ひろしまハウスINカンボジア
ワークス・フォー・マイノリティ
掲載雑誌:GA JAPAN No.47

 

2000

ひろしまハウス通信
2000 年
『創り出す平和』に向けて - 前広島市長平岡敬氏に聞く

平岡氏は今回「創り出す平和」について考える旅の団長として一行を率いてカンボジアを訪問した。「創り出す平和」とは市長時代からの氏の平和活動を一貫しているキーワードである。
平岡氏が最近の講演活動等を通じて感じていることに、ヒロシマの原爆体験を語るということが以前ほどに人々の心に訴えなくなりつつあるといことがある。第一に被害者意識の平和活動では、世界で実際に起きている悲惨な戦闘に対しては力をもたないということ、そして、核廃絶を訴える日本が米の核脅威の傘下にいるに過ぎないということ、こうしたギャップのためだと氏は考えている。このギャップを埋めるということがひろしまアジア大会の目的の一つであった。過去の悲惨な体験を語りつぐだけではなく、現代の社会に訴えかける平和活動を行うという意味で「創り出す平和」という言葉を掲げている。そして、まず知ることが大きいと氏は言う。現代の若者に特徴的な、歴史に対する無知、リアリティとイマジネーションの欠如といった点を超えて、現在ヒロシマから離れた場所で起きている現実の悲劇がどういうものであるか、体験して知り、ヒロシマで語り継がれている話を自分の言葉で伝えていけるようにしていかなければならない。そしてヒロシマの記憶が再び世界に訴えかける力を持つことができると氏は考える。

平和探究者として
「私は自分を平和主義者ではなく平和探究者だと考えています」7月21日朝、午後に行われる総括討論会前の若年層を対象としたミーティングで平岡氏が最初に発した言葉である。氏は自分をこのように位置付け、これからは平和研究という学問が成立していくのではないか、と語った。氏はこのミーティングの中で何度か「闘うルール」について触れた。氏は人間が「本質的に闘う存在」であることを否定しない。しかし、何のために闘うか、また武器を持って闘うかが問題なのだと言う。闘うにはルールがあり、それは国際法で決められている。国同士の戦いは相手の戦力を失わせるダメージを与えることが目的であって、無用の苦痛を与えてはならない。無用の苦痛とは一般人に被害が及ぶことであり、また戦争が終結しても残る傷を与えることである。核兵器や地雷はまさにこのような兵器である。
現代では植民地支配や平和に対する罪というものが、国際的に許されなくなった。しかし、戦争の目的を超える兵器が科学によって可能になった時代でもある。1997年にはアメリカで臨界核実験が成功し、コンピューターの中で核兵器が開発されている。このことに脅威を感じざるをえないと述べ、核兵器の問題が物理学から哲学に及ぶ広範なものであることをふまえて、氏自身は「創り出す平和」の活動を通して平和を追求していく、と平和活動についての意志を語った。

石山修武研究室 菅恵子

7/10 ひろしまハウス in カンボジア 建設ボランティアスタート
ボランティアリーダー、プノンペン入
石山研究室のスタッフが、ひろしまハウス建設のボランティアリーダーとして、ツアーに先んじてプノンペンに到着した。彼は、ひろしまハウスの設計・計画の担当者であり、7/10にプノンペンに着くとすぐに、渋井氏と会談、日本語学校の隣敷地に建設中の現場を視察した。彼はプノンペンではこの日本語学校に滞在する予定。
目下のところ、彼はボランティアが到着する前に彼らが仕事を始めやすいように、現場で作業している。作業中、6歳の少年が近づいて来て、仕事を手伝ってくれたことが深く印象に残ったようだ。

お知らせ
7月18日プノンペン、ワットウナロームにて平岡・石山両氏は現地駐在の報道関係4社からひろしまハウスに関する共同取材を受ける予定

7/28 カンボジア視察完了 ひろしまハウス建設ボランティア
広島市民団体による「ひろしま・カンボジア平和体験ツアー」がカンボジア・プノンペンにて16日〜23日にわたって行われた。
15名に及ぶ参加者は16日広島空港を出発した後、17日プノンペン入りした。ウナローム寺院の渋井修氏や、ひろしま・カンボジア交流会に関係した地元の人々らに空港で歓迎を受けた後、ひろしまハウスを訪れた一行は、渋井氏や石山氏の説明を聞いて建設現場の二階から三階を一通見学した。その後、最初のレンガが平岡団長によって置かれた後、ボランティア一行は、ツアーのメインとなるレンガ積み作業にとりかかった。この二日間に渡る作業により、二階宿泊スペースの内壁三割程が積み上げられた。

