世田谷村スタジオGAYA 工作ノート

世田谷村スタジオGAYA

2014 年 6 月

工作ノート44 GAYA新事務所道路側ファサードの制作について


6月13日午前中よりGAYA新事務所の道路側の鉄の壁への農業用ビニールハウス・フレームの取り付けと、引き扉の取り付け工作作業をおこなった。既製の角度ジョイントで頂点と肩の部分が繋がれている家型のフレームは、あらかじめ上部のみ組み立て、それを現場で持ち上げながら下に残りの足を付けていく工程である。フレームの足は全部で10本からなる。通常の農業用ビニールハウスのパイプは地面の土に30cm-50cm程突きさして固定するが、今回の場合は下がコンクリートスラブであるので、容易に差し込んでの固定はできない。また事務所の室内工事においても既存のデッキプレートの壁・床等に対してはなるべく手を加えずにその形状を与条件として、上から置いたり、差し込んで楔で極めたりといった方法で床その他の木工事を行っているので、今回も同様の考えで進めた。つまりコンクリートに新たな穴は空けずに、パイプフレームの下の先端を90mm角のヒノキ材に差し込んで地面に置いた。そしてその立ち上がったパイプフレームに、これもビニールハウス用の引き戸を取り付けた。
出来上がったそれは、細くて華奢なパイプの家型のフレームの各部材が靴のように太い木材を履いて、そのアンバランスな感じがあまり気取っていないユニークな姿である。フレームは壁に沿って張り付いているだけなのでほとんど圧迫感はない。それにその地面付近に置かれた木材の靴がやはり何とも妙な組み合わせである。
この家型のフレームはスタジオGAYAの情報を掲示する画面となる予定であるので、今後いくつかの部材がまたこのフレームに追加されることになるだろう。ビニールハウスの組み立ての基本は切ったり曲げたりの加工や貼付けたりの接着剤も使わない、ただモノとモノを繋ぐ、挟む、はめ込む等といった方法のみで出来上がるものである。いくつかの既製の部品の寸法原理原則の枠組(=フレーム)の中での自由な創作と表現が可能なのである。今回組み立てたインフォメーション・フレームもその寸法系を前提に今後添加するものを設計していく必要があり、また壁面全体のファサードのデザインにおいてもこの家型フレームが画面の枠となって全体を規定する。ビニールハウスの部品でつくったそれを「メディア・フレーム」と呼んでみているのには、そうした幾つかの次元を同時に一つの創作の中で実践してみようの意図がある。
2014年6月14日
佐藤研吾

工作ノート43 蚊取り線香制作を通した、マテリアルの組み合わせについて


前回の床置き蚊取り線香立ての制作に続くものである。
蚊取り線香としての機能と耐久性をより安定なものにするために、一度出来上がったかたちのものに対してもう一つ新たな物体を付け加えた。それはアルミ製のエキスパンドメタルの断片である。柔らかくある程度の変形が自在である。自在故に、今回の制作品の機能である蚊取り線香をそこに挟み込めるよう調整することができる。けれども、燃えることはなく、折れもしない。ただし柔軟な故、上部から荷重を受けながら自立するのは難しいので、あらかじめ平板に叩き込んで立てていた竹に撓垂れかかるように絡み付けた。さあ、一体どうすれば安定した形を作り出せるか、と手で試行錯誤を続けた結果である。数学的、あるいは物理的な帰結として得られる形ではない。ある論理と目的を持つことでその造形の組み合わせは出来上がったのであるが、始めからこのような形になろうとは到底想像もつかなかったのである。エキスパンドメタルの欠片も特に意識せずに切り取った形をしていた。
メタルが木材に撓垂れ掛かりながら、蚊取り線香の大きな天蓋を支え拡げている。まるで大きな藤棚に支えられるフジの老木の如くであるが、頑丈であるはずのメタルが木材に支えられているのはいささか妙な光景ではある。これを模型に見立て、建築空間としてイメージを没入させてみるとさらに想像は広がる。
マテリアルの抽象モデルでもあり、また実体を想起させるだけの建築模型としても在る。けれども、それでいて只の蚊取り線香なのである。ユーモアではない、なにか複雑な価値観の揺さぶりをこの小作の内に見いだすこともできるかもしれない。
no.118 マテリアルの組み合わせに関する小作品1(「飾りのついた家」組合) 2014年6月10日 佐藤研吾

工作ノート42 床置き蚊取り線香立ての制作


床置き蚊取り線香立ての制作。
本日6月4日に3台を作った。材料は杉の古材と竹のみである。小さなノミで杉板を彫り込み、そこに螺旋型の線香に差し込めるよう上部先端を尖らせた竹を叩き込んだ。
杉の古材を目の前にしたとき、何処に細竹を突き立ててみようか、の思索がこの制作における主たる作業である。板の形状、木目、色の濃淡の違いに対して、どのように線香の螺旋形を添え、煙を立て、灰を落とすかである。
使う人はさらに、蚊の居所はもちろん、この線香台を家の何処に置くか、どんな風を当て、光を差し込むかの工夫も必要となるだろう。けれども、やはり蚊取り線香は、蚊取り線香なのであるから、やっぱり何処に置いたって構わないのである。この線香台は執着と無頓着、関心と無関心、そして洗練と野暮の間にある。
古材という長い時間によって、自然の中で産み出されたモノであるから、適当なところに放っておいても何ら問題も無く、野暮は野暮であっても一向に構わない。けれども、その野暮の在り方を考え詰め、何がしかの工夫をその中で求めていこうとするならば、それはモノに対しての底なしの執着をまた要する。「野暮」なモノの「洗練」の仕方、という言葉としては矛盾した作業を今しようとしている訳である。
桃山時代・江戸時代の利休や遠州をはじめとする茶人の文化において、「-好み」というモノに対する美学があったが、彼等はそんな微妙な感覚を互いに共有していたのかもしれない。「野暮」の在り方について、本格的に取り組んでみようとも思う。


