アニミズム5号について 二月九日

5号予約開始に際し、絶版書房の活動に関しては、マア、10年は活動を続けたいと思います。10年先のことは夢の又夢ですからわかりません。体、気力がもっているか保証のほどはない。つまり、10号や20号で止める気持は全く無いのです。

これは石山のライフワークの一つです。

そういうことを言うのは実に恥ずかしいことですから、これはチョット言ってサイトからはすぐ消します。ただみなさん、5号は私の終の住み家のデザインについて述べているものですから、これはつまり2025年の私の住み家について、そのデザインについて、そのコミュニティについて述べておりますから、たかだか今から15年先のことです。私が81歳になったときのことです。私の母は日記でも昨年少し述べましたように90歳で元気ではないけれども生きておりますので、上手くいけば私も80歳を超えるでしょう。つまり、アニミズム周辺紀行は長い未来への旅なのです。しかも、繰り返しになりますけれど、5号は私のキライな富士山で言えば、ようやく2合目くらいに差し掛かったところです。神社に参拝して柏手を打った次の一歩かもしれません。

聞くところによるとまだアニミズム周辺紀行は古本屋には一冊も出ておりません。BOOKOFFにも出ておりません。読むべきでしょう。

二月三日

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アニミズム紀行5に使用したキルティプールワークショップ 2003 年のサーヴェイ図版の一部です

アニミズム紀行5の読み方、視方1 二月一日

アニミズム紀行5には、二〇〇三年に開催した、ネパール・トリブバン大学との共催ワークショップ参加者によるサーヴェイの図版が、採録者のネーム入りで多数掲示されている。その採録を整理して製図した図版がキルティプールの丘のどの位置で採録されたかのマスタープランも示した。この図版を丹念に地図を追ってゆくだけで、恐らく不思議な丘の旅をしてもらえるだろうと思う。

ここで、「不思議」と古く西武デパート文化時代の古めかしいコピーもどきを使うのは、この古めかしい、でもたった七年程前の未公開の図版を、極めつきのノスタルジィーの中で眺める私の手つきの中に、アニミズムが確実に意識されている事。それを少し離れて、読者としてペーパーの手ざわりの中に感じてもらえると良いと考えます。

一月二十九日

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アニミズム紀行5に使用したキルティプールワークショップ 2003 年のサーヴェイ図版の一部です

一月二十八日

『アニミズム紀行5』は一線を超えました。図像と言葉が少しずつ、からみ合い始めている自信があります。

絵を動かさずに、動かぬページそのものを動かそうと思っています。

一月二十六日

六時起床。アニミズム紀行5開放系デザイン技術ノートI「キルティプールの丘に我生きむ」の校正ゲラを手に入れる。

これはこれで良いと思う。キルティプールの丘のデザインサーヴェイの記録のレイアウトと、注の入れ方に工夫が必要だろう。しかし、2003年のキルティプール・ワークショップに多くの人間達に参加していただき、あの時のドキュメントをサーヴェイ図に残しておいたのが今頃生きるとは感無量である。

僕の当時のスケッチブックにも数点のキルティプールスケッチが残されている筈なので、それも組み入れてもらうと、更に良くなる筈だ。沢山あるスケッチブックから探し出すのは少々大変かも知れないけど。

世田谷村日記

一月二十四日

昨日、移動の合い間の貴重な時間に、アニミズム紀行5のタイトルを、「アニミズム紀行5 開放系デザイン・技術ノートI キルティプールの丘に我生きむ」、とする事を決めた。それで必然的に6号は、「アニミズム紀行6 開放系デザイン・技術ノート 副題」とする事にした。

世田谷村日記

100115 5号表紙

絶版書房のすすめ

アニミズム紀行3の読者のために

四百十名程のアニミズム紀行3の読者へ。紀行3のひろしまハウスのレンガの壁に設けられていた竹筒のすずめやつばめの巣の写真を、そして断片的な小エッセイを忘れないで下さい。「ひろしまハウス」の朝は鳥達の飛行とさえずりの響きの中に明けます。

残念ながら、建設サイトのかたはらにあったピポリの樹は切り倒されてしまいましたが、それにもめげず鳥達はひろしまハウスを棲家として使い始めています。


今はウナロム寺院の僧達が二階の居住区に住み暮しているようで、僧達との棲み分けはうまくいっているのか気になるところですが。


紀行3で断片として出現した鳥は、アニミズム紀行の5号に於いては、主役の一端を占めるモノとして成長させました。モノをつくる人間の、鳥の住み家としてのキッカケをデザインする気持の動きらしきを建築のイメージとして描きました。


今の私は寒い東京でネコの白足袋と時に一緒に暮しておりますが、白足袋は不思議に家を出ません。このネコは捨て猫で、ガス焼却される前日に五匹の兄弟の中から一匹を選んで、うちにきました。他の四匹は次の日焼かれたのでしょう。紙袋の中に五匹一緒に捨てられていたの事。それだからなのか、よくわかりませんが、白足袋は家の外には出たがらないのに、やたらに何かの袋やらにもぐり込みたがるのです。原体験だの、深い記憶だのとのチャチな事は言いますまい。

でも紙袋の中に入って、ブラ下げられ、ブラブラと室内を吊り下げられての散歩を好む、白足袋をみていると、こいつも何か家らしきを欲しているのかなと、思いたくもなります。


ともあれ、アニミズム紀行5は3の断片の展開があります。又、アニミズム紀行1でのデカン高原アジカンタでの石工達が発し、楽器としてのウゴール河の地形、窟院群の集合が増幅させる音の響きの中にある建築のイメージが少しではありますが、展開されようとしています。アニミズム紀行2に登場した人物やモノも、当然、より複雑にアッセンブルされようとしています。1、2、3、4、5は当然の事ながら連関して空間を組み立て始めているのです。