8/2 ひろしまハウス建設ボランティア ツアー詳細 - 1
7月16日広島空港を出発した、ひろしまハウス建設ボランティア一行(平岡敬前市長以下十四名「創り出す平和について考える旅」ツアー)は香港を経由して十七日、午前九時半プノンペン入りした。
ウナローム寺院の渋井修氏や、ひろしま・カンボジア市民交流会に関係した地元の人々らに空港で歓迎を受けた後、ひろしまハウスを訪れた一行は、建設現場の二階から三階を一通り見学し、渋井氏や石山の建設に関する説明を聞いた。石山は、「この場所はプノンペンで、最もロケーションの良いところ。建設途中の三階に上ってみれば一望できるが、メコン川とシュムリアップ川が丁度ぶつかり、また王宮に隣接しているという位置にある」と語った。
平岡団長によって最初のレンガが置かれた後、それぞれが用意していた軍手にレンガとこてを握って順番にレンガを積んでいった。彼等の手つきも最初はぎこちなかったが、石山の指導や先発隊として来ていたスタッフや学生のアドバイスを受けて少しずつ積み上げていった。この日の作業は到着早々であったことや、ボランティアもまだ作業に不馴れであるために長い時間をかけずに終了した。作業後、その日の体験についての感想を現場に隣接する日本語学校で述べ合い、有意義な議論が交わされた。

HIROSHIMA
7月17日に香港経由でプノンペンに入った一行は、レンガ積み等の作業の他にトゥールスレン博物館を見学した。トゥールスレン博物館とは、1975年4月から1979年1月までの、3年8ヶ月に及ぶポル・ポト政権下で全土に強行された無謀な社会主義改革に反抗する人々が、捕らえられ激しい拷問を受け、処刑された元高校校舎を転用した四棟から成る建物で、当時「 Security Office21 」と呼ばれたトゥールスレン刑務所を、博物館として公開したものである。
展示内容は、尋問・拷問室として使われたΑ棟では鉄ベットや虐待道具、続くB棟には収容された人々が虐殺された大量の写真、C棟では独房、D棟は拷問の様子が詳細に写真・絵画で展示されており、残虐な拷問の様子が今なお生々しく残されていた。

8/10 ひろしまハウス建設ボランティア ツアー詳細 - 2
7月19日、プノンペンでのひろしまハウス建設ボランティア活動、トゥールスレーン博物館・市内見学等を終えた「創りだす平和について考える旅」一行(平岡敬団長・前広島市長以下14名)はアンコール遺跡で有名なシュムリアップに向かった。三日間の滞在中に、JSA(Japanese Government Team for Safeguarding Angkor)ディレクター杉山克己氏の案内で、世界遺産・アンコール遺跡を見学した。遺跡見学の他、ポルポト時代の処刑地跡地「キリングフィールド」や、孤児、貧しい人々、身体障害者らが自立のために技術を習得し工芸品を販売する「ハンディクラフトセンター」なども訪れた。21日午後には、「創り出す平和について考える旅」総括討論会が全員出席して行われた。トゥールスレーン博物館見学や、ひろしまハウスでのボランティア活動の感想、またハウス完成後の使われ方、ツアー事体についての意見・提案など個々が自分の考えを発表しあった。先にタイ経由で帰国する平岡氏、石山の他のメンバーらは、討論会後シュムリアップを発ち、一旦プノンペンに戻り23日無事帰国した。

討論会では様々な意見が発表され、「創り出す平和について考える旅」の総括とされた。
「トゥールスレーンでは写真を撮ることすらできなかった」「アンコール観光で来る人もプノンペン、ひろしまハウスに立ち寄りたくなるガイドブックを作ったらどうか」「ガイドさんのポルポト時代の話が印象に残った」「自分の家を守ることと平和を守ることが離れつつある難しい時代だと感じた」「カンボジアの人々の気配り優しさが心に残った」など、多様な意見が交わされた。また、平岡団長は討論会に先立って若者と行ったミーティング等を含め、平和に関して世代を超えて語りあえたことが良かったと総括した。

「黙する時間」

 石山は討論会で、キリングフィールド見学後のツアー一行の様子についてこう指摘した。「キリングフィールドを訪れた後、バスの中で誰もが言葉を失っていた時間があった。この時間がこのツアーで最も重要な時間だったのではないか│。平和というものを生み出すということがどれほど困難なことであるか。我々が普段の生活では経験することのできない沈黙があの瞬間にはあった」
 また、ひろしまハウスの使われ方として、隣の日本語学校の生徒がガイドとして活動することが実現すれば、展示室をそれと連関させていくことや、「ハンディクラフトセンター」のような職業訓練の場としてワークショップを利用することなども考えられるとし、「永遠たる積極的参加」という、十年、二十年と何らかの手を加え続けなければならない建物になればよいとを考えていると明かした。  今回のツアーについては「このツアーは第一回ヒロシマ・カンボジア平和スクールと思ってよい。レンガを積んだことは一期生の誇りであることを忘れないでほしい」と締めくくった。

ひろしまハウス通信 2001 年

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