『境界線の旅 石山修武画文集』より
先年この地域にもマグニチュード6.5〜7の大地震があったそうだ。レンガ造他の家々は皆壊れた。木造建築だけが残ったのだ
との事。それがきっかけなのではないか。プーラン族の集落再生計画を考え始めたのは。プーラン族の伝統、民俗学と現実のギャップ
をリーダーが考えたのは。それは歴史学の学びからであったのだろう。
そしてそれの実現、つまり民族の歴史を再興しようとする意志は自然の恵みとしかいいようがない茶の生産、そして近代的な流通から
得られた金(経済)から生み出された。マルクスの言うアジア的生産様式はともすれば永い永い停滞だけを意味した。しかし、高地人、
山岳少数民族プーランはそうやらその枠には収まり
切らないようだ。この地域が遠くから建築家を呼び寄せる程の富を得たのは奇跡的なことである。本来建築家は余剰な富が生み出すモノであるから。
民俗、そしてその歴史とは無縁な存在でもある。
しかし、彼等=クライアントは近代的な茶ビジネスで富を得た。そして最大の奇跡は得た富を再び民族、あるいは民俗へと
還元しようとする意志を持つ人間が出現した、その事ではなかろうか。
このことはほとんど奇跡であろう。人間という生物は何がしかで得た富を決して他者と再配分しようとは考えないモノである。
何故、山岳少数民族の中から、そのような考えが生まれたのであろうか。
中国雲南省の山岳少数民族プーラン族の伝統的民家は耐震的には日本の中世の大仏様に近い貫(ぬき)が多用されているのが特徴である。日本の大仏様は俊乗坊重源が南宋より持ち帰ったの伝えがある。
タイトル代わりの絵は集落で、わたくし奴がスケッチしている姿を、中国深圳で出版、書店経営している女性WEI.魏さんが描いてくれたドローイングを使わせていただくことにする。Wei.Ziさんはとても積極的な人でプロジェクトのアドヴァイザー的立場の人でもある。
このドローイングは山の上の「茶魂台」にて夢中になって山に座り込んでいるわたくしの姿である。
石山修武
佐藤研吾
渡邊大志
The sketches are the Gate of Hoshinoko Kindergarten.
Finally we chose the sketch no.4.
星の子愛児園別棟エントランス部分
星の子愛児園別棟2階保育室部分
1月14日ONする4点のスケッチはわたくしの30年昔に考えていた事。そして15年昔に考えていた事が入っている。
それで、一気にこの10年を考古学的な手つきで表現してやれと考えた。10年前のわたくし、あるいは我々は今のそれではない。その時間差こそ、善し悪しは別として今の建築文化の中枢じゃあなかろうか。それで時間のギャップを示す建築地図を示してみたいと考えた。
作品no.18「再生2013建築」
作品no.17「再生2013お化けが出た」
しかし、今問題にしたのは大美術家となった堀尾貞治の作品をゴミの如くに扱った作品録18「再生2013建築」ではない。
堀尾貞治の作品はやはりと言うべきが、どうせようなるにちがいないと思っていた通りに、やっぱりハイアートの世界にからめとられて、それなりの
ヨーロッパ中心の美術マーケットの基準にもピッタリカンカン合ってきてしまっている。だから堀尾貞治の作品はヨーロッパを中心とした
ハイアート、マーケットでは今や、引く手あまたの引っ張りダコでもあり、「飾りのついた家」組合作品録18「再生2013建築」で使わしていた弁当箱状のオブジェクトなども、こんなゴミみたいな扱いをしなければ、つまり美術館の飾りモノにしてしまえば、それなりの値段もつき、異常な値だってついてしまうモノとなったのではないか。
しかし、わたくし奴はそんな不条理がバカ臭く、いやで、このゴミ的作品では、あいも変わらず具体派の重要な作家の作品をば
ゴミ状にあつかったのである。
でも、作品18よりも、作品17のほうに、わたくし奴は、あるかないかも知れぬ。何やらアニミズム的可能性を感得している。
この「飾りのついた家」組合作品録17「お化けが出た」の妙な感じは、今、施行中の「星の子愛児園増築」の隠れて自分自身にもなかなか
見えぬ枠組(思考の)を示しているのではないかとある日気付いた。最近の事である。
この体験には自分でもいささか驚いてしまった。しかし、自身驚くくらいなのだから、わたくし奴には大事な小事件であるのだろう。
それで、建築のページ2を書いているのだ。
今、工事が進行中の「星の子愛児園増築」のエントランスの柱のスタディである。
この建築のエントランス部分は公道に面していて、しかも朝夕の人の通りは多い。沢山の人の眼に触れるところでもある。
今、現在の図面にはつまらぬ機械的な柱が描き込まれている。屋根の造形に意を配り過ぎたアンバランスがそこに露出してしまっている。
通り過ぎる人の眼や、園に通う子供達、そしてお母さん達の日常の視線にも、耐えられるようなモノ=デザインがどうしても欲しい。予算も決まり追加デザインの金は無い。が、しかしそれであきらめてしまっては建築にはならない。色々と工夫すれば良いのだ。そのために「保育園を新しいかたちで作る会」だって立ち上げたのである。
でも、先ずは自分自身の気持ち、作る気持ちをふるいおこさねばならない。
南方熊楠のコケ、粘菌の世界が生み出そうとしていた一種の奇跡であった。
このマタグラを人工的に作れないかがこのスケッチである。
木本一之には「ザクロの街燈」と称した作品を4点程作成してもらったが、それを繰り返した。
それに構造設計家の梅沢良三のアイデアを組み合わせたものだ。コンクリートの基礎にブカブカのスリーブ穴を開け、それに鉄の柱を掘立て柱として突っ込むというアイデアである。
2014年9月25日、これから建設が始まる星の子愛児園増築棟(神奈川県・川崎市)の地鎮祭を開催いたしました。
工事関係者はもちろん、園の子どもたちや保育士の方々にも御参加いただき、大変盛大なものとなりました。
2014/09/26