石山修武 世田谷村日記

2006 年1月の世田谷村日記
 018
  十二月二七日十九時中目黒のソバ屋で佐藤論、六車、萩尾と会う。故毎日新聞記者佐藤健をしのぶ会でもある。流石に三年も経つと、故人をしのぶ人間は激減して今年は遂に三名という事にあいなった。
 毎日新聞記者萩尾は、佐藤健の死を見とった記者で、健の死際のルポルタージュを新聞に書いた男だ。健の後を継ぐ記者になるのではと期待しているが、どうかな。六車は毎日の運動部の名記者で、早稲田の野球部出身。学生時代はエース三輪田の背に隠れて登板の機会はあんまりなかった。しかし、六車は良い。オリックスの名スカウトになった三輪田の自死をキチンと書いて、三輪田の無念と存在を世に知らしめた。又、佐藤健に大リーガーのイチローを紹介し、健にイチロー物語を書かせた。イチローはもう佐藤健を忘れているかもしれぬが、多くの人々はイチローを佐藤健の著作を介して思い出す事になるであろう。
 二十三時半修了。帰途のTAXIで佐藤論と北京モルガンセンタープロジェクトに関して少しばかり話す。マ、論も死んだ親父の肝玉に免じて、石山と附合ってもらいたい。広告代理店の使用人ではこのプロジェクトは把握できない。と、無理難題を言っている現実の認識は構わず難問の数々を吹きかけて帰途につく。二十四時半、世田谷村に戻る。久し振りに飲んだ。明日の体調が心配である。
 017
 関岡君の「国富消尽」
 北京モルガンセンター計画 21 世紀農村計画の 05 年研究室の二本立ての軸と、この本に書かれている事、特に最終章の汎アジア共同体構想と石山研の構想の輪郭が重なるものを感じたからである。マネーゲームに関しては、北京モルガンセンター・オーナー郭氏から中国サイドのアメリカンマネー、そして米国のクールな日本観についての話として聞いていた。中国は日本の対米政策を失敗していると見ている。日米のマネーゲームに関しては関岡君の見方は正しい。中国のトップ達も同様な認識を持っているようだ。
 中国大陸において日本のハイテクをハイブリッドした都市の新様式へのきっかけをつくるのが北京モルガン・プロジェクトの要である。モルガンセンター、及び北京オリンピックサイトのスケールはアメリカン・グローバリズムにも酷似したスケールをそのまま体現している。しかし、そのスケールはマネーゲームの表現ではない。ものを作り出さねばと思う。
 016
 十六時過、豊島区千草の豊島北教会へ。芳賀繁浩牧師のクリスマス礼拝への誘いに乗って出掛けた。朝の礼拝、諸王の王、皇帝の玉座と馬小屋の飼葉桶を聴きたかったが、昨夜来のハードな読書で朝は討死。夕方の日曜学校の部に行った。
 何処であったか忘れたが、イタリアの山岳都市のシナゴーグを強く憶えている。イヤ、ギリシャの何処かであったかも知れぬ。もう定かではない小さな、実に小さな石の聖堂を憶えている。濃いブラウンとグレーが混じった石を積み重ねて、実に堅固な空間がそこにはあった。あれが宗教的な空間のスケールとしては理想だろうと今も確信する。実に小さかった。まさに馬小屋のスケールであった。豊島北教会は小さくて、それ故に良いスケールなのだけれどキリスト生誕の馬小屋のルーツにはぴったりなんだけれど何か足りないのだナア。ロシア正教に木の教会の何がしかはあるが、キリスト今日の聖堂は木造ではあり得ぬような気がする。木は、やはり神道だろう。どんなに貧しくても、キリストの聖堂は石か、レンガ、砂を使ったブロックではないか。豊島北教会の子供達の一生懸命なクリスマスの芝居は仲々良かったけれど、小さな石の空間が欲しかった。東アジアのキリスト教会聖堂は、使われるべき材料に関して、もう少し深く考えるべきではないか。安易な妥協が、真の信仰心への道をくだいているのではあるまいか。言葉は光であり、神に近いが、空間はさらにそれを身近に感じさせる。
 015
