風景の復元もおおいに進んだし社会も他国にみられないアマゾネス。世界観光のメッカとさえいわれるほどになった。しかしそれが日本の弱点となってしまった。余りに無防備なのだ。
日本全体は高度科学技術をさらに精緻化した近代工業化社会のままなのに関西だけは工業製品の恩恵は充分に享受するのだから人々の日常生活は他州と何の変わりもない。
ただやはりここは日本の真空地帯には違いない。とはいえ微細にながめればやはり少しずつ違う。
何せ10年代から顕著になってきたロボット技術による大工場が関西にはないのだ。すでにあったものまで他州に転移してしまった。
それでは関西の男性は何をしているのか。農耕、ギルドの職人、商人、要は極めて中世的な業態の中にいる。それでも日常生活が他州と変らないのは工業製品に囲繞されているからなのだ。勿論それを使用しているのもいうまでもない。
関西の人たちにとっては21世紀中葉にかけての世界実験のつもりだった。
ところがイスラム教徒が真空地帯関西を抱える日本を標的にしたのは人口減少で緑濃い風土に空間の余裕を生み出したその空間に魅力があったからだ。
特にクウェート。石油が枯渇してしまいまたかつてのキャラバン生活に戻るのを嫌った彼らは蓄積した資本を中国にあずけ巧みに運用させ天文学的資金を有していた。
これをもって関西に移住し日本を支配する。これが彼らの奈良を根拠地とする端緒だった。関西州都でもここはいわば漁夫の利でえた地位。やはり千年の都京都の方が何かと都合がいい。
京都「遷都」のうごめきはこうしてはじまった。ただし2050年には京都はミニシラーズだからこうしたのは奈良を拠点にしたクウェート人ではない。紆余曲折があったことになる。

 まあざあとこんなことを考えてみました。これから自在に時空を浮遊してみたいとは思いますがとりあえず如何でしょうか。

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二〇五〇年の交信 01 渡辺豊和X石山修武
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