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2017年 4月
浅草仲見世伝道院前で写真展を行う山田脩二氏
12月7日水曜日
朝から明日のミーティングの為の来年上半期のスケジュールをメモする。上海、新葉古村近くの、やはり見事な旧集落(村)の再生プロジェクトのために来年一月に上海に行く予定で、それを中心に建築の仕事は廻してゆくつもりである。プーラン族の為の集落計画は「茶」の価格が暴落気味で、だいぶん建て直すのには時間がかかりそうである。が、あきらめないで待とう。それだけの価値がある計画だから。
「フクシマ計画」は先ずは三月の第二回展覧会用に計画の根本と言うべきを描いて、彫り込んで見る。昨日、大判を一点ほぼ彫り上げたので、それを更に展開してみる。うまく展覧会の作業と諸計画が連関してくれるのを祈るばかりである。
午後は詩人の小林澄夫さんと世田谷美術館へ。再び出向く。どおも小林澄夫さんとの展覧会に不安を感じている。小さな展覧会ではあるが、わたくしには大事なモノであり、無駄と失敗は許されない。言葉と形の落差は巨大だ。
それで、この二人展はもう少しばかり作家を増やしての小さな集団展にしたいと、考えが煮詰まってきた。広島の木本さんを含めて数人の合同展にしてみる。小集団になれば更に「主題」が明確にならねば、低劣な水準のモノになりかねぬ。
これ迄に作成した銅版画の「物語り」そして「フクシマ計画(庭)」とバラバラになっても良ろしくない。思案のしどころである。
恐らくは、詩=言語が俗な世界の主座からすべり落ちているのは歴然としている。それは余りにも発するに容易であり過ぎるから。厳然とした、物(ブツ)の世界に太刀打ち出来ないのだ。「物」の根拠は要するに「銭」の働きの中枢である。要するに、唯物論をいまだに信奉する手合いの中枢は「商売」に過ぎない。「理念」はすでに地に落ちて、ドロにまみれている。要するにイデー(カント)は商売の衣にくるまれているのである。当然、わたくしもその商いの現実の中に居る。それは歴然としている。
「東北地方」の太平洋岸に属する場所の「土地の価格」の大半は限り無く、0(ゼロ)に接近している。日本の近代の経済の営為の中心は土地価格の変動である。しかるがゆえに、ここに於いて極めて限定的ではあるが、資本主義=唯物論はほとんど初めて異常な事態に出会っていると言わねばならない。
12月8日木曜日
7時離床。すぐに金属オブジェクトの組み合わせに取り組む。ミリ単位の仕事で、しかも立体が複雑にからみ手間取る。9時15分修了。