編集雑記
2/5 ワークス・フォー・マイノリティ
研究室の幾つかのプロジェクトが 「マイノリティーのためのデザイン」という括りとして明確にされ始めたのはもう3・4年も前からである。

以前から身体の一部が動機になったプロジェクトはあった。 耳岩の家('99)や耳の劇場は聴くという身体感覚を形にする試みであった。身体への関心が身体の多様性、その身体と関わる空間という方に向かったきっかけが何であったのかは石山本人のみ知るところであるが、最初に身体の悲劇と建築というテーマを示したのはひろしまハウスとツリーハウスが進行し、十勝の塔の計画を始めた頃であると記憶する。

ひろしまハウスは2つの歴史上の悲劇的事件を体験した広島とカンボジアの交流から生まれたプロジェクトであった。それは身体的苦痛を伴う理不尽な体験を、正に生き延びてきた人々の為に建築が何をなし得るかの一つのヴィジョンとなることを目指して始まった。
これと並行して進められた2つのプロジェクトは更に直接、身体の機能の欠如・障害に対する具体的な答えを求められていた。ツリーハウスは車椅子の人が森林体験をする為の建築であり、十勝ヘレン・ケラー記念塔は視覚障害者が自然を体験するの為の建築としてそれぞれ、ある意味では限られた人々を対象に特殊な環境を作り出すことが主題として与えられていた。これを身体の悲劇と建築と題して捉えていた。

いつもこうしたプロジェクト同士というものはダイナミックに連動し、その時代の流れと相まって一つの大きな視点を我々に与えるものである。ここではある種の不自由さ、特に身体に関わる不自由さに対して空間をどのようにデザインするか、建築というモノがどうあり得るかを考えることになる。どれも、ある限られた人々のためにデザインすることでその人々が持つ不便さであるとか不自由さであるとかを少しでも無くしていったり、ある時はそれが有利に働くよう昇華したりする事がどういうことであるかを考えねばならなかった。
そしてプロジェクトの進行と共にこのテーマは、「ある限られた対象のためにデザインすること」が実は深く「より多くの対象がデザインに於いて自由になること」に繋がっていくことを意識させたのである。
当然答えが出たわけではない。ひとつのきっかけを得ただけであって、それがどういうことであるのかをこれから考えていくのである。

・・・ TREE HOUSE、ヘレンケラー記念塔、上九一色計画、ひろしまハウスINプノンペン、の流れにようやく1つの径筋を発見しかかっているように思う。
「身体の悲劇」の連作と直感的に呼ぼうとしていたのだが、むしろこの連作は近代そのものの、その結果として近代建築の限界を自然に浮き上がらせる仕組として把えた方が生産的なのだ。近代的な計画概念は常に健常に想定された機能に対する諸物質の配置概念であった。20世紀を象徴する建築形式はオフィスビルであった。前世紀の帰結は高度に管理化された資本主義の貨幣の自由であった。貨幣の自由は人間生活の自由をはるかに超え、情報と共に今や国家の境界を越え、資本そのものの自在な体系を構築し始めた。オフィスビルはそのような現代資本主義の装置として表象されるものになった。ミ−スの鉄とガラスの建築形式はその貨幣の自由の装置として最も有効な抽象性を持つものとして多用された。貨幣と情報は共通する性格を持つ。それは極めて抽象的な性格を持つものだから、眼に視えにくいものだ。形が無いように考えられる。それ故にガラスの透明性に親近感を持つ。現代建築がその用途を問わず、大勢として巨大なパッケージ化の傾向を示しているのはそのような理由からだ。ガラスの箱の透明性は情報・貨幣の基本的な性格を良く表現しやすいのだ。それは貨幣・情報の強力な流通・交通性を表現しやすい。