 五年前の二十四日は富士山聖徳寺を訪ねていた。四年前は沖縄だった。今日はクリスマスらしいが毎年特別な事はない。気仙沼の高橋工業の会長夫人が亡くなられた。おくやみ申し上げる。社長は元気にやっているのだろうが、そろそろ体に気をつけて欲しい。
 014
 日本キリスト教会豊島北教会の芳賀繁浩牧師より、クリスマス礼拝のお誘いをいただく。行けると良いのだけれど。
 013
 関岡英之君より、吉川元忠氏との共著「国富消尽」PHP研究所送られて来る。読みやすい本で半日で読了。小泉首相の郵政民営化とアメリカの日本経済支配の戦略を明快な筆致で書いた本である。関岡君からは小林興喜前衆議院議員等、謂わゆる小泉改革抵抗派と呼ばれている政治家への共感を聞いていた。が、当方もいささか小泉劇場の観客の視線になっていたので、関岡は大丈夫かなと思ったりもしていた。小林興喜等は元通産官僚で、関岡君の前著「拒否できない日本」を読んでコンタクトしてきたらしい。著者としたら著書を読んで、政治家が会いたいなんて言ってきたらやはり嬉しいだろう。それで関岡英之は反小泉劇場になったかと思ってしまったのだが、本書を読んでそんな下世話な事情からではない事がキチンと判明した。関岡君には申し訳ない見くびり方をしていたのを謝らなければならぬ。スタートしたばかりの早稲田の「ユーラシア・サイエンス&ビジネス研究所」に彼を迎え入れなくてはと勝手に考えた。
 又、食料問題も本格的に研究して欲しいと思った。カバーコラムで「国富消尽」の書評は書きたい。
 012
 兵庫県立美術館山田脩二の軌跡展のカタログ用原稿十一枚書く。二十三日十七時半迄かかった。まともに人物論書くのは久し振りで面白かった。終わりの頃に一つ良いアイデアを得た。初めて書いたエッセイ川合健二小論以来の人物論になる。「現代の職人」室内連載10年間より、チョッとはマシになった。二十四日十一時過、兵庫の学芸員山崎均氏に送る。
 011
 TVディレクター矢野哲治氏より以前NHKの番組作りに際し録画した一時間の酔庵での佐藤健との対談というか、無駄話のビデオが送られてきた。見てみたいような、もう見たくないような気分が混濁する。年末ともなると色んなモノが交差する。
 010
 芸術学校長鈴木了二氏と話した。彼とは同年齢である。先日の学科の会でアジアでの研究拠点を展開する戦略を立てようという事になった。上海にスクールを作る準備を始めているが、鈴木氏も加わっていただき、先鋭的なデザインスタジオを創立するプログラムを作ろうという事になった。又、来春より芸術学校内にスペシャルデザインコースを三〇名程度で設けることで合意する。その準備の為の展覧会を本部キャンパス内にセットする事も決めた。
 09
 「建築と破壊」飯島洋一、読み続けている。飯島氏のほの暗い情熱の行先は奈辺にありやという疑問が初めからぬぐい去れない。良質な知識人たらんとすれば本来的にシニカルにならざるを得ないという、マルキストの固定化された伝統の中に在る、多木浩二氏と同様なカテゴリーの中の人なのではないか。その意味では正常に近代的な思考である。認識は暗く、表現も暗い。スーザン・ソンタグの言説には常に一条の光が指していたように思うが、どうか。最後まで読む努力はしてみよう。十二月二十一日夜半、途中読み流した部分もあるが読了。
 08
 坂田明より「ミジンコ静かなる宇宙」送られて来る。南青山アルクールの勝又彰よりHAVANAのカレンダーくる。
 07
 宮崎現代っ子ギャラリーの藤野忠利さんより続々と具体グループ資料、堀尾貞治資料他が送られてくる。メールアーティストの面目躍如である。堀尾貞治の日常、あたり前の事を延々とゆるく拡げていけば、それがアートなのだ、の考え方は良く解るような気もしないではない。藤野忠利の郵便だって、その伝でいけば、クロネコヤマト宅急便アートの典型だ。つまり普通のコト。でも、何故、僕は申し訳ないけれど、堀尾貞治や藤野忠利よりもマルセル・デュシャンの方が凄いのだとまだ考えているのだろうか。各種教育や、美術館のプロパガンダのお蔭だろうか。多分、こちらの側、受け取り側の方の脳内風景、美術品が並べたてられている廻廊風景の問題なのであろう。しかし、何故、具体よりもデュシャンなのであろう。デュシャンはそのアートの枠組みをダダイストとして笑ってみせたのだから、その考えからすれば堀尾もデュシャンも藤野もみな同じ、並列だと考えねばならないのに。要するにデュシャンが藤野的世界の先駆者であるというのは教育によって得られるものである。日々の生活の知覚感覚では得られない。