2014年6月4日 佐藤研吾

工作ノート41


古材からなる質樸とした、制作物である。一つ目の、スギの古板の切れ端と半割りの竹二つを組み合わせたものは、俳句を書くための小台である。俳句を記す短冊の紙を板に置き、筆は横の仰向けになった竹に収めるように使う。(より広汎な使い方ももちろん可能である。)
俳句の「5・7・5」のリズムの如くに「竹・杉・竹」を組み合わせてみた。杉板はかなり変形したものを幾多ある古材の中から選び取り、俳人の無為自然の意識をより研ぎすませまた感化させようの作為がわずかながらにある。俳句には様々な流派とそのスタイルがあるが、彼等の感性の違いを、古材が様々に持つ造形と質感の差異によって今後選び分けてみるのも面白い。
少々矛盾した言い方であるが、日本のワビ・サビにおける作為と無為の、創作者の内における葛藤とも言える関係の問題はかなり広大なものである。さまざまな文化において、作為・無作為の関係が部分的に統御する作法や流儀が産み出されてきたとも思われるが、その広大さ故、まだまだ創作の在り方の可能性は大きい。そしてこのプロジェクトでは、日本の近代、特に戦後の住宅供給において排除されてきた和室の問題、そしてさらに細かくは床の間の問題にまで触れてみたい。現代の創作故の理である。

二つ目の、床に寝かせた竹は、お香立てとして使う。お香が差し込めるだけの小さな穴が竹の節近くにあけてある。名前は「岬」と名付けたい。(とも考えたが、これは少々文学に過ぎるので改めなければならない。)

他にも幾つかのものを近々ここに発表していく予定である。


2014年6月3日 佐藤研吾

工作ノート40


GAYAスタジオ内部の制作から続き、古木材と、新材であり流通品である工業部品の組み合わせによる小さな棚を考えている。ビニールハウスの直管パイプにいくつかのジョイント部品をその組み合わせの中に盛り込んだ。ハードになりがちな各部材の端部を覆い、より人が使うための生活の道具に近づいた感もある。それらのジョイント部品は1個51円、87円等とかなり安価である。また、新旧混在する組み合わせにおいて、普段は野暮に成り果てがちなそれらのジョイント部品は逆に有効な装飾要素として使えそうである。

星の子愛児園増築計画では、こちらも新旧のモノの組み合わせがより大きな空間として出現する。特に北側の既存の踊り場は、新築棟の草屋根がその上まで延び、敷地内の別場所に在ったモモの樹を移植する。さらに、訪れるお母さんと子どものための幅広のベンチを付加することでその場所は良い意味で非常な複雑さを持つことになるだろう。そして、ここでも新旧の部材の結合部が重要な部分であり、またこの踊り場自体が旧い建物と新しい建物の結合の空間なのである。


2014年6月3日 佐藤研吾


工作ノート39


このプロジェクトは最終的には作ったモノを買ってくださった方々が、自分達でアッセンブルすることを今のところは想定している。アッセンブル、要するに組み立ての事だ。

つまり、非専門職の普通の生活者つまりは消費者と呼ばれる類の人間達にも最小限の作るという遊びに参加していただこうという極めて上等な概念にもとづいているのである。しかしながら、自分でもすでに自覚しているように上等過ぎる概念(初歩的思考の基盤)は極めて観念的であり上滑りを重ねてゆくのは、例えば柄谷行人の提唱したNAMの運動の挫折以前の初歩的な失敗を視ても明らかなことなのである。

それについてはいずれ述べなくてはならない。「飾りのついた家」組合の運動は柄谷行人のNAMの失敗を遠くから眺めたうえでの発足ではあるが、まだほとんど実質的な成果も挫折すらも体験していないので、語る資格は無い。


結論としてこのスケッチによる商品の数々は二系列のヴァージョンと持たせることにする。無茶苦茶に安いモノと、その反対のモノと。


2014年6月2日 石山修武

工作ノート38 GAYAスタジオ道路側、ファサードの制作について


 新事務所の道路側の入口扉は通常ビニールハウスで使われる引き戸を使用する。その引き戸を支えるため、さらにはその考え方をより拡張させてビニールハウス妻面のパイプアーチそのものを事務所ファサードとしてとりつけることを考えている。写真はその製作中途の状況である。

部材は全て農業資材メーカーよりインターネットで注文。注文後2日で資材が到着した。材料費は送料込みで約1,2000円(扉は別途)である。建築資材に比べて驚くほどに単価が安いのは、農業部材の大量生産性に依っていることからきている。長さ1,800mmの2種類の太さの直管パイプ(φ19mmとφ22mm)を3種程度のジョイント材で各結合部を固定する。固定といっても全てネジ留めか専用のクサビの打ち込みによる固定であるので、幾度かの調整も可能である。制作予定の全体は幅8,100mm、高さ4,200mmという大きさであるが、これは人間2、3人程度で持ち上げられる程に軽い。 モノつくろうと志す私自身も、モノを自分の手で作るのには素人同然である。そうした不足の手でも扱うことの出来る簡易さ、モノ自体の軽さ、そして価格の安さが、今回の制作の眼目であろう。その主題をどのように表現するか、作ったモノがどのように訴えかけるかが重要である。

近世、あるいは近代初期の日本の屋敷における門構えは、その家を外部の都市に対して定める重要な役割を担っていた。当時は当然木造であり、解体も可能で、寺院の山門や某かの別の屋敷の門であったそれが移築しての、謂れを持って新たに建てられた門も少なくなかった。門自体がその構える姿で表れる風格めいたものが重要であると同時に、そのモノが内に持つ情報的価値がそこにはあったように思う。