  TREE HOUSE、ヘレンケラー記念塔等の仕事の意味は何か。それは近代の計画学、モダンデザインが避けてきた、非正常つまり異者の問題を主題にしていることだろう。正常は常にアウトサイダーを嫌う。均算化された正常にとってアウトサイダーは間違いとして眼に写るからだ。しかし非正常者の問題こそは本格的な多様性の問題でもある。近代が避けてきた問題は多様な生の在り方だったのではないか。機能主義、近代デザイン共に建築家をも含めた生産合理主義、つまり正常者の論理であった。その論理は広義な意味での生産合理主義であり、貨幣の論理でもある。
 TREE HOUSE、ヘレンケラー記念塔のデザインの意味は深くアウトサイダーの側に身を寄せ、多様性について考え始めようとしていることである。障害者の問題は又、ひろしまや上九一色村の悲劇の問題にまで辿り着く。正常者の中に潜む悪の問題である。日本が経済の問題に明け暮れていた時に、アフリカでは凄惨としか言い様のない、民族間の大虐殺が起きていた。人間は常に正常の衣を着た悪になり得る可能性を持つ。余りのノーマルさは常に多様性に対するホロコーストの役割を成しかねぬのだ。
 二〇〇一年に少しづつ姿を現わし始める、私の仕事は弱者に身を寄せようとしているのではない。より直接的に異者、アウトサイダーの多様性に加担しようとしている。
 アウトサイダーの多様性とは、別の系から攻めようとしている開放系技術の問題へとつながってゆく可能性を持つことは言うまでもない。
 建築家の自由を言っているのではない。建築家が自由であろうと、なかろうとそれは問題ではない。個々人の自由、個々に貨幣のアナーキズムに不自由になっている人間が、本来所有している多様な尊厳の自由のための道具を用意しようと言っている。(「世田谷村日記01年1月」 )・・・

そういった視点で見れば、 ドラキュラの家は同性愛のカップルのための住宅であるし現代っ子ミュージアム星の子愛児園では普段の大人の世界のなかでは少数派の子供が主体だ。今もそういったプロジェクトが幾つかある。そしてそれは「マイノリティーのためのデザイン」として提案されていくであろう。


1/24 プロダクト・フォー・マイノリティ
2001 年11月のA3秋期ワークショップでは石山の開放系技術論の一項目として「マイノリティーのためのデザイン」という考え方が披露された。

・・・ モダニズム(近代建築)は観念的な普遍を目指した。今日ではそれは形骸化した形式になった。コンピューターの普遍化を使用した、個別の建築を開放系技術は目指す。その入口は、マイノリティーの建築である。モダニズムの枠の外にあった、マイノリティーのための建築を考えることにより、モダニズムの限界を超える。
初期的作業としてドラキュラの家ツリーハウス現代っ子ミュージアムヘレン・ケラー記念塔ひろしまハウス星の子愛児園富士ヶ嶺観音堂計画を示す。それぞれ、ゲイ、障害者、視覚障害者、子供、死を待つ人、そして、大量殺戮された市民たちの記憶のための建築である。(「開放系技術とは何か」 )・・・

それは一人の車椅子の男性のこのワークショップへの参加から実際にスタートした。
七人のチームを作りそれぞれが彼の生活に役立つ道具について提案しようと、考え、議論した。身体に障害を持つ一人のためのたった一つの小さな道具を作る。それぞれが彼の動きを客観的に捉え直し、分析した。しかし一週間後誰もがこれという明確な答えを見いだせずにそのテーマの大きさと奥深さに愕然とした。
石山はこの一週間の成果を「これは一朝一夕に答えが出る問題ではない。そのことを認識できればそれを今回の収穫にすればよい。」と評した。これが難題であると同時にこれからも考え続けていくべき重要なテーマであることも確認し、ある手応えを持ってワークショップは終了した。

・・・ワークショップの収穫は他の何よりも慶応大学図書館千村君の参加と、彼の身障者としての空間の認識の仕方への考え方の深化だった。彼の考え方は開放系技術論の展開にとっても重要なものになるだろう。(「世田谷村日記01年11月」 )・・・

このテーマが「マイノリティーのためのプロダクト」というプロジェクトとして進みはじめた。身体の機能に直接関係する道具を考えることから出発し、どのように建築的展開を果たしていくのか。

プロダクト・フォー・マイノリティ

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