そのようにして、5号からは読み、視る、考える体験をして下さるのを望みます。し、そのようにして、それぞれの読者がアッセンブル可能なような工夫もこらしています。

一月十三日 朝 石山修武

絶版書房のすすめ

アニミズム紀行5、6を 10 日には書き終えます。

短時間で書く事ができ、又、書かねばならぬ事情もあったので、凝縮したエネルギーを投じました。

幸いにして、420 冊 240 冊を印刷したアニミズム紀行3、4も共に残冊が 10 冊程度まで、残り少なくなりました。当初の目的をほぼ達する事ができそうで、胸をなでおろしているところです。

さて、いよいよ第2ステップです。絶版書房を今年世に送り出す、5、6、7、8、9、10号のアニミズム紀行で、次の段階へと第一段ロケットを切り離さねばならない。その為にはもう少しだけで良いのだけれど、これを世に知らしめなければなりません。


かといって、不可能なだけの抽象的なアイデアは害にはなっても益しない。

現実的には、やはりこの我々のサイトを有効に使い、さらに日々拡張する具体的な努力を積み重ねるのが現実的です。一万五千のヒット数を一月中に一万七千に一度だけでも到達させましょう。


毎日の数字を読んだり、それから憶測するに、やはり面白ければ、ヒット数は伸びるのです。面白くないと減少する。読者は冷淡です。努力しているからと言って何かをしてくれるなんて事は皆無といえるでしょう。


サイトを眺める人間達の中には、勿論好意を持って接している人間ばかりではない。少なからぬ、悪意や敵意を持ちながら接している人間もいるでしょう。その双方共に、無料でウソではない情報を垂れ流している。


一方、絶版書房は 2500 円送料込みの、脳内旅行記です。少なくとも有料である。このギャップ、変な関係の中に可能性らしきがある筈です。そこを考えられないモノか?


すでに全て渡してあります、アニミズム紀行5の表紙を何とか話題になるような事、これは有料じゃなきゃ体験できないぞ、の枠付きでデザインしましょう。

6号も、荒けずりのものを先程 44 枚迄読んでもらいました。6号の表紙のイメージを作ってもらいたい。コレワ、僕が考えない方がよろしいと確信しています。返信待ちます。

1月8日 石山

一月八日 

実は、この正月に5号を書き始める前に、別のテーマで5号用に40枚くらいを既に書いていたんですね。これは1号〜4号までと同じような形式、つまりエッセイ集のようなものでした。それを31日に、それだけ書いていたので残念だったのですけれど全て捨ててしまいました。それで今回初めて1冊通してまとまったものになったと思います。

新しく書き始めて、正直これは1月いっぱいはかかってしまうなと思ったんですね。それが1月2日に40枚くらい書けてしまって、スーッと伸びたんです。

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4日目に73枚まで書きました。そこでもう止めようと思ったのですが、それはこれ以上書くと小説になっちゃうという自制心ですね。書こうと思えば、その先もいくらでも書けるんですよ。でも小説じゃないから、プツッと切りました。

こうして5号では原稿を書きながら手探りで色々なものをやってみたのです。原稿を書く人には2種類あって、最初から答えがわかっていて書く人と書き出さないとわからない人がいます。僕は完全に後者ですね。

絶版書房を買うべし

一月五日 

二〇一〇年一月一日

七時前アニミズム紀行5、「終のすみ家へ」書き始める。

十六時前、再びアニミズム紀行5、書き続ける。必要に応じてスケッチをしなければならず、かなり綿密な作業となる。

一月二日

六時四〇分起床。アニミズム紀行5にかかる。

仕事を終日続行、十八時半アニミズム紀行5、31 枚迄書く。上手く進んでいるのか、変な世界に突入しているのか定かではない。

二〇時過 33 枚半迄書きすすめ、疲れて横になった。書きすすめた文中の主人公も丁度眠りについたので良かった。

一月三日

頭が疲れ過ぎて、やはり深くは眠れず、一時過に目覚め、書いたモノを読み直してみる。直さなければならぬところもあるが、予想以上に面白い。四時迄書き続け四〇枚少し迄辿り着き。再び横になる。

八時半再起床、すぐにアニミズム紀行5のつづきを書く。朝食をはさんで十四時前迄続ける。五十一枚迄辿り着く。

それなりに書けているような気はするのだが、どうなのか。生きて辿り着けるかどうかは知らぬけれど、二〇二五年迄の旅、終の建築と社会像への旅を描いてみた。私の率直な理想とも言うべきモノ、何かの像を描いてみた。

十八時半六十三枚まで辿り着く。絶版書房の一冊のとり敢えずは限界枚数だが、もう少しだけ書く必要がありそうだが、休みを必要とする。恐らく今夜も頭は眠らぬ夜になりそうだ。

書いた、描いた物体、建築をどうしても何らかの形に実現したいと熱烈に願望している自分が居る。

一月四日

七時半起床。アニミズム紀行5を読み通し、66枚迄つづける。スケッチも数点。十時半迄もう少しすすめて、出掛けよう。実に面白い。

世田谷村日記

絶版書房

開放系デザイン、技術ノートI

キルティプールの丘にて我生きむ

アニミズム周辺紀行5

受付中

「何故、今アニミズムなのか

 アニミズム周辺紀行4」

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建築がみる夢
『ひろしまハウス』

ひろしま・
レッドクメール・
備忘録として

アニミズム周辺紀行3

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