今回のGAYAの門もそうした価値と意味を持たせたいと考えた。物質的軽さ、制作における軽さとともに、現代のより普及した大量生産の簡易な技術を使いこなしたその姿が自分たちの立ち振る舞い一つの表明として掲げ、その情報発信性が大きな要素を持っている。

まだ大きなことを言う力はないが、これらの問題は以前石山研究室が造船会社に美術館のファサードを作らせたように、建設業界という世界とは異なる業界のものを使用して、そうした価格の非常さを引き出していることと同価値がある。GAYA新事務所の建築本体は世田谷村も一部含めて建築資材を使っている。

他の業種の技術を用いてのファサードといっているのは、建築本体に対する一種の装飾物として使用し、その装飾が価格異常さを表している。こうしたことが大きな普遍性があるように思える。


2014年5月31日 佐藤研吾

工作ノート37 「Old & New」とは古いものと新しいものとを併存させる計画である。家具レベルから建築レベル、都市レベルに至るまで。


 

 古民家の解体により得た古材・竹を含む100年前の部材とインターネット市場の温室パイプ他の部品のアッセンブル。

スタジオGAYAの工事に当たり、大工・市根井立志が古材を集積し、搬入した。

前橋の古材市場にオーストラリア人が輸出用に購入したものの余剰品が処分目的で安く出回っていたそうである。古材は明治期初期の古民家の茅葺き屋根の下地材であった竹と杉板である。100年以上の時間の経過を帯びたものである。鉄に於ける錆と同様にある種の歴史性を帯びたものになる。

22ミリ及び19ミリ直径の温室パイプはネット通販で購入しGAYAの建設資材として世田谷村に届けられた。一つの工事現場からは膨大なゴミ(端材)が出て、それらはお金を払って処分されるのが現代の建設現場の通例でもある。

その一方で、前橋の古材市場の様に、時間を経た材料はそれとは違った価値体系の中におかれる。

そこで、これら古材マーケットの余剰品とGAYAの工事用資材の端材を組み合わせたファブリック(違い棚)をGAYAの工事を進める市根井さんの傍らにいる1日で製作することにした。

当然のことながら、最も工夫が必要なのは異なる部材の接合部である。それに加えるに、レヴィ=ストロースの言うブリコラージュ・身の回りにあるものだけで身の回りを出来るだけ作り上げていくという我々の考えを付け加えた。

先鋭的な一人大工である市根井立志の道具は電動工具の進化とともに実に多様なものである。一人の優れた大工・職人はその道具の進化にともなって驚くべき能力を持つ。それを人間主体のものづくりとして実践してみたいと考えた。

考えるは易し、行うは難しは古来からの真理だが、その真理にせきららに対面している。誰でも出来るアマゾンの原住民たちのブリコラージュを現代的に置き換えると一人大工とデザイナーとの協同の形式の中にあるのではないかとも考えた。とりあえず1日でやった作業を今日は完成品とともにサイトに掲示する。細部の工作はまだ修正していかなければならないが、専門職ではない普通の一人の人間が作ることが可能なものという筋は崩したくはない。この映像はこの小さなプロジェクトの入口を示すものになってくれたら良いと考えて、少し早めに掲載している。

 この家具は「飾りのついた家」組合のネット市場に流通させ、購入者がいれば固定の仕方にもう少し手を入れた上で手渡ししたいと考えている。


2014年5月31日 渡邊大志

工作ノート36



2014年5月31日 石山修武


工作ノート35


GAYAスタジオ入り口について


スタジオGAYA新事務所の入口前付近の制作を行った。
片側には、切り込まれた巨木に古民家から収集した竹を差し込んだモノを。名前は「GAYAのデク・チェアー」としてみたい。竹はその巨木から少し削った木片をクサビとして留めている。
このチェアーは道に向いているので、通りがかる人が時折座って休憩でもしてくれるとなお良い。 もう一方にはすでにあった郵便受けを支えるパイプに竹を指しこみ、先端にはさらに世田ヶ谷村の中に落ちていた木の枝を差し込んだトーテムらしきものである。
中空に浮いたようにも見える二本の竹が門のように構え、入り口を設える。
入り口のドアとなるビニルハウスの部材も本日到着したので、近々取り付ける予定である。
2014年5月30日 佐藤研吾

工作ノート34


満覚路上山庄計画・オーナー棟スタディ
 小さな村作りにも似た全体計画の中にクライアント自身が暮らす邸宅のスタディである。
 杭州の伝統建築群に倣った光庭を兼ねたRC造の吹き抜け空間の中に木造の茶館を組み込むことになった。この茶館は日本の大工・市根井立志さんに現地で作っていただくつもりである。
2014年5月29日 渡邊大志

工作ノート33


今のところの展示は

1、草屋根の小屋
2、農業用部品の転用=GAYAの囲い
3、大工・市根井立志の家=設計者:石山修武 制作:市根井立志
4、大工・市根井立志+GAYAの小作品
5、GAYAドローイング
6、開放系技術について

を予定している。
展示会カタログはアニミズム紀行同様に、絶版書房より刊行する予定だ。
入場は無料だが、カタログは有料とする。入場希望の方々はメール又は往復はがきでSTUDIO GAYAまで。

STUDIO GAYA
TEL : 03-6319-8958
 住所 : 〒157-0062 東京都世田谷区南烏山2-16-4 世田谷村
E-mail : ishiyama.arch@setagaya-mura.net
2014年5月27日 石山修武