 堀尾も藤野も、具体創生期とは違い、今では当然、デュシャンもマレービッチも良く知っている筈だ。それが現代のプリミティーフの存在を許容しない冷酷さであろう。さすれば堀尾や藤野はデュシャンをいかなる者として考えているのだろうか。藤野さんに尋ねてみたい。
 06
 神戸県立美術館の山田脩二展の為のカタログ原稿、たしか〆がもう間近だ。何を書けば良いのか皆目わからぬママだが、書いてみる。
 05
 二〇日夜、ときの忘れものに松沢宥氏の事尋ねるも、綿貫氏カゼ休みで不明。今日、情報得られるか。
 04
 電子風景のデザインは字義通り中に浮いている世界なので仲々むずかしい。北京の玄奘法師パビリオンと呼んで良いものか、モバイルシアターの案をまとめ始めるが、建築的頭を自己解体せねばならず、観念で考える程には楽でない。六百メーターの長さがあるコリドールをどう変質させるか。
 距離そのものが透視図法を生み出し、ひいては空間という一神教的な構築シズテムを生み出した。今や、それは不安と強迫をしか生成しない。ネット社会のサイトにはもはや距離は存在しない。だからそこに透視図法は出現しようがない。奥行きは消える。そのサイトをコントロールするのは何者であるか。サイトに参加する膨大な人間が一人一人は物見高い観客である。コンピューターやモバイルの窓から仮空をのぞき続ける。集団でありながら一人一人でも同時にある。この一人一人でしかも集団な人々を、別次元の世界へ誘い込む。その複雑なシナリオと舞台なき舞台装置の配布のようなものが、デザインになるのではないか。奥行き、空間が無い劇場のようなもの。身体の中の、脳の中の人工脳モデルである。
 六百メーターの長さと百八十メーターの高さを使った脳内トラベルサイト。口で言うのは楽である。
 03
 「年報都市史研究十三・東アジア古代都市論」都市史研究会山川出版社。「磯崎新の思考力」王国社。「建築と破壊」飯島洋一、青土社。いただく。全て読む事とする。十二月二〇日二十二時磯崎さんの本が一番読みやすそうなのでかかる。東アジア古代都市論の一部と共に二十一日二時半読了。
 古代東アジアの古代都市生成に関して、必ずしも中国から周辺諸国への一方通行的影響ではなく、相互影響があったようだというのが新鮮であった。中国、渤海の上京龍泉府の平面プランが日本の平城京を参考にしていた事などが解り始めているようだ。衛星写真の計測による収穫らしい。
 02
 北京モルガンセンターのパビリオンを僧玄奘に関するセレモニーの劇場として考える事とする。上海の李祖原と連絡。北京の郭氏から二日前にノープロブレム、事態は前に動いているとの報があったとの事。もう一週間待とう。三蔵法師の遺品を中国に里帰りさせる大きな計画があり、そのロケーションには北京モルガンセンターがベストであろう。その他、ディテールは様々に動いているが、何しろ本体の進行の確認を得るのが第一だ。モルガンで試みたいと考えているのはビッグネスという建築概念を電子世界に遊技化し、スイッチ・イン・アウトさせてしまう事だ。超高度な技術世界、電子世界は東洋思想、とりわけ仏教の精神世界に酷似していると思われるが、どうか。
 01
 丹羽君。日記のスタイル変えます。5年間世田谷村日記を記録したが、僕にとっては役割を終えました。おいおいその事も書いてみたいと思いますが、今日十二月二〇日で区切りとします。
2005 年12月の世田谷村日記

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