ひろしまハウスINカンボジア
ワークス・フォー・マイノリティ
掲載雑誌:GA JAPAN No.47

 

2001

2001 5/17 - 5/23 ひろしまハウス建設ボランティアツアー

「ひろしまハウス」の目指すもの 石山修武
HIROSHIMA
「ひろしまハウス」をプノンペンに建設中である。依頼主は広島市民。設計と一部の資金集めがわたしの役割。工事は現地の渋井修さんが担当してくださっている。渋井さんは今は還俗しているが前は僧侶であった。この仕事は広島市民とカンボジア市民との市民同士、個々人の付き合いから始まったものだ。それが次第に膨らんで、広島の原爆被災の歴史的体験を今のカンボジアに生かせないのかということになった。ポルポト政権による巨大すぎるアクシデントによって、プノンペンも廃墟になった歴史がある。そんな共有できる歴史がベースになったのかもしれない。ともあれ広島カンボジア交流会の人々が中心となって、「ひろしまハウス」は建設されていた。一階の木工所までできたところで、わたしは駆り出された。
この建築の特色は、わたしが考えるところのアジア的性格を備えているところにある。まず第一にいわゆる機能が未分化であること。一階は木工所である。カンボジアの少年が訓練を受けて木工職として育つような場所として作られた。二階は宿泊施設と集会所。たとえば日本人観光客のアンコールワット見学のためのプノンペンでの足掛かりになるように考えられている。建築を作るのは容易だが、それを良く使い、生かすのは難しい。特にアジアでは自力で金を稼ぎ出す必要がある。それで二階はホテルにした。三階は広島の原爆資料館になる。一部に前広島市長平岡敬記念文庫が設けられる。この建築全体は、広島の人々の歴史的体験を生かした平和スクールとして位置づけられ、平岡氏がスクールの初代校長であるからだ。でき得れば、プノンペンの戦争博物館の一部を三階に混在させたいと考えている。ポルポトによる悲劇と広島のそれとは同じ性質を持つからだ。古今東西を問わぬ人間の集団としての愚かさである。四階は天井の高い三階の一部に設けられたロフトで、孤児たちの宿泊施設になる。原爆資料館の吹き抜けに子供たちが棲みついてしまう図である。このようなことは近代化を成し遂げてしまった地域では不可能なことだ。不必要に高度に管理化された制度がそれを許さない。それゆえこの考え方の実現はアジアからの近代批判として、ささやかなものであるが提示される。
第二に建築することの自由が挙げられる。土地は仏教寺院ウナロムの境内にある。王宮シルバーテンプルの隣地であるが大衆のための大寺である。建設を指揮監督するのは先に述べた渋井さんで、建設会社ではない。かつて僧侶は建築家でもあったことを彷彿とさせる風景がここにはある。現場には現地の職人に交じってわたしのスタッフや学生たちも参加するから、ここには専門職の未分化な非近代状態が歴然と出現することになる。
第三に、この建築は恐らく未完の状態を続ける特色を持つ。完成しない聖堂の代表はカタロニアのガウディによるサクラダファミリアであろう。この建築はあのような大伽藍ではない。ブッディズムが本質的に目指した、何もない状態を目指した簡素なものである。しかしながら未完を目指すのだ。なぜならそれは廃墟そのものの再現が企てられているからだ。広島がかつて体験した廃墟、そしてプノンペンが最近遭遇した廃墟がそのまま建築化される。それゆえここに建築は永遠に未完である。未完の状態のままに人々は棲み始める。そこには新しい形の自由が表現されるに違いない。すでに工事中の現場の一階の木工場は働き始めているし、ホームレスも一階のひさし下で暮らし始めたと聞く。排除してはいけない。ありとあらゆる現実を受け入れなくては ならないのだ。アジアでは。
水浴場や台所、そして便所、いわゆる水まわりの建築は聖なるストゥーパの形をしている。第四の性格としてブッディズムそのものの基本を空間として表現していると言いたいところだが、まだまだ、そんな自信はない。
ひろしまハウス通信(広島版) より

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ひろしまハウス建設センター広島本部

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