工作ノート32


2014年5月26日 石山修武

工作ノート31


GAYAスタジオ新事務所2階に据え付けの机と棚を制作した。
縦横無尽に中空を走る母屋の構造ブレースに差掛ける棚板である。材料は大工・市根井氏による床工事で使われている30mm厚のスギ板を使った。4m定尺を適当な長さの二つの材(2300mmと1700mm)に割って、それぞれの両端部を先のブレースに食い込ませる仕口を制作した。金属ブレースは円形の断面であるので、木材がその直径まで食い込まなければうまく効かない。そのため、制作した仕口も直線の切断面だけというわけにはいかず、若干の曲面の凹型を内部に持たせた。これもまたクサビとおなじ原理である。

どちらの棚板もかなり中空を飛ばしているが、書籍やその他備品を置くくらいではほとんどたわまない。ただし短手方向の回転力にはかなり弱いので、上の天井に引っかかるような縦材を差し込むことになるだろう。

現在2階の床は約半分が終了している。主たる材料であるスギ板の重厚感が広がる一方で、おそらくこのスペースは既存の構造ブレースに負けないくらいのかなりアクロバティックな小空間になるだろう。

最後に付したスケッチは同様にブレースに差掛ける吊り構造の椅子の検討である。人もまたモノと同じようにこの場所を漂うように活動できないかと考えている。ジョイント部分がかなり怪しいので部屋全体の配置を含めた検討が引き続き必要である。

2014年5月24日 佐藤研吾

工作ノート30


2014年5月24日 石山修武

工作ノート29


2014年5月23日 石山修武

GAYAスタジオの二階のアトリエ作業スペースに設置する小休憩机と、一階内部のアーチ型ハウス用パイプの取り付けの検討。

どちらも既にある金属の物体に木を据え置く、あるいは叩き込むことで固定させることを考えている。釘・ビスを使わないのでもちろん取り外すのが容易であり、機構が簡単であるのでさまざまに応用・展開が可能でもあるだろう。

2014年5月23日 佐藤研吾

工作ノート28


2014年5月22日 石山修武

工作ノート27


2014年5月21日 渡邊大志

工作ノート26



2014年5月19日 石山修武

工作ノート25


星の子のスタディ。 建物の構造から水の流れや子どもの興味までを含めて、ある種のエネルギーが集中する場所に柱は立つ。 これらの柱を統べるものを探している。

杭州計画の敷地内に現れる最も長い壁と庭の関係のスタディ。

南側の傾斜面に立ち上がっていく茶畑の樹木並みと現地の土が材料である重厚な甍(瓦並み)を同値に捉えようとする原点から その関係性を考えている。

計画の中心の庭は自然の茶畑と連続しつつも、地下に実利的機能を抱えた人工地盤でもあり、さらにその下に本当に大地が隠された三重の構成を持つ。

2014年5月19日 渡邊大志

工作ノート24


GAYAスタジオの道路側入り口部分と、一階の扉と床の構成について。
長尺の部材は用いずにL=2,100mmの直管パイプ定尺をジョイント材で継いで大きな架構を作る。扉部分については既製引き戸ユニットの支えのために一本の木材を渡して、パイプ材をその木材にボルト穴に差し込むことで固定する。今週中頃より、大工・市根井氏が床工事に取りかかる予定である。

最後のスケッチは、GAYAスタジオのビニールハウスパイプの検討から、星の子愛児園の踊り場部分のデザインにアイデアが派生した状況である。パイプの表面色はまだ詰め切れていない。

2014年5月19日 佐藤研吾

工作ノート23


極微の世界でもある22のGAYAスタジオスケッチから一転して、23は日記61に記したようにどうやら建築スケールの世界のドローイングになった。松竹梅の世界ならぬ、大中小の、いやはやこれは学生の頃に読んだ記憶がある、ガストン・バシュラールの大小の弁証法みたいな考え方であるが、その通りになってしまった。

、工作ノート23のスケッチ3点は地理的にも動いて中国杭州で手掛けている満覚路上山庄の茶館のドローイング(スケッチ)である。円筒型のいささか我ながら重い形態を持たせた建築をスタディしていたが、今早朝それをバッサリ切開してみようと思い付いた。切開と言うよりも唐竹割りのようにスパリと円筒をきって落としてみた。このスケッチでようやく茶館の設計はすすめる事ができるだろう。

3つのスケールの2日間の旅のお陰さまである。

この間の2日の旅については自分なりに大事であったかも知れぬので(大事か小事かは他人が決める事でもある)アニミズム周辺紀行9に書いてみようかとも思うが、いかがなりますやら。

アニミズムの周辺へ旅してみようは、いわゆる日常の旅の動機もそうであるように無意識のうちにその出発がある。目的、つまりはゆるやかな打算、計算の結果としての旅は、実に旅とはよびたくないつまらぬモノではあろう。

アニミズム周辺紀行の今のところの到達点は世界の中心の山らしきカイラーサではない。アンコールワットが建築としてのヒマラヤへのあこがれ、遠い希求から生成したような世界の屋根と呼ばれるヒマラヤを巡ろうとするモノではない。その正反対のミクロネシアを中心とする海洋への旅になるだろう。モノという言葉の起源はマナであるらしい。日本の古代万葉語の研究者から開き、わたくしなりに調べて、どうやらモノの故郷は海洋に在るらしいのを知ったのである。そこに向けて書き続ける

2014年5月16日 石山修武

工作ノート22

MAN MADE NATURE ランドスケープスタディ02


MAN MADE NATURE(工作ノート21)ランドスケープスタディ01に示したドローイングはこのまんま連続して展開してもそれ程の意味はない。スケールアウトする有機体への自己陶酔とまで卑下はしないが、自分でもおやおやと思いかねぬ地形のようなモノを描いているだけである。では何故こんなモノをウェブサイトに公表するのかと自分に問えば、でもこれは何がしかの人々には役に立つだろうと信じたいからである。

このドローイングは地形に似せた自然の擬態の如くを示しているに意味があるわけではない。

意味=価値があるとすれば天空の様相が地形の如くの重いシェルターに映り込んでいるのを描いたところにある。

そのことを手を代え品を代え述べるよりもこの意図的なスケールアウト状態=天空の様相が地形に似たシェルターの表面や、内部に反映している状態を重要だと指摘している事だが、この考えをより日常的なスケールに移動させてみる。あるいは連関させる努力をする事を先ず試みる必要がある。そうしなければ誰も解らないだろう。いくらブルーノ・タウトのアルプス建築を引いてみせたってそれは同様な水準に止まるだけなのである。同様な水準と言うのは赤裸々に言えば批評らしきの形を借りて自分自身のスケールアウトする想像力を人々に押し付け、あるいは優位を誇るの愚を犯しかねぬ。大方の現代建築家の解説らしきが無価値なのはその辺りにある。


そんな愚を犯さぬ為にも、このスケールアウトしたドローイングを日常生活に身近なものに引き寄せたい。

それでスタジオGAYA工作ノート9のドローイングを振り返りたい。特にGAYAスタジオTOILETと記したドローイングを自身でも注意深く視入ることにする。

この工作ノート9のドローイングは世田谷村に今施工中のスタジオGAYAの小建築である。開放系技術に対する考え方が良く示されてもいる。

そして大事なのはこの小さなシェルターが金属の壁に差し掛けられていることだ。この差し掛けは古くはピラネージの銅版画、ローマ街道に示されていた光景であり、より近代に近くでは松浦武四郎の一畳敷他の自立させずに他の何者かに立て掛ける、つまりは差し掛ける状態を言う。(この間のことは石山修武・中里和人共著『セルフビルド』(交通新聞社)にすでに述べているので繰り返さない。)

工作ノート9に示した小シェルターの図は開放系技術世界を示してはいるが、マンメイドネイチャーと言う程の世界には届いていない。

それを自覚したので工作ノート21のドローイングを描いたのである。そしてまだまだこれだけは不親切を通り越して独人よがりをそしられようから、GAYA工作ノート22と番号を付したドローイングを制作した。

世田谷村スタジオGAYAに今度こそは明らかに密集させ、つまりは差し掛けた状態の併存が示されている。

寄生についての素朴な思考はわたくしの処女出版であった『BARRACK浄土』に、先ほど述べたピラネージのローマの廃墟に寄生するバラック建築への注目の中で書き記してある。考えてみればバラック建築は何を隠そう開放系技術の真の価値である、人間の自由ということへのモノからの発想、あるいは手掛かりでもある。

GAYA工作ノート9及工作ノート21、そして22のドローイングは重要である。それ等は決して美しさを目指した表現ではない事も意識している。つまりほとんどが意味=価値の変容をベースにしている。

この世界がわたくしにとっては、これからの現実、すなわち建築世界の可能性である。

2014年5月16日 石山修武

工作ノート21

MAN MADE NATURE ランドスケープスタディ01


バウハウス大学のルーフライトギャラリーで持ったMANM MADE NATUREを主題とした考えを絵にし始めないといけないなと考えて5月15日早朝にやり始めた作業である。

スケッチするのはなかなかむずかしい。

ましてや、定かになったクライアントも要求しない段階のWORKは実にとりとめもないのが正直なところだ。

でも、しかし、この類のWORKを持たぬと自分で自分が信用できぬのである。

信用と言っても、こんなスケッチばかりを描いていたら、それこそ逆に社会からはあんまり信用されぬだろう事も知っている。

中国ですすめている満覚路上山庄の町のスケッチとは実に対照的なスケッチである。

でも我ながら驚いてもいるのだが、中国のプロジェクトで考えていることと、このスケッチには通底するものがある。中国の仕事の基本骨格は竹林の遊びであろう。江南の竹林の七賢人の故事に表されている如くに、人間のあらゆると言い切りたい営為の根底は、営利と遊びとの間の緊張にある。特に建築的営為(わたくしの場合は建築設計である)においてはそうだ。

中国の仕事の場合、考えている建築群のほとんどは直角という社会的定理に律しられ、当然自分で律しようとしている。

でも直角の群だけ、組み合わせだけではクライアントの考えや夢を実現することができない。そして当然わたくし自身のささやかな夢も又。


このスケッチを描いているうちに考えざるを得なかったのはヒットラーのナチズムから亡命せざるを得なかったブルーノ・タウトのプロジェクト「アルプス建築」であった。描き始めてからそれに気がついた。

描き始めのスケッチは自分でも困ってしまう位の異形振りである。しかし、それではイケナイの批評が当然生まれる。描くのと同時に筆や色鉛筆の線を否定しようとする。

それで、アルプス建築の天空の表情のように曼荼羅の如くの五色七色の色光がその自分の異形を消そうとし始める。その瞬間の今の思考ともいうべきが我ながら面白い。

天空と大地の表情というには大ゲサであるが、紙上の表情そのものが「MAN MADE NATURE」なのだと言うことに気づいた。

思いもかけず、大事なスケッチになるやも知れぬが、まだシリーズとして続けられるかどうかは知らぬ。

2014年5月15日 石山修武

工作ノート20


満覚路上山庄計画
この地方の文化特有の庭園の形式を計画に反映させようと悪戦苦闘中である。庭園とそのスケール感に対する私の素養の無さが否めないからである。このスケッチは日時計という時間の動きの概念によって制御された庭とは別の体系で、長城の如くに重量のある長い長い楼壁が持ち上げられて空中を横断していく造型を考えようとしたものである。

星の子愛児園増築計画
この建築の最大の特徴は高速道路の法面を形成するために開発されたファイバーソイル緑化ステップ工法を用いた草屋根である。

人間がわずかに可能な範囲でコントロールした草よって出来るだけたゆやかで、伸びやかな屋根を作り、その土の下に保育園の小さな歴史を仮想的に隠したいと考えた。

そうして増築棟は既存棟の正面の「顔」を覆い隠すように計画され、時差を持った新旧の二つの「顔」が重なった建築になる。

2014年5月15日 渡邊大志

工作ノート19


満覚路上山庄計画 茶館、1階2階の内部茶壺収納棚の考え方のスケッチ

いささか古典的に過ぎるが、飲茶の真奥は茶の様々、つまり色、香、味、風格の中に、より茶そのものと離れた世界を感得するにある。唯物、即物を超えた世界への没頭、すなわち自身の想像力そのものへの没我にあろう。

それ故に先ずは壷中天の古典的故事、つまりクリシェを形にしてみた。

2014年5月14日 石山修武

工作ノート18


満覚路上山庄計画の一部である。街並みの設計をするのは建築家にとっては稀な事である。それ故に面白い。単体の建築デザインに取り組んでいる時には得られぬ問題に対面できる。この計画は巨大な庭園計画でもある。中国人の庭園に関する考えは、日本人のそれとは随分違う。市井の隠の言葉(思想)があるように、都市という人工物も又、自然なのであるという、これは膨大な歴史の厚みに裏付けされているであろう考えがある。

竹林の遊びも又、自然を外から観ようとする日本文化とは微妙に異なる。そして、超観念とも言うべきが市井の隠の思想だ。この考えは人為の歴史の分厚さを持たねば手中に出来ぬものであろう。それ故に、この計画を考え進めるダイゴ味も又、そこの周辺にある。建築と部屋との内と外の関係、そして更に建築と都市との内と外との問題が浮き上がってくる。

2014年5月13日 石山修武

工作ノート17


満覚路上山庄計画の一部

子供のためのシェルターについて

星の子愛児園増築計画の一部

いくつかの部分について検討を試みている。プロジェクトを横断してその作業が積み重ねられ、それぞれのアイデアが伝搬し、あるいは別のプロジェクトの中で浮かび上がってくることもある。

中国杭州の満覚路上の計画では、計画内にいくつか生まれる曲がり角、突き当たりのデザインをより考えをつめていかなければならない。前回の簡単なパースで示そうとした、敷地内における連関する造形言語の断片の配布を念頭に置いたとき、ある一つの場所のスケッチを進めればまた他の部分のデザインも変化していかなければならない。その作業は蜿蜒たるものであるが、非常に重要な時間でもある。
併行している星の子愛児園増築計画の小さなスケッチも最後に付したが、この建築の中で考えようとしているこどもとお母さんが歩き通り抜ける道あるいは廊下と、一方の杭州満覚路上山庄計画における露地空間とは、やはりなんらかの共有した核なる部分があるようである。

2014年5月13日 佐藤研吾

工作ノート16

満覚路上山庄 茶館計画

この計画のクライアント集団は江南文化の原型でもある「竹林の遊び」を中心に集まった人々である。彼等は現在、西湖周辺の美しい自然の竹に彼等自身の遊びの場、すなわち自前のサロンを所有している。

美味なる茶を喫し、ワインを楽しむ。

そんな彼等が自身の手で考え出し、実現に向けて動き出しているのが満覚路上山庄計画である。そしてこの茶館計画はその複合集合住宅の中の、謂わば竹林の七賢人とも呼びたい彼等の遊びの中心のひとつでもある。

屋上階に木造の茶館を持ち、地上1階2階は高級レストラン、地階はワインBarを想定している。

過日、中国スタイルの茶の会に参加する機会があった。日本の茶席とはいささか異なるものであった。驚く程に多様で豊穣な茶が供された。

日本に茶を中国からもたらせたのは、禅と同じに栄西であった。京都にある黄檗山萬福寺の禅式の食膳がそれに近いと言われている。

しかし、日本の今の茶文化と、そのオリジナルであると言われる江南の茶は遠い。その遠さを一言でいう力はわたくしには無い。

いただいて、一番驚き、かつ美味であったのは虫喰いの茶の葉だけを集めて煎じたものであった。

何とも言えぬ奥深い、いわば有機性=生命性を味覚から感じさせられた。

かくなる「茶」は中国では大きなビジネスの一端を担う。食の中国の背景を作り出しているものでもある。

2014年5月12日 石山修武

工作ノート15

満覚路上山庄計画 東側住戸付近のスケッチ

計画敷地の東の部分に配置される住戸とその正面のオープンスペースおよび対置される長い壁のスタディスケッチである。素材はもちろん、それぞれの部分的な造形を計画内にどうように配布すべきか、そして連関させるべきか。それこそ部分と全体の両面のスケールからの検討が必要である。

2014年5月12日 佐藤研吾

工作ノート14

5月10日 早朝のGAYAの土間
春の朝の光が作ったばかりのスタジオGAYAの土間に差し込んでいて、美しいので記録した。もうすこし季節が巡ると光も又、いささか暑く感じられるから、今が一番良い光なのだろう。

石山修武

工作ノート13

星の子愛児園に計画中の増築棟の建築は、大きな草屋根がポイントである。そして、建築の足元には保母先生や子どもたちが大切にしてきたビオトープがある。
必然的に、草屋根に降った天水をこのビオトープに導く雨トイのアイデアが生まれた。どうせデザインするなら、雨トイ自体も立体的なビオトープになるようにしてみたいと思った。
主材料は既製品のフレキシブルダクト320ミリ直径、5mものを2本想定した。
螺旋状に5ミリ直径のアルミパイプの芯が入ったビニールダクトは、ビニールを部分的にカットするとバネ状にその部分だけが垂れ下がる。その箇所をビニールハウス用のパイプで吊り下げて固定すると、水が流れるときの重みや風によって全体がゆらゆらと上下に揺れ動くだろうと想像した。
この立体ビオトープは独立させて、パイプの足元を水タンクで仮設的に固定すれば子ども用のシェルターとしても使える。
工作ノート5で草屋根と大地をどうつなぐかの雨トイをデザインしないことが理解出来ない、と記された挑発に乗っかったかたちにもなった。

2014年5月10日 渡邊大志

工作ノート12

スタジオGAYA新事務所の外観と、子供のための小さな部屋ユニットのデザインスケッチ。それぞれ引き続きビニルハウスのダクトパイプを使った機構を考えている。
単一のプロジェクトにとどまらせずに、異なるものに派生・展開していくアイデアの汎用性もまた今回は肝要なところである。

星の子愛児園増築計画における内部廊下の角のデザイン

星の子愛児園増築計画 天井の姿図

2014年5月9日 佐藤研吾

工作ノート11

昨日施工した、GAYA新事務所の道路側外壁下に並べた瓦に今朝水をかけて写真を撮影した。瓦は水によって黒々とテカりを帯び、下部に施した海鼠壁風のモルタルのもっこりとした出っ張りもまた光沢を放っている。
これで雨の日も面白い風景ができるだろう。上の建物から流れ落ちてくる雨水が地面で跳ね返るその瞬間、良い背景となって浮かび上がってくるかもしれない。既に在った道路際に生えている小さな下草と黒石のラインも含めて、デッキプレートの金属の堅い質感にも柔らかみをもってつながりつつある。

2014年5月9日 佐藤研吾

工作ノート10

2014年5月8日、快晴の朝8時半から夕方5時過ぎまでStudioGAYAの地下擁壁と1階土間のコンクリート打ちを行った。 人工は、石山、市根井、佐藤、私の4人である。

前日の型枠、配筋、そして今日の手捏ね調合のコンクリート工事の全ては私たちの手仕事によった。 午前中は地下擁壁壁の打設。セメント、砂、砂利を1:2:4の割合で3X6尺板ほどの大きさのプラスチックのフネ(容器)の中で撹拌していく。 水はセメント比20〜30%ほどであったか、少し固めのコンクリートを数回に分けて打設した。 午後は主に1階の土間コンクリート打ちで擁壁ほど強度を必要としないため、配合を1:3:6として水も多めに入れて撹拌する。

全てのコンクリートは手捏ねであったから、終わる頃には腕と腰に効いてきてなかなかの重労働であった。 実は、それもあって後半の土間コン工事は擁壁と配合を変えたのもあった。私たちは知識として水セメント比を習うが、要するに水が多いと楽なのである。

自分たちの事務所を巡る環境を日々の生活の中でスケッチし、それを実際に自分たちで作ることとか、市根井さんという大工さんが専門の木工事のみならず 配筋工事、コンクリート工事、古材である瓦埋め込みの仕上げ左官工事までやることの意味とか、色々な意図もあるのだが、何しろ手捏ねコンクリートの重みの感触だけが私の腕に残っている。それだけでふと「ひろしまハウス」の建設現場とウナロム寺院の匂いが思い起こされたこともまた事実である。

2014年5月8日 渡邊大志

工作ノート9

2014年5月7日 石山修武

工作ノート8

2014年5月6日 石山修武

工作ノート7

2014年5月6日での案


2014年4月16日での案

星の子愛児園の増築棟の天井の姿を検討している。諸室の配置、および重要となる廊下の角地の位置を考慮するのはもちろん、室内で子供たちが眺める風景として天井がどのような印象を与えるかもまた重要である。<6>で述べた、素朴な造形の如何がここではより展開しなければならない。今はすこし不自由である。

2014年5月6日 佐藤研吾

工作ノート6

引き続き、昨日見に行った家だが、あれはどうも宮崎駿率いるスタジオ・ジブリの建物であるらしい。ジブリで草屋根と言えば、まず天空を浮かぶラピュタであろう。社会に対する、環境世界に対する言説はともかく、彼らの感性は非常に信頼できるところがあるのは確かである。ラピュタはその人工的機体が土と根によって大部分が隠れている。最後はその人工的部分は瓦解して、大樹だけが宇宙へと飛び去ってしまうわけだが、三鷹のこの家の屋根の上ではいくつか煙突のようなものがポツリと、周りの草草に申し訳なさそうに土の上に顔を出している。屋根上の草の大地まで建物の内部の空気を流しだしているのである。屋根の上の草からすれば、下の建物内部は地底世界だろうか。とすれば内部の天井は大地の裏を眺めていることになる。正直すぎるほどのアナロジーではあるが、草屋根の素朴な印象にはそんな遊びのような感覚がデザインに入り込むべきでもあるだろう。

2014年5月6日 佐藤研吾

工作ノート5

三鷹の井の頭公園近く、玉川上水沿いの所に大きな草屋根の家があった。土の厚みは少なくとも30センチはあろうかというくらいの、まさに大地を背負った家である。
上に生えている草はほとんどが雑草である。風の向きにも依るのであろうが、屋根の上の場所ごとに生えている草の種類がみな違う。南に向いた所にはネコジャラシが茫茫と生え、少々日影の場所にはヒョロリと背の高いタンポポが点在し、北側にはいくらかの低木もこっそりと生えていた。もちろん人が作ったものではあるが、そこには一つの小世界が広がっていた。

建物自体は木造の二階建てである。メッキを施した屋根の上にスポンジのような目の細かいジオテキスタイルと思われるメッシュの層を載せ、その上に土壌が被さっている。端部は荒目の網で土壌の崩落を防いでいた。よく見ると側面のメッシュの隙間からは草の根や、細かなコケが溢れ出してもいる。その下には雨樋が水平に取り付けられ、雨水を集めて下に流されている。この雨樋は、はっきり言って工夫が足りない。せっかく生きた大地を宙にあげているのだから、その浮かぶ大地と下の地面との間を繋ぐ要でもある雨樋のデザインは最大限の注意をはらうべきであろう。それはこのような建築においての一つの儀礼だとも思える。
現在、スタジオGAYAでもこうした草屋根の実現をいくつかのプロジェクトにおいて検討している最中であるが、当然にデザインの根幹はそうした水の流れであり、人間を含めた自然の循環系をどう組み立てているかにある。

日本においても最近になってソーラーパネルを載せる家が増えてきてはいるが、草屋根をどっしりと載っけた家は東京ではほとんど見たことがない。今回が私は初めてである。こうした特別な風景を作り出しているこの家のような試みが、断熱性能や緑地率といった数字で表れるものではない可能性をどこまで持つものなのかを、実践を通して深く考えてみようと思う。

2014年5月5日 佐藤研吾

三鷹の草屋根の家について

草屋根を小規模に展開してみる

工作ノート4

STUDIO GAYAのオープニング展覧会用の入り口看板のデザインの考案である。
2008年世田谷美術館での「建築が見る夢」展内に出現させた特設の事務所に掲げた江戸風案内板を再利用して作りたい。
通りに面しているので、普段の事務所の日々の情報を出す瓦版としても使えるだろう。

2014年4月26日 渡邊大志

工作ノート3

※この案はなくなった。

毎朝、この世田谷村まで来るのに新宿から京王線を使う。新宿駅は通勤・通学者で溢れ帰っているが、こちらの方面に乗り込む客は驚く程少ない。世の中は大ラッシュであっても私自身は非常にゆったりとした移動時間を過ごしている。
現在このページに書き記しているSTUDIO GAYAの新事務所の部屋はまだ仕上げの床を張ってはいないが、どこかガラガラの電車の中に似ている。都心から、郊外へ向かって走る朝の電車である。電車のビラビラと掛かる広告を全て取り外せばよりそう思える気もしてくる。

前回の、および今日の午前中の打ち合わせによって、地下を含む各階でのおおよその使い方と床の仕上げ、および各開口部の仕様が定まった。一階は打ち合わせスペースと展示スペース。床の下地をあまりふかさずに、既存の様々なマテリアルが接合し重なってできている床のレベル差をそのまま生かしながら、スギの30mm厚の足場板を敷いていこうと考えている。二階はスタッフの作業室である。二階も同様に床となっているデッキプレートにスギの厚板を並べる。
地下にはすばらしいテラゾーの床が既にある。薄暗い中でもはっきりとその質感が感じ取れる場所である。そこは模型制作室として使う。確かなマテリアルが身近に在りながらの制作作業は自分にとっては非常に有り難い。

二階の開口部については再度検討を要する。前回の投稿の通りビニールハウスの妻面のアーチパイプを木枠にはめ込んだユニットを想定していたが、ここでは換気や採光を含むより実際的な使い方に即した機構が必要となっている。そこで、アーチパイプの案は取り下げ、現在の開口いっぱいにジッパーによって空けられるビニール製の膜を取り付けるように変更する。遮光スクリーンあるいは防虫スクリーンも一部取り付けてダブルのスクリーンとすれば、冬にはいささかの保温も期待できるだろう。

2014年4月25日

工作ノート2

朝、庭より来月事務所となる場所を眺める。デッキプレートが無骨な表情をみせている。手前には、草木が茂り、壊れかけたようなストーブもゴロンと置かれている。
朝とはいってももう9時過であったから、光はなかなか温かい。日陰となっている部分にまで少しばかりの温かさが伝わってきていた。
新事務所の内部の構造はは床壁天井ともにデッキプレートである。だからおそらく夏は暑く、冬はいくらか寒くもなるのだろう。その中で大工・市根井氏の手を大きく借りながら、内装の工事を進めていく。

図は二階のテラスと室内を仕切る開口部の仕組みを描いた略図である。デッキプレートの凹凸を利用しながら、そこにはめ込まれることができるような扉のユニットを検討している。ユニットは木材のフレームに農業用ビニールハウスのパイプをはめ込むことで構成する。木材のフレームはデッキプレートの凹部分にはめ込み、クサビでもって固定する。

部材と部材がそのまま当たってバラバラのままに立ち上がっているそんな姿をここでは目指すべきと考えている。

2014年4月23日

工作ノート1

4月22日より世田谷区南烏山の世田谷村に通うこととなった。写真はその途中の道である。
この道はマンション開発予定地の中にある。石山修武研究室・STUDIO GAYAのいささかの運動によって平日の昼間のみ人々が通れることになった時限付きの道である。
私もこの道を通って今後仕事場に通うこととなる。
とはいえ、仕事場はまだ本格的な整備ができていない。そこでまずはこのページにSTUSIO GAYAの事務所本格開設のための作業記録をここに公開していきたい。画像は前橋の大工・市根井立志氏との交信の一部である。

自分自身の居場所を作るわけであるから施工には当然関わっていきたいと思うが、市根井氏に依頼する仕事と自分の作業とがどのように折り合っていけるかがまずは肝要なところである。
自分の身の回りの環境を作り出すのに尽力する姿勢においては、先の開発地に道を通すことも、この事務所建設の作業もほとんど変わりないものである。

2014年4月22日